第4話【伝説と八極拳】

 都内某所某駅。

 ブラウン管に映る砂嵐のように、無数の人々が行き来する朝の風景。

 だが今日はいつもと様子が違う。駅構内のあちこちにカメラを片手に持ったユーチューバーの姿。

 そして普段はタックルオジサンとしてブイブイ言わせているオジサンたちが、今日に限って冷や汗を滲ませながら周囲の様子を慎重に観察している。

(奴は来るのか? 伝説はやってくるのか?)


『はぁ~~い。どうも、ユーチューバー、マスでございマス! 今日は伝説のタックルオジサンがタックルの聖地○○駅に姿を現すといわれているXデーです。果たして本当に――』

(来ちゃだめだ。鈴蘭さん。どうか来ないでくれ!)


 駅の中で実況を始めていたマスだが、内心では昨日説得できなかった鈴蘭が心配でたまらない。


『果たして本当に伝説のタックルオジサンはやってくるの――』


 異様な雰囲気、異様な湿度、異様な臭いが駅構内に広がっていく。察知したマスは思わず言葉に詰まり、その違和感へとカメラを向ける。同業者のオカルト系、都市伝説系、そして格闘技系ユーチューバー達も同様にカメラを向けて――


「きゃぁぁぁ!!」


 悲鳴と共に吹き飛んでいく女性の影。吹き飛ばされた女性は近くを歩いていた男子高校生三人に受け止められて大事には至らなかったが――


ゴフ、ゴフゴフゴフ!気を付けろ! ブヒィィィィン! ゲフゥゥ!この、ボケが!


 女性に向かって豚の金切り声のような怒号が周囲に響く。たまたま近くを歩いていたデスメタル・バンドのボーカルA氏は後に語っている。

「あれは見事なピッグスクイール(豚の金切り声を模した発声法の一つ)だった。あの声なら世界だって狙える」


 巨大な脂肪の塊、そして加齢臭の吹き溜まり、伝説のタックルオジサンを前に人々はモーゼの十戒のように左右へと避けていくが、肉に埋まった小さな目で次の標的を見つけると、突き進む姿はイノシシの如し。自動追尾ホーミング機能システムを駆使して人混みを突き進んでいくタックルオジサン。その先には――


『鈴蘭さん!』


 マスが叫ぶ!

 だが鈴蘭はそれどころではない。腕時計の時間を気にしながら小走りで駅の構内を進む彼女は昨夜、撮り貯めていた深夜ドラマをついつい最後まで見てしまったせいで遅刻ギリギリなのだ。


『鈴蘭さん! 危ない!』


ヴゥヒィィィ。ヴゥェ、ヴゥェ、ヴ――おっと、小っちゃくて見えなかっ――


 刹那!


 鈴蘭は右手の平を頬に添え、右ひじを突き出すようにして半歩踏み込み――

 ただでさえ小柄な彼女はさらに重心を落とし、同時に、ダァァン、と地面を踏みしめる衝撃音を響かせた。

 襲い掛かると、仕事に向かうとの衝突地点――


 ――そこに……伝説の姿は無かった。


 残されていたのは、駅構内に横たわる、だらしない体のオジサンの姿。周囲の人々が白い眼を向けつつ通り過ぎていく間、地面に転がるオジサンにカメラを持ったユーチューバーたちがハゲタカのように集まってくる。

 そんな雑踏の中、すでに鈴蘭の姿は駅のホームへと消えていた。

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