王女とモグラの緑の宝石

朝霧

2017.01.05

 王女がいつもより早く目を覚ました朝、街からは透き通るような鐘の音が鳴り響いていました。王女はうんと伸びをすると、ふいに、今日は自分の成人の誕生日であることをおもい出しました。王女は鐘の音を聴きながら、どこかほっとしたような、わくわくしたような気持ちで部屋を出ました。

 きれいな白いドレスに着替えた王女は、使用人に見送られながら、式典の会場へと向かいました。色とりどりの花で飾られた王宮の最上階にある、広間の扉が開かれます。そこには王と、女王が温かな微笑みで王女のことを待ち構えているのでした。王女はゆっくりと二人に近づき、にこりと笑います。神父の歌うような祝辞を聴きながら、王女はわくわくしていました。なぜなら、王族が成人するとき、未来の輝かしい栄光が絶え間なく続くようにと願いを込められた、宝石の首飾りが贈られるからです。王女は子どもの頃から、この宝石を手にすることを夢見ていました。宝石は闇の中でも持ち主を導く光を持っていると言い伝えられています。そんな宝石がついに自分にも与えられることになり、王女は胸を躍らせていたのです。

「それでは、この宝石をあなたに。あなたの人生が、光り輝く日々でありますように」

 首飾りを包んでいた布が丁寧に開かれ、その姿を現しました。金と銀の紐が螺旋状に紡がれた首飾りの中央には、丸い枠にはめられた、緑色の宝石が溢れんばかりの光を放っていました。王女はその美しさに感動の涙を流しながら、恭しく頭を下げました。そして、その緑の宝石は王女のものとなったのでした。

 成人式を終え、数日経っても、王女は宝石に見とれていました。王の宝石は青色、女王の宝石は透明な色をしていましたから、自分に与えられた緑色の宝石に飽きることはありませんでした。そしてふと、この宝石はこの国のどこで作られたものなのだろうとおもったのです。こんなにも素晴らしいものが国で作られているだなんて、とても誇らしいことなのに、どうして私は知らなないのだろう。そうおもった王女は、家庭教師に宝石が作られているところを見に行きたいとお願いしました。しかし家庭教師は、そんな場所は知らないと言って、どこかへ行ってしまったのでした。それから王女は王宮にいる全ての人に宝石がどこで作られているのかを訊いて回りましたが、答えを知っている者は誰一人としていなかったのです。

 これはおかしいな、とおもった王女は、書庫にこもって調べることにしました。国の歴史に関する本を手当たり次第にめくり、宝石についての文献を探しましたが、なかなか見つけることができません。今日は諦めようとおもった時、窓から差し込んできた夕日が宝石に反射しました。そして針のような光が伸びました。その先には植物や土に関する本がしまわれた本棚がありました。王女は引き寄せられるようにその本棚に向かい、一冊の本を手に取りました。すると、そこには宝石の性質についてが記されていました。

『地下深くから採掘された原石は、光を浴びると溶けて消えてしまう。そのため、特殊な溶液に長年浸し、様々な加工を経てからではないと、光を集めることが出来ない』

そのようなことが書いてある本を読み、王女は驚いてしまいました。惜しみなく光り続けるこの宝石が、元は光に弱い物質であったこと。なにより、なぜこのことが公にされていないのかが気になり、王女は地下深くにあるという鉱山を探すことに決めたのです。


 成人式を終えた王女は、国民へのお披露目、国の視察と大忙しでしたが、鉱山の手がかりを探すにはいい機会でした。地下へと続く道がありそうな場所にも赴きました。しかし、それらしきものを見つけることは出来ませんでした。

 ある日、国事に熱心になりすぎたのか、王女は風邪を引いてしまいました。家庭教師に身体を休めるよう強く言われ、王女は三日間、部屋で大人しくしているようにと言われてしまったのです。王女の風邪は一晩で治りました。そのため、暇を持て余した王女は、こっそり部屋を抜け出し、再び書庫で宝石に関する情報を探し始めました。部屋が暗くなってきましたが、灯りをつけると家庭教師に部屋を抜け出したことが知られてしまいます。どうしようかと頭を悩ませた王女は、自分の宝石のことをおもい出しました。王女は首飾りの宝石を瞳の前にかざしてみました。すると、暗かったはずの部屋が、夏の真昼のように明るく見えたのです。王女はますます宝石について知りたくなりました。

 一度部屋に戻り、眠りについた王女でしたが、深夜に空腹で目が覚めてしまいました。この時間なら誰もいないだろうと、王女は王宮の一番下の階にある厨房に向かいました。しんと静まり返る王宮の廊下は、普段とは違い寂しく感じられます。厨房の前までたどり着いた王女は、何かおかしいな、とおもいました。真っ暗なはずの厨房から、人の気配がするのです。音を立てないよう、そっと中の様子を窺うと、やはり厨房の中で、誰かが動いているようでした。怖くなった王女はその場を離れようとおもいましたが、足がすくんで動きません。せめて誰なのかを確認しようと、宝石を瞳の前にかざしました。厨房にいたのは五人の男でした。背が小さく、肌が白く、髪が黒く、薄汚れた服を着た男たちは、食糧が入った麻の袋をいっぱいに担ぐと、厨房の奥へと消えて行きました。王女は恐怖していたことも忘れ、好奇心に動かされてその後を追いかけました。厨房の奥には、物陰に隠れるようにひっそりと、小さな扉がありました。王女はバスケットのパンを一つ手に持ち、その扉の中に入って行きました。

 扉の奥は真っ暗でした。王女は宝石をかざし、歩みを進めます。螺旋状の階段を少し下りると、地下へと続くエレベーターがありました。王宮の地下にこんなものがあるだなんて、と驚きながら、王女はエレベーターに乗り込みます。エレベーターは止まることなく王女を地下へと運びます。王女はパンを食べながら、終着地を待っていました。どれくらい経ったのか、そっとエレベーターが止まりました。おそるおそるエレベーターを出ると、そこは巨大なトンネルがいくつもある空間でした。王女は一目でここが鉱山であると気がつきました。自分が本当に存在しているのかわからないほどの暗闇の中で、王女は宝石だけを頼りに鉱山の奥へと進んで行きました。

 宝石を通しての視界はとても狭く、王女は何度も転びそうになりながら、先ほどの男たちを探しました。ここが本当に宝石を掘り出している場所ならば、誰かがいるはずです。王宮の地下にこのような場所があることが隠されているのはなぜなのか、王女は知らなければならないとおもいました。

 しばらくすると、機械がうごめくような音が聞こえ、トンネルの終わりが見えてきました。王女はトンネルの影に隠れ、そっと様子を窺いました。トンネルを抜けた先は、工場と宿舎があり、先ほどの男たちが出入りしているのが見えました。そこで王女は、先ほどの男たちがここで暮らしているということを知りました。工場の中からも、宿舎からも灯りは見えません。ここには光というものが存在していないのでした。

 王女は突然、ここで暮らす人と話をすることが怖くなってしまいました。自分が王女であると知られたら、何かよくないことが起こるような気がしたからです。王女は早足で来た道を戻って行きました。しかし王女は、自分が一体どの道からここまで来たのかわからなくなってしまいました。すっかり道に迷ってしまった王女は、自身の身体の異変に気がつきました。すぐに息が上がり、咳き込むようになったのです。さらに、深く息を吸い込むと、喉の奥がひどく痛みました。どうやらここは空気が悪いらしい、と王女はハンカチを探しましたが、寝間着姿でここまで来たため、そのようなものは持っていませんでした。

 困り果てて座り込んだ王女の耳に、足音が聞こえてきました。誰かがこちらに近づいて来ていると悟った王女は、息を潜めようとしましたが、喉がいがいがして咳をしてしまいました。

「おうい、大丈夫か。今水をやろう」

 王女はぎゅっと目をつむりました。見つかってしまった、と身を固くしていると、すぐそばで若い男の声がしました。

「こりゃあ、驚いた」

 王女は顔を上げましたが、暗闇で誰がいるのかわかりません。王女は震える手で首飾りに触れましたが、男は慌てた様子でそれを制しました。

「待ってください、どうか、どうか私の姿を見ないでやってください」

 その必死な声色に、王女は警戒心をときました。

「どうして?」

 王女が問うと、男はかしこまったように言いました。

「貴女様はこの国の王女様であるとお見受けします。そんなお方に私の見すぼらしい姿をお見せするわけにはいけません。私の姿は醜くってたまりませんから」

 王女はその男の望み通り、宝石をかざすのはやめようとおもいました。王女は立ち上がると、男の声がした方に向きなおりました。

「そうだ、これ、お水を。手を出してください」

 言われた通りに手を出すと、王女の手のひらにすっぽりと収まるようにボトルが渡されました。一口飲むと、止まらなかった咳がぴたりと止まりました。

「ここは酸素が薄くて、埃っぽくていけません。すぐにお帰りになったほうがよろしいでしょう。王宮の厨房の扉からいらしたのでしょう? あそこは厨房からは自由に入れますが、反対側からは鍵が必要になります。なので私がお送りいたしましょう。さあ、この紐を握ってください。ご案内いたします」

「待って!」

 王女は握らされた紐を引っ張りました。男は立ち止まって振り返ったらしく、王女は男からの視線を感じたまま話し始めました。

「私はこの宝石の秘密を知りたくてここまで来たの。そうしたらここで暮らしている人たちがいて、とてもびっくりしているわ。貴方たちは誰なの? どうしてここに?」

 男は王女の言葉を聞くと、言ってもいいのか悩んでいるようでした。しかし王女の真剣な眼差しに負け、歩きながら王宮の地下の秘密について打ち明けてくれました。

「ここは王族に献上する宝石を作るための場所です。地上でこのことが隠されているのは、私たちのことを秘密にしたいからなのです。私は生まれた頃から光を知りません。ずっとここで、宝石を掘るために生きています。私たちは自分たちのことを『モグラ』と呼んでいます。私はここでずっと石を掘り続けます。それが私の生きている理由なのです」

 王女はモグラの言葉に息をつまらせました。それではまるで奴隷のようだ、とおもいながら、姿の見えないモグラのことを嘆きました。

「そんな顔をしないでください。私はこの生活について、特別何もおもってはいないのです」

「それでも、私はいろいろなことをおもってしまうわ」

 王女のか細い声を聞いたモグラは、目を見開いて王女のことを見ました。モグラの瞳には、王女が宝石よりも美しい存在であるかのように映りました。そして、自分の姿を見返しました。モグラは、背は丸まっていて、埃で汚れていて、爪の間には土がつまっている自分のことを、とても恥ずかしくおもいました。そしてそれは、王女のことを見るたびにどんどんひどくなって、モグラは顔を赤くしたのです。モグラはなぜこんなにも顔が赤くなるのかわかりませんでした。

「もう少し、貴方のことが知りたいわ。私とお話してくれる?」

「……はい、もちろんです」

 王女とモグラは、誰にも見つからないような、ひっそりとした物影でお互いのことを話して聞かせました。王女は顔も姿形も知らないモグラのことを、とても心の清い人間であると感じました。二人は夢中で会話を弾ませました。この時間がずっと続けばいいとおもったほどです。王女はモグラと話していると、心がほっとして、温かい気持ちになりました。

 ふと、王女はモグラはこの暗闇で、周りが見えているということに気がつきました。

「ねえ、貴方はどうしてこんなに真っ暗な中で目が見えているの? こんなに暗くちゃいつまで経っても目が慣れないわ」

「それはですね、私の右目には王女様が持っている宝石と同じものが義眼として埋め込まれているからなのです。左目は生まれたままなのですが、この瞳が何かを映すことは今後ないのでしょうね」

「外へ出て、光を見たいとはおもわないの?」

「あまりおもいません。それにきっと、私の瞳は光に耐えられず、失明してしまうでしょう。完全に失うよりも、あるかどうかわからないくらいのほうが、私は安心できるのです」

 王女にはモグラの言う言葉が少し難しく感じられました。それでも王女はモグラの言葉の意味を理解したいとおもって、心の中でモグラの言葉を何度も繰り返してみました。

「どうかしましたか?」

 それに気がついたモグラは、王女の顔を覗き込みましたが、自分の立場をおもい出し、すぐにやめてしまいました。

「貴方の言ったことを考えていたの」

「あまり難しく考えなくてもいいのです。私の言葉は何の力も持っていないのですから」

 モグラの柔らかい笑い声が王女の胸をぎゅうっと締めつけました。王女がモグラに声をかけようとした時、突然ベルのようなものが鳴りました。それはモグラが持っていた時計から出た音でした。

「いけない。そろそろ点呼の時間です。王女様、あまり時間がありませんので、地上までお連れいたします」

 モグラが立ち上がり、王女に紐を持たせようとしましたが、王女はその紐には掴まらず、代わりにモグラの手を優しく握りました。モグラは驚いて手を引っ込めようとしましたが、それでは王女が傷つくだろうとおもい、そのまま王女の手を引いて歩き出しました。

 エレベーターに乗り込んだ二人はしばらく無言でしたが、王女がぽつりと呟きました。

「貴方の姿を見てみたいわ」

「王女様、私は本来貴女と接してはならない身分なのです。あまりの醜さに驚いても、エレベーターから出ることはできないのですよ」

「そんなことおもわないわ。それに私は、本当にいるのかどうかわからないよりも、はっきりとこの瞳で確かめたいのだもの」

 そう言うと王女は、首飾りの宝石を瞳にかざしました。宝石ごしに見えたモグラの風貌は、モグラの言う通り醜い男でしたが、王女は彼のことを醜いなどとはおもいませんでした。それよりも、モグラの瞳に埋まっている宝石が、自分の宝石と同じ緑色をしていたことに驚きました。モグラは居たたまれなさに忙しなく目線を動かしています。そんなモグラの手を握り、王女は温かく微笑しました。

「貴方を見ていると、なんだか胸が苦しいわ」

「お体の具合が悪いのですか?」

「そうじゃないの」

 王女のすべすべとした白い頬は赤く染まっていました。モグラはそんな王女から目が離せなくなってしまいました。

「私、貴方に会えてよかった。貴方が地上に来られないように、私ももう、ここに来ることはないでしょう。それでも私は貴方のことを忘れないわ。だから貴方も忘れないでいて」

 王女は首飾りの宝石を枠から外すと、それを瞳の前にかざしながらモグラの右の頬に手を当てました。モグラは王女と言葉を交わさなくても、王女が何をしたいのかがわかりました。モグラは義眼の宝石を外し、自分の服で拭くと、それを王女に渡しました。王女はそれを受け取ると、それが元々自分のものであったかのように、首飾りの枠にはめ込んだのでした。モグラも同じように、王女のものだった宝石を自分の瞳にはめました。

 エレベーターが止まり、二人は黙ったまま螺旋の階段を上っていきました。そして最上階にたどり着くと、モグラが持っていた鍵で厨房に繋がる扉を開けました。

「さようなら」

 モグラがそう言って、螺旋の階段を下りていきます。

「さようなら」

 王女は姿の見えないモグラに向かい、たくさんの気持ちを込めて手を振りました。そして王女は、ドアの向こうの光のある国へと帰って行きました。

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