第10話.月下の問答

 場末の飲み屋が数軒並ぶ通りの夜。


 ケロッキーは電柱にもたれかかり、フーセンガムを膨らませていた。


 今宵は満月。


 夜空には、膨らんだガムに似た月が浮かんでいる。


 暫くケロッキーが立ってると、この人気ひとけの無い小道に、スーツを着た千鳥足の男がこちらにやってきた。


 見た目から判断して、歳は五十代半ばといったところか。


 酔って気が大きくなったのか、会社の愚痴らしきものを独り言のように口に出しながら歩いている。


 やがて彼がケロッキーの前を通り過ぎようとした。


「ねぇ、オッサン、何のために働いてるんすか?」


 その声に反応して、スーツ姿の男は足を止め辺りを見回した。


 ケロッキーの方を見ると「僕に声かけた?」と自分を指さす。


「そう。オッサン、アンタに聞いてるんすよ。何のために働いてるんすか?」


 ケロッキーはガムを噛みながら再度、質問する。


「何の為にって……、そりゃ、生きる為だよ。それより君、誰?」


 男は少し不機嫌そうに答える。


「ボクが誰かなんてどうでもよくないっすか?それよりオッサンが生きる為に、酔ってぐちぐち言わなきゃいけないほど辛い仕事してる方が気になるっすよ。辛い思いしながら生きるって、それって死んでんのと同じじゃないっすか?」


 ケロッキーは見知らぬ男に問いを浴びせる。


「生きていればね、美味い酒が飲めるの」


 男が答える。


「それじゃ美味しいお酒を飲むために働くって言えばいいのに、何で嘘つくんすか?」


「それだけじゃなく、ほかにも生きていくには金がいるんだよ」


「じゃ仮に死んでも美味しいお酒が飲めるとしたら、死ぬっすか?」


「死んでどうやって酒を飲むんだよ! とにかく金が必要なの!」


「お金が必要だとしても、そんな多量に飲んで解消しないといけないほどストレス溜めてるなら、もっと楽して稼いだらどうですか?」


 ケロッキーは男を質問攻めにする。


「あのね、社会を教えてあげるけど、仕事は大変なものなの。お金はね、辛くても一生懸命働いて稼ぐものなの」


「じゃ一生懸命稼いだ一万円と楽して稼いだ一万円は価値が違うすか? 同じ価値なら楽して一万円稼いだ方が得じゃないっすか?」


「おい、急に人に声かけてきて、なんだ、お前! 子供のくせにさっきから屁理屈ばっかり言いやがって!」


 男は激昂していく。


「年齢なんて関係なくないっすか? それにそれはボクの質問の回答になってないし、言ってることむちゃくちゃっすよ」


 ケロッキーは全く怯まない。


「最近のガキは働かざる者食うべからずって言葉も知らんのかよ!」


「でも世の中は生まれつき金持ちで働かなくても食っていける奴がいるっすよ? そう言う人が存在する以上、それって矛盾してないっすか?」


「どっちにしろ、世の中には金が必要なんだよ!」


「そーっすかね? 高度に成長した世界ではお金なんて必要ないっすよ?」


 ケロッキーの言葉に男は大笑いした後、急に真顔に戻りケロッキーに詰め寄った。


「……いい加減しろよ。女だから手を出されないって調子に乗ってると、終いにゃ後悔するぞ、マジで!」


 スーツの男は赤ら顔に怒りの表情をにじませ、ケロッキーの胸ぐらを乱暴に掴み、持ち上げた。


 ケロッキーが着ているグレーのパーカーの裾が捲れ上がる。


 その瞬間、男の腹部に強い衝撃が襲った。


「うっ!」


 その衝撃の正体は、ケロッキーの膝蹴りだった。


 男は掴んでいた手を離し、前屈みになる。


 続いて、その男の側頭部にケロッキーはハイキックを叩き込んだ。


 男は夜道に倒れ込む。


「お、お前……、ひぃ、だ、誰か助けて」


 地面でもだえながら男が言う。


「誰に助けてもらうのさ?」


 ケロッキーは冷笑した。


「た、助けてくれる人……、そ、そうだ、け、警察を……」


 男は震える手で、必死にズボンのポケットからスマホを取り出そうとする。


「警察? 神と悪魔の先導者共か。いいよ、さっさとあいつら呼べば?」


「け、警察……。奇能を持ってる人……。えっとあの人達、どうやって呼ぶんだっけ……?」


 男はあたふたしている。


 そんな男に向けて、ケロッキーは吐き捨てるように言った。


「やっぱ欠陥があるこの世界、ダメだわ」


 そしてポケットに手を突っ込むと、倒れている男を見捨てて、月に照らされた冬の夜道をブラブラと歩いて去っていった。

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