第92話.裏返りの聖戦⑨

 上下左右、いわゆる三次元の方向感覚がまったく封じられた闇の中、緑門莉沙りょくもんりさは己の勘だけを頼りに終末を監視する者へ突撃しようとしていた。


 だが、パルクールで鍛え、常人よりは恐怖には強い莉沙と言えども、闇の中で砌百瀬みぎりももせ奇能きのうであるカブトムシで跳ね上げられると、流石に戦慄が襲ってきた。


 身が竦み躊躇すると却って危険な目に遭う。

 そのことを莉沙は知っている。


 彼女は雄叫びを上げ、鍛えた精神力で己で己を奮い立たせ、気合を込めた。


 その時である。


 想定外のことが起きた。


 多目的室内での皿井菊美さらいきくみとの戦いで切断し、そして彼女の奇能によって再生された莉沙の硬い左腕が、エメラルドのような緑色に発光し始めたのである。


 僅かだが闇の中が照らされ、見える。


 その腕の光が照射した先に、終末を監視する者の姿がうっすらと浮かび上がった。


(これならいけるかも!)


 そう思った莉沙は、再度雄叫びを上げて空中から加速をつけて突撃し、硬い左腕を振りかぶって、終末を監視する者の左の顔に打ちつけた。


 顔だけの怪物に莉沙の左腕がめり込む。


 グニュグニュとした気味の悪い感触。


 それでも莉沙は、より深く、より深く、左腕を内部に侵入させる。


 終末を監視する者の左の顔が、闇を切り裂くような悲鳴を上げた。


 ◇


 莉沙の攻撃が成功したのか。

 終末を監視する者のおぞましい悲鳴が、贄村囚にえむらしゅうにもはっきりと聞こえた。


 何故、莉沙の身体が緑色に発光しているのかはわからない。


 だが、それはいま考えるべきことではない。


 やるべきことはこの機会を逃さないこと。


(私は奴の大きさを測る為、中心に立つようにしていた。奴の容貌は左右非対称だが、顔の大きさはおよそ左右対称だった。そして、私は奴の真正面を向いてから、一度も動いてはいない)


 贄村は暗闇の中、終末を監視する者の右顔の位置を探る。


(莉沙の発する光は、私の視界約40度。ならば……)


 贄村は突如、吠えるように声を上げた。


 轟く獣の咆哮ほうこう


 誰もその姿を目にすることはない闇の中で、贄村の容姿は右半身が赤目の黒山羊、左半身が目を剥いた大鹿の怪物へ変化した。


 贄村が姿を変えた怪物は、終末を監視する者の右の顔があるであろう、自身から左前方40度の方向へ見当をつけ、力強く足元を蹴り、暗闇の中を勢いよく飛んでいった。


 空中で鋭い爪のついた手を突き出す。


 思惑通り、爪先が終末を監視する者に触れると、そのまま爪を渾身の力で食い込ませた。


 終末を監視する者の顔面に、爪を深く食い込ませると、やがて指がとても柔らかいものに触れた。


 恐らくこれが終末を監視する者の脳だろう。


 贄村は再び大きく咆哮し、抉るように爪と指で、その柔らかいものを掴んだ。


 終末を監視する者は、先ほどよりも一層大きい悲鳴を上げた。


 左右の口から発せられた絶叫が、無明の異次元に轟く。


 すると漆黒の闇から一転、異次元空間全体が爆発したかのように、強烈に発光した。



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