第31話.謎の女

 緑門莉沙りょくもんりさの背後に立っていたのは、よく知っている顔だった。


「まきちゃん……?」


 莉沙は思わず声が漏れた。


 しかし、声や顔形は夢城真樹ゆめしろまきに似ているものの、どこか雰囲気が違う。


 トレードマークの赤いベレー帽を被っておらず、服装も着ているところを見たことがない黒のワンピース。


 今日はファッションを変えただけなのか。


 ただ、この人物がもし真樹本人なら、これだけ傷つく羽目になったことに対して文句を言ってやりたい。

 莉沙がそんなことを思っていると、彼女が話し始めた。


「まきちゃん? 苦しさのせいで誰かと間違えてるのね。あたしはあなたとは初対面のはずよ」


 この女は夢城真樹ではないようだ。

 ただの他人の空似なのか。


 とは言え、そんな偶然があるのだろうか。

 自分のよく知っている人に瓜二つの人間と出会い、そしてその人物が自分に声を掛けてくるなんて。


 相手が敵か味方か判別がつかないので、莉沙は警戒する。

 もし仮に彼女が神側の先導者だった場合、いま襲われると確実にやられる。


「そんな怖い顔しなくても。大丈夫よ。あたしはあなたの味方」


 そう言ってワンピースの女は妖しく笑った。


「……誰?」


 ひょっとすると真樹は双子で、姉か妹がいたのかもしれない。


「うそー、あたし、知らない?」


 逆に質問をされた。


 莉沙は返事をせず、痛む呼吸に耐えながら警戒を続ける。


「テレビやネットで観たことない? まあ、アイドルに興味のない人なら知らなくて当然かもしれないけど。あなたがさっき闘った砌百瀬みぎりももせって子、アイドルでしょ。あの子と同じグループのメンバー」


 グループのメンバー?

 莉沙も百瀬がアイドルであることは知っているが、それがどんなグループなのかまでは知らなかった。


 ただ、そのメンバーが何故ここにいて自分に声をかけるのか?

 いやそれよりも何故、自分と百瀬以外、誰もいなかった多目的室で、二人が闘ったことを彼女は知っている?


 謎だらけだった。


黄泉よみの国まで明るく照らす、わたし達『イエロースプリング43』です! ……で、あたしはそのグループのリーダー、皿井菊美さらいきくみ。よろしくね」


 その菊美と言う女は、まさに妖艶と呼ぶに相応しい微笑みを見せる。

 だが、彼女に味方と言われても、信じる根拠は何もない。


 半信半疑の莉沙へ彼女は話を続けた。


「イエローは英語で黄色でしょ。スプリングは英語で泉。ヨミの国って漢字で書くと黄と泉だからイエロースプリングなんだって。それでおまけの43は、ヨミだから43。くだらないシャレよね」


 菊美はひとりケラケラ笑った。


 そんな話、どうでもよかった。

 それよりも胸部が痛い。

 くだらないと言ってやりたいが、莉沙は声を出すのも辛い。


 ここでいつまでも菊美と関わっていては休むこともできそうにないので、この場にいるのは諦めようと、莉沙はよろよろと立ち上がった。


「あっ、無理しちゃだめよ。座ってなきゃ」


 慌てた菊美に抱きかかえられ、莉沙はベンチへと戻される。


「……痛い」


 莉沙は眉間に皺を寄せ、苦悶の表情を見せた。


「心配しないで。あたしが痛みを取ってあげるから」


 痛みを取る……?

 どうやって?

 菊美はまた理解できないことを言う。


「……信じられない」


 莉沙が絞り出すように呟いた。


「信じられないのもわかるわ。特にあなた、人間不信でずっとひとりぼっちだったものね。自分だけの砦に閉じ籠って誰も近寄らせない。だから、今まで男の人と恋もしたことないでしょ?」


 菊美が莉沙の耳元で囁く。


「……う、うるさい……」


 頭にきた莉沙は、目をきつく閉じたまま言い返す。


「今からあたしがファーストキスを奪うことになるけど許してね。これもあなたのためよ」


 おぞましい嫌悪感が莉沙を襲った。


「い、嫌っ……」


 抵抗するも力が弱い。

 菊美が莉沙の首に手を回す。


「ふふふ、実は元気なあなたが、いま傷ついている夢を見てるだけだとしたら? さあ、醒めなさい。胡蝶こちょうゆめ


 菊美はそう唱えると、莉沙の唇に自分の唇を重ね合わせた。


 莉沙の呼吸が止まる。

 酷く冷たい感触。


 その間、1秒、2秒ぐらいだろうか。

 僅かな時間で菊美はそっと莉沙の唇から自分の唇を離した。


 その直後、莉沙は勢いよく菊美を突き離して、ベンチから立ち上がる。


「まあ」


 菊美が不意に体を押されて驚いた声を出した。


「なにしてくれんのよ!」


 莉沙は菊美を睨みつけた。


 しかし菊美は怯まず、また妖しい微笑みを見せる。


「ほら、元気になった」


「あっ」


 莉沙は思わず声を上げた。


 痛みもなく呼吸ができる。

 身体も自由に動く。


 菊美は本当に莉沙の味方だったらしい。


 しかし、これはどういうことか。

 なぜ口づけで怪我が治るのか。


 この不思議な能力、そして莉沙達のことを知っている様子からも、菊美は奇能を持っている。

 と言うことは彼女も先導者エバンジェリストか。


「……これはどういうこと? 夢を見ているだけって……、百瀬との闘い、あれが夢だったってこと?」


「さあ、どうかしら。もしかしたら傷ついているあなたが、いま元気になった夢を見ているのかもしれないし」


 ミステリアスな微笑を湛えたままの菊美。


 不可解。

 何が本当なのか。

 彼女の話は聞けば聞くほどわからない。


 だが、先程まで莉沙が感じていた痛みが、いま消えているのは事実。


「とりあえず……痛み消してくれてありがと」


 莉沙はたどたどしく礼を言った。


「どういたしまして」


「……ひょっとして、あなた贄村にえむらさんの指示で来たの?」


 莉沙はふいに頭に浮かんだことを訊いた。


「ニエムラさん? 知らないわ、そんな人」


 菊美は答えた。

 これは彼女が悪魔側の先導者ではないと言うことを意味しているのだろうか。


 かと言って莉沙を助けたところからも、神側の先導者とも考えにくい。


「じゃあ、どうしてわたしを……」


「もちろん、お願いがあるからよ。ねぇ、あなた、悔しくない? あんな子に痛い思いさせられて」


 菊美は挑発するような目で莉沙に言った。


「……悔しくない、って言ったら嘘になるけど。でもあんな子って、同じグループの仲間でしょ」


「そうね。でもあたし、あの砌百瀬って子、嫌いなのよ。いつも優しさとか思いやりとか言って。良い人のふりしてるけど偽善者よ、あの子。仲良くしてるのは、あくまでアイドルとしてのビジネス。同じグループだし、仲違いしてると他の人に迷惑かかるから」


「……あなた、奇能持ちでしょ。なら先導者よね?」


「あたしはあなた達のような先導者じゃないわ。中立の立場の存在。時々によって自分が正しいと思った方の味方。だから今回はあなたに味方するの」


 莉沙は神と悪魔以外の中立の者、菊美のような存在がいるとは誰からも聞かされたことがなかった。

 果たして彼女の言うことは嘘なのか事実なのか。


 しかし、それはいま一人で考えてもわかるはずもない。


 取り敢えず菊美の用件を聞くことにした。


「……それであたしにお願いって?」


「あの砌百瀬って子を粛清して。あたしの奇能、サポートには優れてるけど戦闘には向いてないのよ。だからもう一度、百瀬と闘う機会をあたしが作るから、あなたがあの子を消してくれない? もちろんあなたに負けてもらっては困るから、あたしも全力でサポートするわ」


 菊美は莉沙に向けて手を合わせた。


 夏にもかかわらず悪寒がする。


 莉沙の中に嫌な予感が芽生えるも、百瀬の粛清は望むことであった為、暫く菊美に関わってみることにした。









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