第32話.裏切りの女

 砌百瀬みぎりももせは、緑門莉沙りょくもんりさの奇能で首と足首を強く絞められた為、大の字に倒れたまま起き上がれずにいた。


 ゼェゼェと大きな呼吸を繰り返す。

 多目的室の天井を見つめていると、電灯の光が目に刺さるので、そっと瞼を閉じた。


(今夜、ラジオの収録あるんだっけ……、遅れないで行かなきゃ……)


 もしこの姿を誰かに見られたら面倒なことになるな、そのことばかり気になった。

 夜からアイドルとしての仕事があるので、心は焦るが身体が指示に従わない。


 どのくらい時間が経っただろうか。


 莉沙が多目的室から出て行ってすぐだったような気もする。


 ドアが開く音がした。


 まずい、誰か来た、救急車呼ばれたり警察呼ばれたりして騒ぎになる、それにもし騒ぎになったらグループのメンバーにも迷惑をかける……、そんなことが百瀬の頭の中に次々と浮かぶ。


 何とか身体を起こさなくてはと、百瀬が一人もがいていた時だった。


「あらあら、アイドルが大きく足を開いて寝っ転がっちゃって。ずいぶんはしたない姿ですわね」


 誰かが声を発している。

 百瀬が聞いたことのある声だ。


 その人物が百瀬の頭の付近でしゃがむ気配がする。


「もしもーし、大丈夫ですかぁ?」


 謎の人物が百瀬に呼びかけた。


 百瀬がゆっくり瞼を開くと、知っている顔が自分を覗き込んでいた。


 声と言い顔と言い、この人は百瀬が所属するアイドルグループのリーダー、皿井菊美さらいきくみ


 ……に似ているが違う。


 頭に乗せた赤いベレー帽。

 これは……。


夢城真樹ゆめしろまきっ……!」


 百瀬は思わず声を上げた。


「ピンポーン! 知っててくれて光栄だわ。それにしても辛そうね」


 真樹は百瀬を見て微笑んでいる。


「ふふふ、アンタの考えてることわかるわよ」


 荒い呼吸をしながら百瀬は真樹に言った。


「あら、そう? じゃああたしが何しに来たか当ててみなさいよ」


 真樹は表情を変えずに百瀬に訊く。


「さっきのポニーテール女から、わたしがここで倒れてるって聞いて、それでとどめ刺しにきたんでしょ? ほんと卑怯な連中ね」


 百瀬は真樹を睨む。


「まあ、怖い顔ね」


「別にわたしを消すなら消せばいいわよ。大人しく粛清されてあげる。でも、言っとくけどね、きよねっちが、絶対アンタ達を許さないんだから。必ず、仇を討ってくれるんだから……!」


 百瀬は強がり、真樹に向かって無理に笑い顔を作るが、話す声は自然と涙声になった。

 零れそうな涙を必死に堪える。


 そんな百瀬に対して、真樹はケラケラ笑い始めた。


「ブーッ!ハッズレー! 残念でした。あたしはね、あなたを助けに来たのよ」


 真樹は随分と嬉しそうに言った。


「……はあ!?」


 百瀬は苦悶と驚きが入り混じった声を出す。


「まあまあ、詳しい説明はあとあと。まずはあたしがその体を治してあげるわ」


「……なにわけわかんないこと、言ってんの……!」


 真樹が自分の体を治す?

 一体どうやって?

 大体、真樹は悪魔だ。

 神側の先導者である自分を助けるわけがない。

 恐らくは油断させる為の狂言だろうと、百瀬は疑った。


「変な期待持たせないでよ。やるなら一思いにやって」


 百瀬は真樹に言った。

 いずれにせよ、体が動かない今、真樹に生殺与奪は握られてしまっている。

 なす術がない。


「アイドルって恋愛ご法度よね。でも今からあたしがやるのは恋愛感情入ってないから。だから大丈夫」


 真樹は百瀬の上半身を抱え起こした。


「ちょっと、何するつもり……!」


 百瀬は体を微かに揺さぶり抵抗する。


「まあまあ、今見てる夢を終わらせるだけだから。目でも瞑ってて。さあ、醒めなさい、胡蝶こちょうゆめ


 そう唱えると、真樹は百瀬の唇に口付けをしてきた。


 百瀬の息が止まる。

 酷く冷たい感触だった。


 一、ニ秒だろうか。

 真樹はすぐに重ねた唇を離した。


 百瀬は両手で真樹を押し、自分から引き離す。


 直後、百瀬は下を向き「オエーッ」と嘔吐えずいていた。


「なにすんのよっ! 気持ち悪い!」


 百瀬は真樹に怒る。


「ほら、元気になったわ」


 真樹は満面の笑顔を見せた。


「あっ」


 百瀬は思わず声を上げる。


 呼吸がしやすい。

 足首も痛くなく、立とうと思えば……、すんなり立てた。


「あれ、これは……どう言うこと? わたし夢を見てたの?」


 百瀬が驚きながら首を傾げる。


「さあ、どうかしら。もしかしたら苦しくて倒れているあなたが、いま元気になった夢を見ているのかもしれないし」


 しゃがんでいた真樹も立ち上がった。


 百瀬の中に複雑な感情が芽生える。

 真樹は敵。

 だが自分をあの状態から救ってくれたも事実。


「あの、ありがと。敵だけどお礼だけは言わせて」


「どういたしまして」


 真樹が微笑んだ。


「でもやっぱり納得いかない。どうしてわたしを助けたりしたのよ」


 百瀬は訊いた。


「もちろん、取引きのためよ。あなたにお願いしたいことがあるの」


「お願い……? どんな?」


「あのさっきあなたが闘った女、緑門莉沙なんだけどね、もう一度、闘う機会をあたしが作るから、あなたが消して欲しいのよ」


 真樹が媚びるような目つきで百瀬を見てくる。


「はぁ? 頭大丈夫? あの人、あなた達の先導者でしょ」


 百瀬は眉間に皺を寄せた。


「うーん、そうなんだけどねぇ。あの人、嫌いなのよ。先導者としての自覚ないし、それにあたし達に非協力的。新世界に相応しくない人を間違えて先導者に選んじゃったなって思って」


 真樹が口を尖らせた。


 だが当然百瀬は納得がいかない。


「じゃあ、先導者辞めさせるか、自分で消せばいいじゃない」


「だって、あたしがスカウトした手前、辞めさせたり消したりしたら、あたしにも責任がでてくるじゃないの。だからあなたが闘って消してくれた方が自然に見えるし、そうなったらあたしも責任負わなくていいし」


 真樹は悪びれずに言う。


 どうしようか、返答に迷っている百瀬に構わず、真樹は話を続けた。


「もちろん、あなたに勝ってもらわなきゃ困るから、あたしもサポートするわ。それにあなたもあんな酷い目に遭わされて悔しいでしょ」


 確かに、嘘をついて自分をこの多目的室へ誘き出し、不意をついて攻撃してきた卑怯者の莉沙を、百瀬の性格上、許すことは出来なかった。

 あのポニーテール女のような卑怯な人間は、新世界にはいらない。


「……わかったわ。あの女はわたしが消してあげる。ただし約束どおり手伝ってよ」


 百瀬は答えた。


「まあ、ありがとう。約束は守るわ。あとね、このことは福地聖音ふくちきよねは内緒にしてよ。だって、敵であるあたしがあなたに味方したなんて彼女が知ったら、罠じゃないかって絶対心配するし、それに莉沙との対決止めるかも知れないでしょ。聖音に迷惑かけちゃうわ」


 真樹は微笑む。


 確かにこのことを知れば、自分が敬愛する聖音に余計な心配をかけるだろう。


 真樹は信じるに値するのか。

 しかし、莉沙を粛清したいのも事実。


 百瀬は葛藤の中、真樹を信じることを選び、彼女の頼み事を引き受けることにした。

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