第28話.怨む女(緑門莉沙)②

 わたしが今年の1月、大学近くの公園で独り、パルクールのトレーニングをしていたときのことだ。


 知らない子がわたしのトレーニング風景を眺めていた。


 彼女は小顔で、頭には赤いベレー帽をかぶっている。

 オシャレな小動物って感じ。

 楽しそうに微笑んで佇んでいた。


 もちろん、わたしは相手にすることなくトレーニングに打ち込む。

 視線はなんとなく鬱陶しいけど。


 ひとしきり汗を流し、休憩しようとスポーツバッグの置いてあるベンチでボトルを取り出して飲む。


 そこへ彼女は拍手をしながら、わたしに近づいてきた。


「すごい身体能力ですわね。あたしもやってみたいですわ」


 第一印象は……、馴れ馴れしい。


 はっきり言って、いい感じはしなかった。


「じゃ、やってみたら?」


 私は冷淡に返事をして、ボトルの蓋を閉めた。


「あなた、先輩ですわね。あたし、一年の夢城真樹ゆめしろまきって言います。先輩のパルクールの素晴らしさに感動しました」


「……パルクール、知ってるんだ?」


「ええ、もちろんですわ」


「ふぅん」


 彼女がパルクールを知っててくれたので、少しだけ親近感が湧く。

 本当にほんのちょっぴりだけだけど。


「先輩、お名前はなんとおっしゃるんですか?」


 名前?


「……親しくもなってないのに、なんで自己紹介しなきゃいけないわけ?」


「まあまあ、この出会いを縁に仲良くなってもらおうと思ったのですわ」


 ……ウザ。


 結局、この子も友達いっぱい作ろう系?


 それで先輩の友達も作って、仲間の輪を広げようって近づいてきたわけだ。


「わたし、わたしのこと理解できる人じゃないと仲良くする気ないから」


「あたしなら先輩のこと、理解できるかもしれませんわよ。なんせ人生相談所でカウンセラーのバイトしてますから」


 人生相談所でバイト?

 もしかしてバイト先の営業で声かけてきた?


 ってか、カウンセラーってバイトでもできるんだ?


「ふぅん、でも別にいいよ。特に話すことなんてないから」


「そうですか? あたしにはまるで、先輩は何か自分の中に溜まったモヤモヤを打ち消そうと競技に打ち込んでるように見えますわ」


 図星でちょっとイラッとした。

 やっぱり鬱陶しい。

 なので、彼女にさっさと帰ってもらいたくなった。


「それじゃあさ、わたしの中にある疑問を話すからあなたの意見を聞かせてくれる? もし答えらなかったら、この場から帰って。そして二度とわたしに話しかけないで」


「ええ、わかりましたわ」


 意外なことに彼女は嫌な顔することなく、ニコニコしながらさらりとそう答えた。

 変な子。


「人の命の価値は平等だと思う? わたしは平等だと思ってる。だからそれに対してわたしが納得するような反論して見せて」


 我ながら意地悪な質問。


 でも答えらなきゃこの子を追い返せるし、もし答えられたならわたしの疑問がひとつ解けるし。

 どっちに転んでもわたしにはメリット。


 すると彼女は考え込む様子もなくあっさり答えた。


「そんななんの根拠もない非論理的な質問、『トロッコ問題』ですぐ説明できますわ」


「なにそれ?」


 つまらない回答になりそうだとわたしは思った。


「あら『トロッコ問題』って思考実験、ご存じないですか?」


「わたし、勉強苦手だから」


 すると、彼女は咳払いをひとつして得意げに話し始めた。


「では説明いたしますわ。まずブレーキが壊れて暴走しているトロッコを思い浮かべてください」


「うん」


「そして、その暴走するトロッコの線路の先に五人の作業員がいます。このままだとその五人が轢かれちゃうかんじです」


「それで?」


「で、先輩はトロッコの線路を切り替えることができます。ですが二股のこの線路、切り替えても、もう一本の線路の先には、別の作業員がひとりで作業しています」


「あっ、そう」


「ではここで先輩に問題です。このまま五人が死ぬか、それとも線路を切り替えて一人が死ぬか、どちらを選びますか?」


「……一人」


「それはどうして?」


「別に。単純に死ぬ人の数は少ないほうがいいじゃん」


「それは全員の命の価値が平等だからですわね」


「つまんない問題」


 私はパルクールの練習に戻りたくなったので、手にしているボトルをバッグの中にしまった。


「まあまあ、この問題の真髄はここからですわ。この問題、ちょっと設定を加えるだけでがらっと変わっちゃう。ひとつ聞きますけど先輩の大切な人って誰ですか?」


「わたしの? ……お母さんとおばあちゃん」


「そうですか。では、さっきの問題に戻ります。もし線路の先の五人が凶悪強盗レイプ殺人犯五人組で、切り替えた線路先の一人が先輩のおばあちゃんだったら、切り替えますか?」


「……切り替えない」


「さっきは切り替えるって言ったのに」


「だって大切な人と知らない犯罪者との比較でしょ」


「それって、先輩の中で命の価値に差が出た証明じゃありません?」


 あっ。


 声には出さなかったけど、私の口が思わず開いた。


「五人より一人を選んだ。と言うことはその一人は、他の五人以上の価値があると思った証拠じゃないですか」


 私に綺麗事じゃない答えをくれたの、彼女が初めてだった。


「……学校の先生よりも面白い話してくれるね」


 わたしは無意識のうちに、再びバッグからボトルを取り出して、ドリンクを飲んだ。


「あえて平等というなら、絶対的な平等じゃなく相対的な平等かしら。まあ、命に限らず物の価値なんて、言葉ひとつで呆気なく変わる儚いものですわよ。だいたい価値というものに確たる基準がなく、人や時代、それぞれの主観で変わるからこそ、人間は愚かにも戦争や破壊を繰り返すのですわ」


「……そういう話、バイト先で教わったの?」


「あたしの人生相談所は偽善や綺麗事、オカルトめいた比喩なんかは一切ありません。あくまで事実に基づき、理知的、合理的、論理的に問題を解決しますわ。」


「ふぅん、いいね、そこ。私もそこでバイトしてみたい気がする」


「あら、じゃあ一度遊びに来ません? 相談事がなくても歓迎しますわ。もし悩み相談をしても無料にしますし」


「いいの? そんな約束、勝手にしちゃって」


「大丈夫ですわよ。あたしは所長に信頼されてて、それだけの権限与えられてますから。ところで、先輩の疑問にお答えしたことですし、今度はあたしの質問に答えてもらえません? 先輩のお名前、何と言うのですか?」


「……名前。……緑門莉沙りょくもんりさ


「緑門莉沙さんとおっしゃるんですか。それでは、今から相談所へご案内しますわ」


 自分でも衝動的だと思った。


 初対面の人にあっさりと付いて行くなんて。


 でも行きたいスイッチ入っちゃったし、見方を変えると、チャンスを逃さない機動的な行動だとも思った。


 私の鬱屈した毎日を彼女が変えてくれそうな気がしたから。


 彼女が案内したのは古めかしくて薄暗いビルの3階だった。


 そこの所長は、私を見るなり来たことを歓迎してくれた。


 ウルフカットのイケメン。


 ただ所長は、私と同じ目をしていた。

 いや、わたしよりももっと冷たい目。


「わたくし、ここの所長であります『贄村囚にえむらしゅう』と申します。どうぞお見知り置きを」


 そう言って、名刺を私に渡した。


 名刺を受け取った私は軽く会釈する。


 ここからが信じられないような本当の話。

 所長が語ったのは、普通の人なら耳を疑うような話だった。


 もうすぐ終末という世界の終わりが訪れること。

 終末後には選ばれた人間のみで新世界が創世されること。

 それで今の世界を新世界へと導く、先導者エバンジェリストと呼ばれる役目をしてくれる人を探していること。


 そして……、


「貴方にその先導者になって頂きたい」


 所長はわたしにそう告げた。


 所長が語る新世界、真樹って子の話で言うなら、自分の命の価値を高めようと努力する人だけで構成される世界。

 そこには偽善も綺麗事もない。


 なんか大変そう。


 でも、それって私の理想郷かも。


 続けて所長は、さらに驚くことを言った。


「我々はあなた方人間が、悪魔と呼ぶ者です」


 ……悪魔。


 って、なにそれ?


 急には信じられないけど。


 正直言って、聞いたときは冗談を言ってるのかなとも思った。


 でもこの二人、悪魔と自己紹介されても、違和感はなかった。


 真樹ちゃんは人懐こくて明るいけど、心の底には黒い陰謀のようなものを秘めてる印象。


 わかりやすく言えば、裏表がある子。


 所長は微笑みさえも鋭く突き刺さるような印象。


 わかりやすく言えば……、悪魔のような人。


 うん、やっぱり、悪魔。


 私、信じたいスイッチが入ったし。


 ってか、嘘でもいいじゃん。


 どうせつまんない毎日だし。


 それに、もし終末が本当で世界が終わって新しい世界ができるのなら、それは私の理想郷だし。


 私は先導者として生き残るらしいし。


「私、新世界を見てみたい……」


 わたしは悪魔に伝えた。


 すると所長はニヤリと微笑み、話を続けた。


「先導者の役目、それは誤った終末論を広げ、新世界創世の邪魔となる者の粛清です」


 粛清……?


 所長にそこのところ説明してもらうと、つまり新世界創世にとって、価値のない者は消す。

 その価値のない者とは、理に則って行動せず、情に負けちゃう人。

 そう言うことみたいだった。


「その粛清すべき者、それは人間が神と呼ぶ者とその支持者」


 ……神?


 そりゃそうか、悪魔がいるんなら神もいるだろうし。


 そして所長はこうも言った。


「ただ、いまの貴方は新世界への先導者として、神と戦うには些か非力。新世界創世へ向けて役立つ力、奇能を授けましょう」


 その時から。

 わたしには不思議な力が身に付いた。


 所長の言ったことは冗談ではなかった。


 悪魔から与えられた奇能……、それは大きな藁人形を出す力。


 その藁人形は、緑と茶色、左右で色が違うベストを着ていてちょっと変な姿。

 でも愛嬌があって可愛いかも。

 だけどとても強い。


 ふつうの人間なんか相手にならなくて、あっさり藁の中に飲み込んで消してしまう。


 そして奇能を与えられた人間は、ふだんの自分より身体能力が何倍にも上がるそうだ。


 じゃ、運動神経のいいわたしは、もっとすごいことができるってこと?


 やったね。


 そうだとしたらパルクールの大会、優勝しまくれる。


 とにかくその力を使ってわたしは二人、人を消した、いや、粛清した。


 一人は、痴漢。


 通学中の電車の中でわたしを触ってきたから。


 痴漢なんて割りに合わないことを、エロい気持ちに負けてやっちゃう頭の悪い人なんて、新世界に必要ない人だし。


 ウザいから、痴漢が降りた駅で後付けて行って、誰もいないところで声かけて消した。


 その後に行方不明事件って、奥さんが心配してるってニュースになってたけど。


 あんな男でも奥さんいたんだ。


 二人目は、事故現場のお供え物を荒らしてたワォチューバー。


 これもウザいから消した。


 こうやってわたしは悪魔の贄村さん、真樹ちゃんと一緒に、新世界創世に向けて生き残れる人間を選別していく。


 悪魔との出会いで、わたしは昔から抱いていた綺麗事への怨みを晴らすことができた。


 そう、幼い頃に聞いた先生の言葉には論理がなかった。


 これが正しいから、と強制的に押し付けられただけ。


 もしかしたら相手は子どもだからこの程度で良いって、ナメてたってことなのかもしれない。


 そのせいでわたしは綺麗事と現実のギャップに苦しめられきた。


 でもひとつだけ、本当だった綺麗事がある。


「雨が降っててもいつかは晴れの日がくるよ」


 これはその通りだった。


 悪魔と出会ってから、わたしは今までのもやもやした生活が晴れて、新世界を創るんだという目標ができた。


 これからのわたしは、パルクールで鍛えた身体と悪魔からもらった奇能で、終末後の新世界まで一気に駆け抜けてやるんだ。

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