第21話.相殺の男と蛇影の少女②

 呼びかけられた鬼童院戒きどういんかいは足を止めた。


 女の声の方へ目を向けると、道脇のブロック塀の上に、赤い和傘を差し、黒い着物姿という不釣り合いな人物が座っている。


 しかも、その顔には怒る鬼のような面。


「なんだ……? お前。般若の面なんかつけて」


 鬼童院がその人物に向けて言う。


「ふふふ、この般若の面は、貴方に向けたわたくしの心」


 そう言うと女は物怖じすることなく、傘を開いたままブロック塀から、ふわりと鬼童院の前方へと飛び降りた。


 彼女はアスファルトの道に降り立ち、面を外す。


 艶のある長い黒髪に切り揃えられた前髪、雪のような白い肌に、椿を思わせる紅の唇。

 切れ長で妖しいながらも可愛らしい目。

 そして低い背丈。


 外見から判断するに15、16歳ぐらいだろうか。

 まだ未成年のように見える。


「先程のお店の一件、店外から拝見させて頂きました。お年寄りの頭にお茶をかけるなんて。貴方のなさったことは人にあらず、まさに悪魔の所業」


 そう言って少女は微笑む。


「誰だ、お前?」


 鬼童院は尋ねた。


「わたくし、南善寺小咲芽なんぜんじこさめと申します。どうぞお見知り置きを」


 おっとりとした声で少女は名乗った。


「まさかとは思うが、お前もしかして……」


「そう。わたくし、神様に選ばれた先導者でございます。あなたのような思いやりのない人が、新世界に紛れ込まないよう陰で活動しています」


「感情的なクズジジィが威張り散らしていたから店員を助けてやっただけだ。寧ろ俺の方が優しい人間じゃねぇか」


「お年寄りをクズだなんて。お年寄りは募らせた不安や孤独から性格が怒りっぽくなるものです。あの方も若い頃は余裕があって、周りを気遣える人だったかもしれません。そこまで思いを馳せてあげられませんか。ましてやあのお年寄りは罪を犯したわけでもなし。翻ってあなたのやったことは、明らかに行き過ぎた正義」


「都合の良い解釈しかしてないようだが、若い頃から性格が歪んだクズだったかもしれないぜ。それにあんな人間、冥土の迎えが早いか終末で消えるのが早いかだろ。大体、お前らは他人を思いやれない人間は終末に生き残れないなどと吹聴して回ってるじゃねぇか。あんな思いやりのないジジイは消えるんだろ? 偽善者は自分の言動が矛盾してることに気づかねぇのか?」


「ふふ、杓子定規なお方。そんなこと仰ってると、貴方が歳を召されたときも、同じように孤独に苛まれて後悔しますよ。明日は我が身」


「おっと俺がそうなるかもしれないと言う根拠のねぇ推測で相殺するのを認めるわけにゃいかねぇな。それは俺が歳をとって実際になってから言ってくれや」


 鬼童院はアスファルトを力強く踏み切り、少女に向かって飛びかかった。


じゅんじろや!聖者の相殺セインツオフセット!」


 すると鬼童院の背後から、顔の右半分が漆黒、左半身が純白と左右肌色が違う、神父のような聖職者の姿をした巨大な陶器人形が現れた。

そして、その艶めく人形の胸が左右に扉のように開くと、そこから飛び出したのは褐色の大きなトラバサミ。


 そのトラバサミが人形と鎖で繋がっており、小咲芽と名乗る少女へと向かって飛んで襲いかかる。

 だが、小咲芽は臆することなく、ひらりとかわした。


おののきくださいませ、杯中はいちゅう蛇影だえい


 小咲芽は不敵な笑みとともにそう唱えた。


 すると、鬼童院のトラバサミがアスファルトの上にガチャンと音を立てて落ちたとき、道全体が水面のように揺らめき始めた。


 小咲芽の足元から現れたのは双頭の蛇のような影。


 左側の蛇だけ、真っ赤に光った目が付いているのがわかる。


 その影の蛇は水面を蛇が泳ぐように、体をくねらせ、鬼童院の足元目掛けて伸びてきた。


 みるみるうちに鬼童院の足元まで伸びると、二匹は左右に裂け、とぐろを巻くようにぐるぐると鬼童院の両足をそれぞれ上り始める。


 すると鬼童院の足はロックされ、前に進むことも後ろへ退くこともできなくなった。

「うおっ」と思わず唸り声を上げる。


「貴方のような人こそ新世界には不要。ここで粛清して差し上げましょう」


 小咲芽は手に持った和傘を畳み、満足げに微笑んだ。


「甘いぜ、小娘」


 鬼童院はそう言うと、まだ固定されていない上半身を大きく捻り、聖職者と鎖で繋がったトラバサミを振り回した。


 小咲芽は身軽にかわし続けるも、鬼聖院の速く執拗な攻撃に、段々と動きが鈍くなってゆく。

 連れて伸びた影の蛇も、コントロールできなくなったようだ。

 鬼童院の体を上る蛇行運動が止まっていた。


 やがて鬼聖院の腰あたりまで上っていた影の蛇はスルスルと下り、地面を這って小咲芽の足元へと戻り消えた。


「どうした、力尽きたか」


 鬼童院はチャンスとばかりに、相手への攻撃の手を緩めず襲い掛かる。


 小咲芽は柔らかい見事な後方転回で攻撃をかわすと、


「勝負は後日」


 鬼童院にそう告げて、持っていた和傘を前方に向けて広げその身を隠し、くるくると回した。


 しばらくして傘がばさっとアスファルトの上に落ちると、もうそこには小咲芽の姿はなかった。


 呆気に取られていた鬼童院が感じ取ったのは、背後から誰かがこちらへ駆けよってくる気配。


 ハッと気づいた鬼童院は急いで奇能を消した。


 誰か牛丼屋の一件を警察にでも通報したのだろうか。


 鬼童院は舌打ちをし、彼もその場から走って逃げた。

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