部屋に戻り、ベッドに突っ伏した。

 詞が残したノートが、いやに軽かった。この軽い紙の束に、言葉が綴られている。しかしそれは紛れもなくあいつの残した言葉で、それを意識した途端に、そのノートの重みが増した気がした。


 開くべきか。どうするべきか。そんな自問自答をしながら、ノートを眺めた。

 

 どれくらいの時をそうしていたのかはわからない。いつの間にか家族の明かりが消えていた。


 ノートに向かい筆を走らせるあいつの姿が目に焼き付いている。畏怖すら覚えたその光景。あいつが生きている時には、向き合うこともしなかった、その姿。


 こいつには、あいつの命が込められてる。

 もし、自惚れでないのであれば。それを受け止めるべきなのは、俺自身だった。


 ――それ、詞の前でも同じことを言えるんですか――


 昴の言葉が頭をよぎった。


「なんでお前ら姉妹は、俺に踏み込んでくるんだ。放って追いてくれないんだ」


 物置と化していた机から、荷物を雑に払いのける。そこへ、詞のノートを丁寧に置いた。読書灯をつけ、深く息を吸うと、――最初のページに指を伸ばした。




『やり残したことがある。

 いや、正確には、死ぬ前にそれをするか否か、決めきれずにいるのだ。

 私には友人がいる。彼のことが気がかりだ。

 夏生まれの癖に夏が嫌い。そんな彼は走ることしか脳が無い男だ。言葉は足らず、配慮も足らず、その癖、いつの間にか周囲を巻き込んでいる。その自覚が無いだけに、たちが悪い。そんな彼に思いを寄せ、振り回されている我が妹を不憫にすら思う。

 もし彼が走れなくなるようなことがあれば、周囲も困るだろう。そして妹も大いに悲しむだろう。それを考えると、私までもが辛くなる。

 

 その原因に、自分がなるのではないか、という自覚がある。

 私に勇気があれば。直接伝えることもできただろうに。


 こうして筆を走らせても、私は彼とともに走ることはできないという現実を知った。


 だから、である。

 私はここに、願うのである――』

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