第4話 また、夜に会おう

 海中で黒いカラスたちが自由に泳ぎ回って、僕らの周りを旋回する。

 僕を空に連れて行ってくれたカラスの背中に二人でしがみつくと、大きな翼で羽ばたいて海の中を上昇する。小さな泡がすごい速さで現れては遥か後ろへと消えていく。


「ぶはっ!!」


 大きなカラスと僕たちが海面から飛び出し、後に数千のカラスの群れが続く。海の中でも呼吸はできていたけれど、思わず深呼吸する。


「これ、カラスのカラス?!」


 大声で聞く田中の涙は海に流れて尽きていた。


「はは、意味わかんねえよ!」


 眼下には暗い東京。カラスは僕らを乗せたまま、高い夜空を飛んでいる。


「ねえ! 見て……!」


 田中が指を差した瞬間に東京タワーに小さなオレンジ色が灯る。炎が燃え上がるようにじわじわ広がって、すぐにいつもの姿になる。波紋が広がるように、ぽつぽつとビルやマンションの明かりが灯りはじめめる。暗闇に数多の色の光が生まれて僕らまで届く。


「なあ、夜が……!」


 暗闇の裾をあたたかい光が少しずつ押し上げている。白い光に思わず目を細めた。

 カラスたちは東に向かって高く鳴き、旋回しながら高度を下げる。ばさばさと降り立った場所は波が寄せては返す、海岸だった。田中に手を貸して砂浜を踏みしめる。

 僕らを乗せてくれた巨大なカラスの頬を撫でる。


「ありがとう」


カラスはぶるぶると巨躯を震わせ、大きな翼を広げて一息で飛び立つ。後を追うように一羽、また一羽とまだ暗い西の空に羽を広げて、飛んでいく。漆黒の群れが暗闇に溶けて見えなくなるまで僕らは手を振っていた。


「ねえカラス」


 田中は僕に不思議そうな目を向けている。


「カラスは箱がなかったのにどうして同じ夢を見れたのかな」

「……うーん、なんでだろうな」


 仮説はあったけれど披露したくないから誤魔化す。

 たぶん、僕は田中のことを考えていたのではないだろうか。自分の夢の中で君を探して、偶然ここにたどり着いたのかもしれないと考えていた。


「……本当に、ありがとね」

「お?」

「私のこと、認めてくれて」

「……ああ」


 つぶやいて、海の方を向く。

 悪い気はしない。でも、いまはまだ夜明け。朝を迎えてはいなかった。僕たちはここから歩き出さなければならない。

 海辺を見渡すと僕ら以外にも人がぱらぱらいる。みんな思い思いに砂浜で寝転がったり、波打ち際を歩いたりしていた。海で泳いでる人もいるし、沖合には白いヨットも浮かんでいる。

 海の反対側は砂浜が砂漠のように長く続いていて、その先に東京タワーやスカイツリーが見える。夢って何でもありだなと笑う。ここでは距離も時間も関係なくて、心の在り方だけがすべてなのかもしれない。

 気が付かない間に空はずいぶん白んできていた。皆、太陽を待っている。

 ふと、右手に温かいものが触れる。

 憂いを帯びた顔をした田中の左手が、ゆるく重なっていた。僕が少しだけその手を包むと、田中も同じだけ優しく握り返す。


「……目が覚めたら、一人だね」


 夜が後退し、燃えるような水平線を遠く眺める。水面に宝石みたいな光が反射しはじめる。

 ざざん、と音がして波が僕らの足を浸す。連れて行こうとする意志があるみたいに波は肌を優しく撫でて、沖へと引いていく。またすぐに次の波が来て、足を濡らす。耳の奥を揺らすような繰り返しが心地よくて、手を繋いで波のリズムに心をゆだねる。

 交わるはずのない僕と君の波形が、波のリズムに合わせて重なった気がした。

 東の空に、ついに太陽が現れる。

 白い光に包まれて、今まではっきり見えていた風景がやけに薄くぼんやりしていく。引き上げられるような、別の世界が侵食してくるような目覚めの感覚が体中を支配する。


「カラス!」


 僕を呼ぶ声が近いところと遠いところから二重に重なって聞こえてぼやける。


「カラス、やっぱり一人になるのは……怖いよ!」


 僕と君は別の人間だ。並んで座ったブランコで君に合わせて揺れてみたって、きっと完璧に一緒になることはできないし、何かの拍子にずれていく。

 別々の鼓動を刻んで、それぞれの道を歩いていく。


 朝焼けがこの世界を直視できないほどに輝かせる。

 彼女の茶色の髪の一本一本が光を反射して、太陽の下にいる君は綺麗だなんて思った。

 あぁ、記憶がやけに曖昧だ。

 覚えていたいとしがみつく意識を横目に心が漂白されていく。これ、夢か。

 二人を強く引きはがされる力に抗って、精いっぱい彼女の手を握る。

この女の子は誰だったんだろう。ついさっきまで大切に名前を呼んでいたのに、どうしてだろう。思い出せない。


「また、夜に会おう」


 それだけ言って、手が離れる。真っ白な光に飲み込まれて上昇する感覚に包まれる。

 約束をしよう。

 光を失くした暗い夜の底に悲しみや不安が胎動を見たなら、僕は真っ暗な空を泳ぎに行こう。

 明かりを消した部屋が深い海のように君を押しつぶそうとするならば、僕は海の底に錨を下ろして陸なんて見えない海の真ん中で君を待とう。

 時間も距離も関係ない。

 僕らには必ず夜が来る。

 独りの夜を知り、朝になっても君に優しくできたなら。


 交わらない僕らの波形は、少しだけ重なるかもしれない。

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寄せては返す、夜の色 木屋輔枠 @sx70

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