結 すでに終わった事件と、まだ始まっていない物語
さて、冒頭で「事の顛末を伝えたい人物の為にこの物語は書かれた」と言ったが、その必要はなくなってしまった。序文を訂正しても良かったのだが、本書の意図がそこにあることは変わらないので、あえてそのままにしておく。
第三駐屯地の事件から数えて半年後に、帝都は連合軍に包囲された。
それから一ヶ月を数える間もなく、御所に連合軍の特殊部隊が侵入した。それも、皇族が緊急時に利用する隠し通路からの突入であった。この情報がどこから漏れたものか、今もってはっきりした情報は表に出ていない。
結果論を許してもらえるなら、戦争は最も流血の少ない形で決着したといえる。
シェーン・ケイジ少尉は予定通り退役した。帝都に戻り、現在は孤児院に勤めている。
帝国が連合の統治下に置かれるようになってしばらく経ってから、彼とは一度だけ再会した。
私から会いに行ったのである。
理由はもちろん、本書の執筆の為――取材である。
彼は実名を明かさないことと、細君には何も聞かないことを条件に、当時の記憶を引き出してくれた。片足を失ったのが大きかったのか、かなり老け込んだようであった。
一通りの話を聞き終わって、私は訪ねた。
なぜ、嫌な記憶を思い出すような場所にいるのか、と。
彼は泥だらけで走り回る孤児を、やさしい目で見ていた。
「この子たちが、僕みたいな目に遭わなくてもいいように、ですよ。……それに、宗教はやっぱり必要だと思います。困ったとき、迷ったとき、誰かに頼りたくなったとき、頼る相手が見つからない人のために、とりあえずでも導いてくれる存在、無条件に頼っていい組織があるというのは、社会的に大事なことだと思います」
だが彼は、こうも言った。
「やっぱりね、僕も夢に見るようになってしまいました。実際には見てないはずなのに、神剣が皮膚を裂き骨を砕くあの瞬間を」
復讐はむなしい、などと安っぽいことを言いたくはない。今はただ、彼らの幸せを願おう。
盗賊団トライアドも、結局正体のはっきりしなかった魔法少女も、当局の手には落ちなかった。
周辺情報はこのくらいにしておこう。
つい最近、私はユハにも再会した。
事件から既に五年。当時からその片鱗はあったが、ユハは美しく成長していた。
窓枠に腰掛けて書きかけの原稿を読んでいる美女の素性に、最初、私は全く気付かなかった。
「何が事実に即している、よ」
大きな目を吊り上げる。宝石店でやられたらなんでも買って機嫌をとりたくなるほど魅惑的だった。
「あたし、こんなにバカっぽかったかしら?」
そう言われても、わからなかった。
「不能になっていないわよね?」
そう言われて、ようやくわかった。
「おかげさまで子供もいるよ」
「男の子?」
「男女の双子。見る?」
「……やめとく」
なにか嫌な想像をしたのか、ユハは麗しい眉をゆがめた。
「しっかし、作家ねえ……。嘘に磨きをかけたわけだ」
「なるべく事実を書いているつもりだが」
「よくもまあ。……あれ? あんた、そんなしゃべり方してたっけ?」
「色々と世間体があってね」
私は普段、社会派作家で通っている。
「あたしに対して世間体なんか気にしないでよね。引退したの?」
「何から?」
私の話を聞いてくれるつもりはないらしい。
「そうそう。面白い話があってね……」
そう断って始まったユハの話は、珍しくも「面白い方」に分類できるものだった。
帝国が降伏して間もなく、連合は帝国領に治安部隊を大量に送り込んできた。表向きはその名のとおり、治安維持の為であるが、後の領土分割に備えて、事実上の占領地を確保したかっただけなのは言うまでもない。連合が一枚岩であったなら、帝国はもっと早く降伏していただろうと言うのが、軍事学者の定説だ。また、戦争とは戦っている最中よりも、終わってからの後始末のほうが大変で、社会の混乱も激しくなる。
そうした戦後処理の混乱の中、教会は戦争被災者救済の為によく動いた。
しかし、教会よりも早く、戦火に焼かれた町や村を巡り、救援物資を配ってまわった組織があったのである。
彼らはどこから用意したのか、大量の食料と武装を備え、傭兵崩れの野盗や規律の足らない占領軍の脅威から市民を守った。
その義勇軍が用いていた装備は、なぜだか帝国軍の制式品ばかりだったらしい。
「麗しいオハナシよね?」
「そうだな。世の中、いい人たちもいるものだ」
私たちは探り合う視線を交わした。ユハの顔が、ずいっと迫ってくる。二つの顔の間には伸ばした腕ほど距離もない。妻に見られたら後ろから撃たれても文句を言えない状況だ。
「僕じゃない」
私はつい、そう言ってしまった。嘘ではないのだが、ユハは言葉の裏を読んだようだった。
「いくらで売れた?」
「……君は現役みたいだね」
「まあね。でもそろそろやばい。平和になりすぎて、口封じされるかも」
その言葉でわかったことが一つある。
彼女が司令を人質に取った騒ぎの、本当の理由だ。
あれは行き当たりばったりの行動ではなく、計画の一部だったのだろう。
トライアドの構成員が物資強奪の為に軍に潜入していたように、某国の本物のスパイが、第三駐屯地には何人もいたのだ。彼らはユハと雇い主を同じくしていたはずだ。ユハが暴走したように見せかけている間に、スパイが司令室にあった機密文書を盗んだか、指令を尋問して情報を引き出した。第三駐屯地の当時の指令は、曲がりなりに帝室にも連なる人物だった。何かの情報を握っていたとしても不思議ではない。
それを隠すため、彼女は施設ごと司令室を破壊した。あの時の脱走兵の誰かが、スパイに違いない。ユハが暴れたおかげで、彼らは無事に情報を持ち帰ったのであろう。
ユハは徹頭徹尾「囮」の役目だった。だから、わざと目立つ行動を取り、頭の悪い子供を演じた。
第三駐屯地に、彼女ら――の所属する組織――が欲した情報があったかどうか、それはわからない。帝都陥落の時期を考えると、なかったと判断するのが自然だ。
指摘してもよかったのだが、返事は貰えなかっただろう。
それに、私とて深夜に特殊部隊の訪問を受けるのはご免被りたい。まだまだ書きたいことが残っているのだ。
だから私は黙っていた。
「あいつが犯人だったのか……」
ユハは原稿をめくりながら、感慨深げに呟いた。
「君のほうこそ、犯人もわかっていたのでは?」
「それは無理」
ユハは原稿を机に戻し、爪でたたいた。
「トリックと犯人のつながりが弱かったもの。それに、あの時点で、あたしは人間関係に関する情報をほとんど知らなかったのよ?」
そう言われると確かにそうだ。動機は確かめてから話そうと思っていたのだが、その前に彼女は事を起こしてしまった。
「でも、神剣が病室から出て来たってことは……」
「そっとしておいてやってもらえる?」
私は彼女の言葉を強引にさえぎった。
「それ、なんか傲慢に聞こえるなぁ」
そうかもしれない、と私は思った。心のどこかで、彼に恩を売った気になっていたのかもしれない。そっとしておけと言っておきながら、私は、彼を訪ねて過去をほじくり出した。さらに、公衆の目に触れさせ、それで金を稼ごうとしているのだ。
「あ、悪いこと言った?」
「いや。君が正しい」
「そ。これっていつ出るの?」
「早ければ再来月」
「じゃあさ、その頃にまたくるから、サイン入れて一冊よせといて」
「買ってくれるとうれしいのだが」
私がそう言うと、ユハはにやりと笑った。
「今の仕事がうまくいったら、ネタあげるからそれでひとつ」
「書いたら当局に消されるようなネタは勘弁して欲しいね」
「あらん? 恨まれている自覚はあったのね」
その笑い方だけが、当時のままだった。
どうやら私は、かなり厄介なネタ元を抱えることになりそうだ。
実を言うとこの時点で、すでに私は彼女の抱えていた問題に巻き込まれていたのではあるが――
――それは、まだ始まっていない物語。
〈了〉
魔法密室 上野遊 @uenoyou
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