美徳VS大罪

 聖人と呼ばれる少女と、大罪の魔術師と名乗る少年が戦うには、一室という遮られた空間はあまりにも手狭すぎる。

 故に、蹴り上げられた机が地面に落ちる頃には、二人の姿はとうに消えていた。


傲慢スペルビア


 窓から覗く景色に向けて座標を移動するユリス。

 それに合わせて、ミーシャは聖人の体質を駆使して窓を突き破り、ユリスが移動した場所へと向かう。


「傲慢の魔獣―――その権能は、相手を跪かせるための重力だ」


 指を鳴らし、背後に禍々しく黒に追われた獅子が出現する。

 その瞬間、肉薄していたミーシャの体が地面へと沈んだ。

 しかし――――


「全ては幸を分かち合うため――――譲渡 ヒュミリタス


 そう口にした瞬間、ミーシャの足が少しばかり上がる。

 代わりに、獅子を携えたユリスが固い地面へと膝をついてしまった。


「……?」


 頭から背中に。強大な何かがのしかかるような感覚を覚えてしまうユリス。

 その間にも、ミーシャは重たい足取りで獅子の権能を受けながらも足を前へと進めていった。


(なんだ……これは?)


 近づいてくるミーシャをよそに、ユリスはその疑問のみが浮かび上がる。

 足が重たい。起き上がることはできるが、それ以上動くことができない。背中からは逆らおうともしたくないがのしかかってくる。


 これは、まるで――――


「俺の、重力……?」


「正解だ」


 拳が届くか届かないかの距離までやって来たミーシャが呟く。

 そして、拳ではなく蹴りをユリスの顎めがけて放った。


「私の譲渡 ヒュミリタスは肩代わりの魔術だ。己の幸せを他人に分け与えるために作った魔術だが……用途は様々だ」


 腕が上がらないユリスは顎に蹴りを受けてしまうが、重力によって倒れることも許されない。


「セシリアがしたように他者の傷を肩代わりすることもあれば、己の受けた傷を他者に共有することもできる—―――簡単に言ってしまえば、ということだ。言っている意味は、分かるだろう?」


「くそっ……!」


 ユリスは慌てて傲慢の魔獣を解除する。

 このまま権能を行使し続けても、己だけが動けないまま事が進んでいくだけ。

 それならばと、ミーシャの魔術を理解したユリスは攻め方を変えた。


「ふむ……解除すれば私が動きやすくなってしまうぞ?」


「あがっ!?」


 その言葉を告げた瞬間、ユリスの体が彼方へと飛んでいった。

 何度も地面をバウンドし、転がり続け、止まる頃には地面を転がった際の背中の痛みと—―――腹部に走る痛み。


(化け物か……ッ!?)


 腹部に走る痛みと、睨む先にいるミーシャの姿を見れば容易に何をされたのかが理解できる。

 振りぬいた足。無論、


 それなのに、これほどの衝撃と速さ――――ユリスは怠惰アケディアを展開できなかった悔しさより、ミーシャの異質さに驚愕してしまう。


「私のような聖人をそこいらの人間と同じに考えないでくれ。こっちとしては、伊達に神の申し子と言われてないんだ……身体能力は、人間の比ではない」


「痛感しているよ、こんちくしょうが……ッ!」


「なら――――しっかりと、私の美徳を受け止めろ」


 ミーシャの体がブレる。

 そう感じたユリスは、反射的に怠惰アケディアを展開する。

 その瞬間、ユリスの背中に先程とは格段に強くない痛みが迸った。


「……感触が違うな」


 またしてもブレる。

 次は、眉間に痛みが走った。


「これは……君の魔術か?」


 声がしてようやくユリスがミーシャの姿を捉える。

 全ては事後。明らかに、ユリスはついていけてなかった。

 それに—―――


(こいつも怠惰アケディアで防ぎきれねぇのか……っ!)


 アイラと戦った時も、怠惰アケディアは全てを防ぎきれなかった。

 それは単純に、怠惰アケディアが受ける許容範囲を超えてしまった一撃を受けてしまったからであり、それを理解しているからこそユリスは焦り、驚愕してしまう。


怠惰アケディアがなかったらあっという間に終わってる……! かといって、怠惰アケディアを展開し続けてもジリ貧!)


 何やら顎に手を当てて考え込んでいるミーシャ。

 その隙に、ユリスは傲慢スペルビアによって屋根の上へと距離を置いた。


「ふむ……では、こうしよう」


 ユリスが屋根の上で警戒する中、ミーシャはユリスに向かって指をさす。

 それを見たユリスは、再び警戒の色をと怠惰アケディアを再び展開する。


「誰もが己を律し、湧き上がる欲を湧き上がるまでに留めることを—―――節制テンペランティア


(何か来る……!?)


 言葉を紡ぎ終えたミーシャを見て、再び警戒心を強めるユリス。

 だが――――


「何も……起きない?」


 紡ぎ終えても、何も変化がなかった。

 景色も、ユリスの体にも、ミーシャにも、特段何か変化が起きたようには感じない。

 しかし、ミーシャはそんなユリスを見て薄く笑った。


「いや、


 もう一度、ミーシャの姿がブレる。


怠惰アケディアを展開していれば最低限だいじょ――――)


 そう、慢心と安心しているユリスの体が……吹き飛んだ。


「ばがぎっ!!!???」


 腹部に走る痛みを感じながら、ユリスの体が屋根から地面へと再び転がっていく。

 怠惰アケディアを展開していてもなお、痛みは初めに受けたものとなんら変わりはなかった。


「がふっ……」


 勢いが止まり、現状を理解できていないユリスが口から大量の血を溢す。


「俺は、怠惰アケディアを行使していたはず……!」


 では、いったい何故?

 その答えは—―――


節制テンペランティアは力を抑えるための美徳だ。強大な力こそ、平等という土俵の輪に外れた言葉……それは不平等だ。同じ土俵まで抑える必要がある」


 カツ、と。

 いつの間にかユリスを見下すように目の前に現れたミーシャが顔を覗く。


「君の力を抑えさせてもらった。もちろん、私は違うぞ? そういう美徳の魔術なんだ、許してくれ」


 その表情には余裕しかない。

 しかし、驕る様子も見下す様子もない――――ただただ、慈悲を浮かべて。


「救恤を拒んだ君だ—―――当然、美徳に立ち向かったあとの結果ぐらい覚悟はしているのだろう?」


 だから、と。


「安心して倒れたまえ。その先には、私の救恤が待っている」


 その瞬間、再びユリスの体が吹き飛んだ。

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