エピローグ②

 ユリスがアナスタシアに手を伸ばした。

 口にしたセリフは粉う事ない告白であり、ユリスが生涯二度目に口にしたセリフでもある。


「今すぐに統治する訳じゃない。これまで通り学園に通って、皆でわいわい騒いで、想い出を残して、最後にここに帰る」


 書簡には続きがあり、『ユリス・アンダーブルクが学園を卒業した後、ミラー領の統治を命ずる』と書かれてある。

 つまり、今のユリスは爵位を与えられただけで、貴族としての責務は負っていない状態————これまで通り、学園に戻り学園生活を送るのだ。


「俺達がいない間は、伯爵が統治してくれる。安心して俺達はあいつらと過ごせばいい……お前は大切な人を失った————けど、それをあいつらは埋めてくれるはずだ」


 アナスタシアは、間違いなく傷心している。

 両親が亡くなり、親しい人が自分を守ろうとして命を落とし、気丈に振舞っているがその心はズタボロに傷つき、ぽっかりと穴が空いているはず。

 だが、学園に戻れば親しい友人がアナスタシアを迎えてくれる————一人残されたアナスタシアに、温かさを送ってくれると、ユリスは思っている。


「それでも埋まらないなら俺が埋めてやる。足りなくて、あいつらでは穴が埋まらないのなら、俺がずっと側で埋め続ける。楽しい時も、寂しい時も、側で支えてやるし、一緒に笑ってやる」


 差し出した手を引っ込める事なく、ユリスはしゃがんでアナスタシアと視線を合わせた。


「……それは、同情からのお誘いなのかしら?」


「馬鹿言え。俺が同情や責任でこんな事言うかよ————アナだからこそ、俺はこんな恥ずかしいセリフを吐いてんだ」


「ふふっ、確かに恥ずかしいわね……聞いてるこっちまで恥ずかしくなってくるわ」


「おいこら、人がせっかく覚悟決めて言ってるのに、その反応はあんまりじゃないか?」


 良い雰囲気を、アナスタシアの微笑が霧散させる。

 それによって、羞恥が湧いてきたユリスはアナスタシアにジト目を向けたのであった。


「けど、そうね……」


 そんなジト目を受けながら、アナスタシアは清々しい表情で外を見る。

 そして、ポツリとユリスに向かって口を開いた。


「私、お父様が守ってきたこの領地を守りたいわ」


「……俺はまだ未熟だが、色んな人に教わりながら守っていくさ」


「皆にも会いたいわ」


「これから会えるさ。そしたら、前みたいに笑って何処か飯でも食べに行こう。きっと、楽しいはずだ」


「後は、そうね……」


 アナスタシアは思案する。

 だが、それも少しの間だけで、すぐに口を開いた。


 外から視線を戻し、真っすぐにユリスを見つめる。



「あなたが、欲しいわ」



 ストレートに、想いの丈と願望を合わせた言葉を紡ぐ。


「好きよ、ユリス。多分、今にして思えばあの時から————ユリスと過ごした子供の頃から、きっと私はあなたを愛していたんだと思う」


 その表情はセシリアみたいに朱に染まらず、堂々といっぱりと言い放つ。

 羞恥など、今のアナスタシアからは感じられなかった。


「あの子が一番なのは分かっているわ……それでも、私はあなたが欲しい。あなたの愛が欲しい。何番目でも、一番にしてくれなくても、あなたの側にいたい。死ぬ時まで、ずっと」


「愛が重くないか……?」


の影響なのかもしれないわね……でも、私はそれぐらいあなたを愛しているのよ? 人の告白に突っ込むなんて、男として恥ずかしくないのかしら?」


「言っておくが、お前が先に突っ込んできたからな? 俺はやられたらやり返す主義なんだ」


「ふふっ、そうね……知ってるわ」


 二人の間に笑みが生まれる。

 重たい空気など完全に消え去り、今の二人を囲っているのは仄かな幸せだ。


「ねぇ、ユリス————」


 そして、アナスタシアはユリスの頬に手を伸ばした。

 ユリスはそれを拒む事なく、己の顔をアナスタシアに導かれるまま近づけていく。


 やがて、二人の顔は眼前まで近づき、そのまま唇を重ねた。


「私は、三番目の提案に乗る事にするわ。私の全てをあげるから、あなたの愛を頂戴」



 ♦♦♦



 それから幾ばくかの時間が過ぎ、再び室内に静寂が訪れる。

 ユリスは立ち去り、想いの丈をぶつけたアナスタシアは呆然と虚空を見つめた。


 この部屋には誰もいない。

 セシリアも邪魔したくないと思ったのか、あれから姿を見せる事はなかった。


 だけど、アナスタシアの脳内に聞き慣れた声が聞こえた。


『(いやはや、何とも羨ましい結末じゃないか)』


 いきなり聞こえたその声に、アナスタシアは驚く事はなかった。


「いきなり現れてくるのね」


『(仕方ない、どういう原理でボクがここに残ってしまったのかは分からないが……今は君の中にいる。ボクが現れる瞬間は、必然的に「いきなり」になってしまう訳だ)』


 その声からは悪びれる様子が一切なかった。

 仕方ないのだと、その声は己の無罪を主張する。


 ————アナスタシアが目を覚ましてから。

 その声は唐突に聞こえ始めた。


 ついこの間まで自分の側に居続け、多大な渇望を身に纏い、愛という厄災を自分の体で振りまいた張本人。

 死んだと思っていた存在が、何故かアナスタシアの中に残っていた。


 原因は分からない。

 だが、表に出てくる様子もなかった為、アナスタシアはその存在をユリス達に隠し、その存在を受け入れていた。


『(それにしても、一見ハッピーエンドに見えてバッドエンドな結末に、君はどう思っているのかな?)』


「……どういう意味よ?」


『(いやいや。手元には少年という存在を手に入れたが、家族を失い、今の君にはほどんど何も残っていない。更に、その瞳————君は、薄々分かっているのだろう?)』


「えぇ……これは、ね?」


『(ご明察。といっても、平常時ならボクの体質は発揮しないよ————君の感情が昂らない限りは、安全無害のお洒落なアイデンティティってところさ)』


 アナスタシアは窓に薄っすらと映る自分の瞳を見る。

 赤目に桃目、これの何処がお洒落なのかと、悪態をつきそうになった。


『(それに加え、のだろう? 総評して、ハッピーエンドとは言えない結末じゃないかい?)』


「…………」


 アナスタシアは口を閉ざす。

 別に魔女の発言が癪に障った訳ではなく、ただその事実を噛みしめているだけ。


 そして、少し前に言われた話を思い出した————



 ♦♦♦



「ごめんなさい」


 開口一番、聖女服を着たセシリアが頭を下げて謝罪した。


「何を誤っているの? あなたは、私を助けて……生き返らせてくれたのよ? 感謝こそすれど、謝ってもらう事はないわ」


 それに対し、アナスタシアはセシリアの頭を上げさせる。

 自分が目を覚まさせた経緯を聞いた。セシリアが血を流しながらも、自分を蘇生し、その後の看病までしてくれた。


 そこに謝罪をされる瞬間などない。

 アナスタシアには、感謝しかなかったのだ。


 だが、そんなアナスタシアの言葉を聞いても、セシリアは申し訳なさそうに首を振った。


「いいえ……私は、アナスタシアさんを蘇生できても。私はただ、肩代わりをしたに過ぎないのですから……」


「肩代わり……?」


「はい……私は、アナスタシアさんの『死』を肩代わりしました。その結果、アナスタシアさんは目を覚まし、綺麗な鼓動を奏でる事に成功……したのですが、代償があるんです————」



 ♦♦♦



『(まさか、寿、なんてね)』


「…………」


『(それに加え、ときた————これまた、本当にハッピーエンドとは言い難い)』


 アナスタシアが押し黙る。

 自然と左手が己の胸に伸び、意識をしないまま己の心臓がある部分を握りしめた。


 悲壮感……そうではない。

 怒りや喜び、安堵に罪悪感————色々な感情が入り混じってしまったからこそ、アナスタシアの顔が歪む。


『(君は、この結末で満足かい? 短い余生を想い人と過ごす、それもまた一つの愛なのだろうが、果たして君は満足のいく結果なのかな?』


「いいわけないじゃない……」


 そして、声のしない相手に向かって静かな怒りをぶつける。


「嬉しいわよ……ユリスと結ばれて、これ以上ないくらい嬉しい————だけど、その間に二人の犠牲があるのなら、私は絶対に満足もしないし納得もしない」


『(…………)』


「ユリスやセシリアが私に幸せと生をくれたのなら、今度は私がなんとかしたいわ。それが、私の本当の気持ち————きちんと納得して、ちゃんとした幸せを掴みたい」


 これは、アナスタシアが二人には言わなかった本音である。

 もらえるだけもらい、支えるだけ支えてもらい、自分は何も与えれてないという罪悪感と正義感が混ざった感情。


 恩、という簡潔な言葉では収められないような、アナスタシアの気持ち。

 誰かを傷つけた上での幸せを、アナスタシアは噛みしめたくないのだ。


『(素晴らしい……うん、流石はアナスタシアだ。ボクは、悪感情なく素直に君を尊敬し、尊重しよう)』


「……馬鹿にしてるの?」


『(そんな訳がないさ————ボクは幸せの上での愛の育みは素晴らしいと思っている。そして、君の気持ちも痛いほどに分かるつもりだ。何故なら、ボクは君であり君はボクなのだから)』


「…………」


『(だからこそ、君に耳寄りな情報を教えよう。ボクが生きていた頃————その中で、少し不思議なお話があったんだ)』


 そして、魔女はアナスタシアに向かってその言葉を伝える。



『(聖人、その存在は究極無欠の存在であり————人間本来の姿を取り戻させる。もし、その存在と出会う事ができたなら……君と、少年とあの子に溜まった不純物じゅみょうを取り除き、あるべき普通の人間として生を過ごせると思わないかい?)』



 これは、愛の物語だ。



 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


 ※作者からのコメント


 お久しぶりです、楓原こうたです。

 これにて、三章完結になります。


 かなり暗いお話ではありましたが、いかがでしょうか?

 辛い展開ばかり続いてしまい、不快に思われた方には謝罪を。


 また、諸事情により投稿が今まで以上に遅れてしまいます。

 書籍化作業も順調に進んでおりますので、ご勘弁願えたらと思います。


 別件ですが、今回、私もカクヨムコンにも参加しておりますので、ご興味があればそちらの作品も読んでいただけたら嬉しいです。


 引き続き、拙作をよろしくお願いいたします。

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