エピローグ①
飾りっ気のない一室。
端には一際大きなベッドが一つ、反対側には小さな作業机と丸椅子が置かれてあり、床には羽毛で作られた茶色い絨毯が敷かれていた。
窓から入る風によりカーテンが靡き、同じように紅蓮のような赤い髪も揺れる。
「…………」
白いカーテンに遮られているにも関わらず、少女はベッドから起き上がり外を眺めていた。
髪と同じ色の左目、薄桃色の右目からは何が見えているのか? それは分からない。
「アナ、入るぞ」
そんな時、部屋の入り口から声が聞こえた。
視線を外から移すと、そこにはミスリルのような白色の髪をした青年が小切りにした果物を皿にのせて運んでいた。
「普通はノックしてから入るものだと思うけれど?」
「細かい事は気にするな」
そう言うが、アナスタシアはさして怒っている様子は見せない。
きっと、ユリスがこういう性格だと割り切っているからだろう。
「体調はよくなったか?」
「それ今朝も聞いたわ。何回同じことを聞くのよ?」
そう言って、アナスタシアは嘆息つく。
あれから数日。今は療養中のアナスタシアの元には、毎日あしげにセシリアとユリスが通っていた。
だが、ユリスの心配が心配する理由は、アナスタシアも理解している。
鏡を見た時に映る自分の瞳。
見慣れた紅玉ではなく、ローズクォーツのような色に変わった右目。
視力は問題ない。だが、あれから数日経った今でもこの変色は戻っていなかった。
「純粋な心配故だ。セシリアに比べたら俺なんて少ない方だろ?」
「えぇ……そうね」
そして、ユリスは机の上に皿を置くと、そのまま丸椅子に座り足を組んだ。
「あの子は一緒じゃないの?」
「セシリアは絶賛夕食準備中。何でも、花嫁修業も兼ねて俺達に振舞いたいんだとさ」
「……大好きな女の子が手料理を振舞ってくれる感想は?」
「大変素晴らしいと言っておこう。なんか、胸にくるものがあるよな」
この屋敷にはまだ使用人がいない。
当然、いなければ自分達で食事の準備をしないといけない訳で、今まではユリスが準備していた。
だが、今日に限ってはセシリアが担当。
ユリスの作った料理を食べたセシリアが「わ、私も料理ができなければ……奥さんとしての立場が失われてしまいます……っ!」と言ったのが発端である。
「この間から貴族連中がごぞって来るから疲れたわ……貼り付けた笑顔も、畏まった口調も、俺には似合わんし疲れるという事が分かった」
「あなたも一応貴族でしょう……」
「こちとら子爵息子。伯爵以上を相手にする事なんて滅多にないし、基本的に父上が相手にしてたからなぁ……」
ユリスはアナスタシアのジト目を受けて頬をかく。
その時のユリスの表情には若干の疲労が伺えた。
というのも、此度の一件でミラー公爵家当主、及び夫人とその所属騎士が命を落とした事が世間に知れ渡り、一人残ったアナスタシアにつけこもうとした貴族が集まってきたからである。
アナスタシアは現状、体調は良くなったものの万全とは言い難い。
そんな中で貴族の相手をするのは精神的負担が大きく、万全になるまでユリスが相手をしていたのだ。
といっても、ユリスにできる事は少なく、のらりくらり躱しながらお引き取りさせる事。
それが連日続いた為、ユリスの表情に疲労が浮かんでいるのだ。
「目ざとい奴らだよ。人の気も知らねぇで」
「仕方ないわ、そういう世界だもの」
悪態つくユリスに対して、アナスタシアは仕方ないと割り切る。
ここが、責任の持ちようの違いが表れているのだろう。
そして、話題を変えるようにユリスの表情が急に引き締まる。
「……さっき、王室から正式な書簡が届いた」
「……そう」
ユリスは懐から一つの便箋を取り出した。
封には王家の紋章が描かれており、王室からの正式な書簡という証として使われている。
その書簡をユリスから受け取ると、アナスタシアは一通り目を通す。
「なるほど、ね……そういう話になる訳」
すると、考えるように顎に手を当てた。
そんなアナスタシアに、ユリスは口を開いた。
「もう少し後に決めさせたかったが……書簡が来た以上、そろそろアナの身の振り方を決めておかなきゃいけない」
アナスタシアを取り巻く環境は劇的に変わった。
当主である親は死に、家族どころか騎士も使用人も失い、残るのは領民と学園に残る専属の使用人だけ。
血筋はアナスタシア一人だけになり、公爵家の責任や職務全てが小さな女の子の肩にのしかかってしまった。
だが、アナスタシアは少しかじった程度の女の子。
いきなりここを統治しろと言われても無理な話がある。
だからこそ、今後の身の振り方を決めなければならない。
いつまでも、のらりくらりで過ごす事はできないのだから。
「一つが、このままミラー領に残って領主になる事だ。それを選べば、王室からサポート役に何人か派遣される事になる。加えて、身も固めなきゃならん」
ここでユリスが言った身を固めると言うのは、結婚をしろという事だ。
家族がいなく、血筋を残していくには結婚して子孫を残さなければならない。それがミラー公爵家を存続させる為に必要な事で、貴族としての責務である。
幸いにして、今までユリスがお引き取り願った相手の大半は縁談を持ち込んできた。良くも悪くも、相手に困ることはない。
「二つ目が、ここの統治を他の貴族に任せて学園に通い続ける事。学園を卒業し終わるまでの間、代理で統治してくれる伯爵家の当主が名乗りを上げてくれた。報酬もなし、アナが戻ってくれば引継ぎとノウハウを教えて全てを返すと言っている————話した限りでは邪な考えなんてなかった。完全な善意だけで持ち掛けてきたよ……これだけで、アナのお父さんが慕われてたって事が分かったわ」
学園で得られるものは大きい。
卒業したという称号や、普段得られる機会の少ない下の貴族との接点、自衛の為の魔法技術等————在籍している以上、通っておかなければ公爵家の人間と言えど勿体ない。
だが、その間にミラー領は統治する人間のいない空白の時間が生まれてしまう。
そこで、以前ミラー公爵が統治していた伯爵の当主が「代わりに統治する」と名乗りをあげたのだ。
『恩に報いる事ができなかった。ならば、残った公爵の為に力を尽くすのみ』
ユリスは、実際に伯爵と会っている。
その際に、ユリスなりに彼の人となりを見た。
忠義、恩義、敬意、感謝————そんな部分が見え、下心や邪念は一度も見えなかった。
だからこそ、任せても問題ないと思っている。
今提示した二つの中では、最も最良の選択肢だとユリスは考えているからだ。
「多分、名乗りを挙げたのはレビス伯爵ね。あの人しか思いつかないわ」
「ご明察」
「だって、昔からお父様と親しかったもの————そこまで恩義を感じている理由までは分からないけど」
アナスタシアは肩を竦めながらも嬉しそうに小さく笑みを浮かべる。
きっと、恩人亡き今でも支えてくれる人間がいると分かったからだろう。
「————さて、提示した二つ。アナはどれを選ぶ?」
ユリスはそんなアナスタシアを見て選択を迫った。
だが、アナスタシアは手に持った書簡を突きつけて不敵に笑う。
「まだ、三つ目の提示を聞いてないわ。それを言ってから決断する」
「……はいはい、仕方ないな」
ユリスは不敵に笑うアナスタシアの態度に苦笑いする。
————突きつけられた書簡。
そこには、こう書かれてあった。
『ユリス・アンダーブルクに公爵の爵位を与え、ミラー公爵領の統治及び周辺領地の管轄を命ずる』
「────今回、俺は俺の犯した罪の清算をしようと思う」
「あなたは別に悪くはないと言ったわよね? 今回の件は私の所為……あなたが謝る事じゃないわ」
「アナがそう思っていても、俺はそう思っている————これは、俺なりのけじめだ」
アナスタシアの双眸がユリスに注がれる。
一つ一つの言葉が、部屋に反芻するほど二人の間には静かな空気が訪れた。
「……セシリアとは話をつけた————俺は覚悟を決めたぞ、アナ」
ユリスは立ち上がり、真摯とは程遠い欲を滲ませるような笑みを浮かべて、アナスタシアに手を差し伸べる。
「アナ、俺のものになれ。強欲で傲慢な俺が、お前に幸せを与えてやる」
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