聖女の奇跡
「セシリア……?」
黒く染った双眸で、ユリスは現れたセシリアを見やる。
「はい、セシリアですよ」
黒い眼と肥大化した腕を見ながら、セシリアはユリスに向かって優しく微笑む。
悲しみに打ちひしがれるユリスを落ち着かせようと、安心させようと優しく微笑んだのだろう。
だが、ユリスの悲しみは拭えない。
「アナは死んだよ……自分で勝手に逝きやがった……」
噛み締めるようにアナスタシアの体をぎゅっと力を込めて抱きしめる。
「俺に力が足りなかったから! 傲慢で、驕っていた自分が……っ! この力があれば誰でも救えると、身近な大切な存在を守れるだろうって! そう思っていたから、アナを死なせた!!!」
肥大化した腕はそれ以上は大きくならなかったものの、涙だけは止まらない。
セシリアという存在が、かろうじて憤怒を抑え込んでいる。
「これ以上何ができる!? セシリアの力でも、死んだ人間までは生き返らせる事はできないっ! それが理だからだ! それ以上は覆す事なんてできない!!!」
セシリアに顔を向けず、ユリスは叫ぶ。
ぶつけようのない感情をセシリアにぶつけている訳ではない。ただ、己に向かってぶつけているだけ。
アナスタシアの亡骸が、ユリスの心を弱らせる。
しかし────
「大丈夫です、ユリス……奇跡は、起こします」
そんなユリスを、セシリアは後ろから抱き締めた。
「ユリスの力は凄いです。でも、それでも救いきれない事がある事も知っています」
ユリスの手は無限にある訳ではない。
二本の手足に一つの体。救いきれる人間など、どんな力があろうとも両手で包み込むほどしか存在しない。
だけど────
「そんなユリスの隣には、私がいます。救いきれない人間を、私が拾ってみせます……だから泣かないでください。ユリスがそんな姿で泣いているのは、アナスタシアさんも嫌なはずです」
アナスタシアの体とは違い、セシリアの温かい体温がユリスを包み込む。
その温かさを受けた事によって、徐々にユリスの鼓動が落ち着き始めた。
「……できるのか?」
「はい」
「アナを……救う事ができる、のか?」
「任せてください。私は、これでも聖女ですから」
不安そうに見上げるユリスに、セシリアは安心させるように笑顔を見せた。
その笑顔は、まるで聖母のように見える。
「……それじゃあ、頼む。俺にできる事があったら、なんでも言ってくれ」
「そうですね……多分、私はこの後疲れちゃいますから、撫で撫でしてくれたら嬉しいです」
「それだけでいいのか……?」
「それだけ、という訳ではありませんが……現状、私一人しかできませんからね」
何も役目はない、そう言われてユリスは少しだけ肩を落とす。
「それと、できればこの部屋の外で待っていてはくれませんか?」
「……どうして?」
「ごめんなさい……どうしても、ユリスには見られたくないんです」
そう言って、セシリアは頭を下げる。
どうして側にいていけないのか? 見られたくないとは一体何なのか? 何をするのか? そんな疑問がユリスの頭の中で渦巻く。
だけど、それでもセシリアが言うのであればと、ユリスは不安そうな顔を残しつつ、アナスタシアその場に寝かせて立ち上がった。
「……何かあったら呼んでくれ」
「はい……信じてくれてありがとうございます、ユリス」
その言葉と優しい笑みで頷くセシリアを見て、ユリスはその場から離れた。
♦♦♦
(……ごめんなさい、ユリス)
ユリスの姿がドアの外へと消えたのを確認したセシリアは、心の中でユリスに謝罪する。
(こればっかりは、ユリスに見られたくないんです……)
切実に、セシリアの不安そうな顔が今初めて浮かんだ。
その表情のまま、その場で正座をしてアナスタシアの顔を覗き込む。
「私は怒っていますよ、アナスタシアさん……ユリスは、ちゃんとアナスタシアさんを愛していたのに」
それは恋愛か、寵愛か、親愛か切愛かは分からない。
だが、体を張って血を流しながら助けようとした。そんな人間が、愛を抱いていないはずがない。
そこまでして、助けたいとは思わない。
「戻ってきたら、お説教ですからね……」
そして、セシリアは懐から小さなロザリオを取り出して、アナスタシアの胸へと置く。
「では、始めましょう────」
セシリアが、祈るように両手を組んで目を伏せた。
「奇跡は、起きるものではなく起こすもの」
その言葉を紡いだ瞬間、アナスタシアを中心に眩い光が生み出される。
「不幸に落ちる者には救恤を。奇跡を起こさぬ女神には断罪を。奇跡を起こす悪魔には祝福を」
だが、変化はそこだけではない。
セシリアの体が震え始め、閉じた目から血が流れ始める。
「全ては、救いの奇跡を求める者に救いを与える為。手を差し伸べる者は公平に。泣いた赤ん坊を拾うように、憐れな子供の代償を拭うように、誰彼構わず引き金を引かせる」
それでもセシリアは詠唱し続ける。
全ては、救いたいと願う者に奇跡を与える為。
「私は博愛、慈愛の名の元に、慈善を行う者。美徳の上に成り立つ救いを────弱虫で臆病な無力の私が、神に変わって奇跡を起こします」
握る手の力が強くなり、爪がくい込む事によって手からも血を流し始めた。
それだけではなく、喉に絡みつくような血が、セシリアの紡ぐ言葉を邪魔し始める。
(こんな姿、ユリスが見れば絶対に止められちゃいます……)
至る所から血が流れる。
内臓も中を見る事ができるのであればぐちゃぐちゃになっているだろう。
だからこそ、セシリアはユリスをこの場から離れさせた。
こんな自分を見てしまえば、絶対に止められてしまうから。
────しかし、紡ぐ言葉は最後の一文。
己の気力が持っていかれないように、セシリアは唇を噛む事で耐えた。
「その奇跡は、死に逝き戻れない者をも救い出す────
眩い光が膨張する。
それはアナスタシアだけでなくセシリアをも呑み込み、やがて小さな光に戻っていった。
(あ、あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!)
言葉にならない絶叫が、セシリアの脳内に響き渡る。
紡ぎ終わったセシリアは胸を押さえ、空いた手で頬を何度も何度もかいていく。
痛みを堪えるように、だけど叫ぶ事はしないように。
「おぇっ……!」
込み上げてきた異物が、セシリアの口から零れる。
口から零れたのは、大量の血であった。
(か、覚悟はしていましたけど……これほどの痛みなんて思わなかったです……!)
青白くなったセシリアの顔が、セシリアの様態を表していた。
────
その力は、決して万能ではない力だ。
ユリス同様の魔術であり、その効力は魔法や聖女特有の魔力よりも優れる。
たがそれに伴う代償が存在し、その代償はとても大きいもの。
一つ、魔術行使するような肉体ですはない為、身体に影響を及ぼす。
一つ、
(ユリスは勘違いしてます……この力は、万能ではないのです……)
魔法は、人間の体内にある魔力を事象に変える事によって行使できる。
それが普通であり、本来、空気中に漂う魔力を集める器官など、人間には存在しない。
では、どうしてユリスはそれを行使できるのか?
その答えは至って単純────無理矢理、己の体に集めているだけだ。
そんな事をしていれば、いずれ体がぐちゃぐちゃに壊れてしまうだろう。
(ふふっ……ユリスとお揃いですね……)
セシリアは捲れてしまった袖から覗く自分の腕を見る。
そこには、少し大きな白い痣が生まれていた。
────魔術とは、決して万能ではない。
それを、セシリアは体で理解した。
加えて、
今回、セシリアはアナスタシアの『死』という傷を肩代わりした。
その代償は────セシリアの『余命』。
(半分……ですかね。私が生きられるのも……)
魔術は成功した。
であれば、肩代わりした自分の余命は半分だと、セシリアは体感で理解する。
己の寿命を差し出すなど、常人には考えられない。
命が惜しい、それは誰しも思う事だ。
それなのに、セシリアは差し出した。
何の躊躇いもなく、アナスタシアに分け与えた。
(ユリスのいない世界で、私は────)
そう考えた瞬間、セシリアの体が横に傾く。
きっと、体が限界なのだろう。
そして、そのまま大きな音を出して倒れてしまった。
「セシリアっ!?」
倒れ込む音は部屋の外まで聞こえてしまい、ユリスが血相を変えて扉を開く。
視界に映るのは、横になっているアナスタシアと、血で汚れ倒れているセシリアの姿であった。
「セシリアっ!」
ユリスの背中に悪寒が走る。
もしかして、と。何が起こったのかは分からないが、セシリアの身に何が起こったのかはセシリアの様態を見れば明らかであった。
ユリスは急いでセシリアの元へと駆け寄る。
「おい、大丈夫か! 何があったセシリア!?」
体を抱えて、ユリスはセシリアに言葉を投げかける。
アナスタシアに続き、セシリアまでもが────そんな焦燥感と不安が、ユリスを焦らせた。
すると、セシリアはゆっくりと目を開き、嬉しそうに手を上げてユリスの前に出す。
「ぶい、です……」
その手は二本指を立てて。
苦しそうにしながらも、やってやったぞという表情を作っていた。
ユリスは急いでアナスタシアの体に視線を動かす。
すると、アナスタシアの胸が、上下に動いていた。
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