守りたい者が側にいるなら

 最後の幕を開けた一戦。

 始めに動いたのはアイラだった。


 大きく前に踏み出したかと思うとその姿が消え、ユリスの眼前に拳を振りかざすアイラが現れる。

 ユリスは避ける事はしない。ただ、怠惰アケディアを発動するのみ。

 だが、万全を誇る怠惰アケディア。あらゆる攻撃を自身の体に通さない大罪が、大きく仰け反ってしまった。


怠惰アケディアが弾かれる側に周るなんて初めてだよこんちくしょう!?」


「……当たらないや」


 それと同時にアイラの拳も弾かれるが、その表情に焦りはない。

 ただ、不思議と納得しているような────そんな顔。


「……ユリスの、私と同じ……魔術だ」


「……って事は、あいつの姫様って言ってたのはお前かよ」


 ユリスは体勢を立て直し、目の前に立つアイラを見据える。

 ユリスが倒したガラフという魔族が言っていたユリスと同じ魔術を扱う存在────それが気になっていたのだが……どうやら、この少女だったらしい。


「……まぁ、いっか。普通に会ったら殺そうと思ってたところだし」


「見逃してくれる選択肢はないのかねこの魔族は!」


 ユリスは懐から指ほどのサイズの水晶を手いっぱいに取り出すと、その全てをアイラ目掛けて思いっきり投擲する。

 速度は落ちず、ただ何物にも拒まれないその水晶がアイラの行く手を阻む。


 しかし、アイラは大きく跳躍するとその全てを躱し、変わりとでも言わんばかりにアイラの魔術を発動させた。


「業火、煉獄────放射」


 無数の黒炎が落ちる事なく浮き上がり、ユリスに向かって放たれていく。

 それをユリスは怠惰アケディアを使う事なく、足を動かして必死に避ける。

 屈み、体を捻り、周囲が炎に包まれようとも己の身の事だけを考えて。


(くそっ……条件を満たしてる大罪が五つかよ!)


 ユリスは焦る。

 この場、アイラを相手としているこの状況で、ユリスの制約を満たす大罪は五つしかなく、全ては使えない。


 一つは怠惰。

 一つは嫉妬。

 一つは色欲。

 一つは憤怒。

 一つは強欲。


 戦いという場を避けたいと思う怠惰な欲と、強大な力を有する妬みの欲、容姿に優れたアイラに見蕩れる欲に、ミュゼを傷つけた事による憤りの欲、ミュゼを守りたいという願望の欲。

 傲慢? こんな圧倒的強者知らしめる少女に、一体どうやって驕れというのか?

 暴食? 飢えていない己やアイラにどうやって飢餓を与えるのか?


(肝心の傲慢スペルディアが使えないのが痛すぎる! 使えたら、今頃師匠を抱えて逃げるんだけど!)


 アイラと相対しているだけで跪きたくなるような感覚を覚える彼女の雰囲気。

 それに呑み込まれている時点で、ユリスの考えも傲慢スペルディアも使えない────万能が、対峙しただけで使えなくなってしまった。


「楽苦、煉獄────停滞」


 少女が地面に手を当てる。すると、地に足をつけたユリス足が急に離れなくなり、その場から動けなくなってしまう。


「お前は本当に無茶苦茶だな!? なんでもアリかよ!?」


「……それは褒めてる?」


「褒めてねぇよ!」


 アイラがその足で肉薄してくる。

 目で追い切れないユリスはすぐ様指に巻いてあった紙を解くと、鋭利な剣へと姿形を変え、動かなくなった足へと躊躇なく振りかざした。


「〜〜〜〜ッ!?」


 そして、苦痛を噛み締め己の周囲に紙を広げたその瞬間、轟音が響き渡る。


「……お前は、一体何がしてぇんだよ」


 両足という移動手段を失くしたユリスがわなわなと拳を震わせる。


「……別に、深い理由はないよ。私はユリスと戦いたいだけ、人間を殺したいだけ、欲望を満たしたいだけ、私達の居場所を広げたいだけ、常に上に立ちたいだけ────ただ、それだけなんだよ」


 アイラはユリスの言葉に返答しつつ、ユリスを囲う紙へと掌底と黒炎を食らわせる。それでも、不変を題材にしたその魔術に、傷一つ付けられない。


「……色欲の魔獣。その権能は姿形を復元させる為の────再生だ」


 その紙という殻の中でユリスが呟くと、周囲に何匹もの兎の形をした生物が現れる。

 黒く染ったその兎はユリスの切れた足を齧る、齧る齧る齧る齧る齧る齧る齧る齧る齧る齧る齧る齧る齧る齧る齧る齧る齧る齧る齧る齧る齧る齧る齧る齧る齧る齧る齧る齧る齧る齧る齧る齧る齧る齧る齧る────


 すると、太ももから下……切れて先を失った筈の足が綺麗さっぱり戻っていた。


「師匠が、何したんだよ……」


「……裏切った、それだけ」


「本当に、それだけなのかよ……」


 その言葉に、ユリスは殻の中で蹲り足を抱える。

 あぁ、ダメだ。問答で解決させるには考え方も思考も行動も生き方も違うのだ、と。


「……私達、魔族は種を重んじる。組織と契約と主従と関係を大切にする。足を踏み入れれば魔族、踏み出した足を外に向けば裏切り者────そこは絶対。そして裏切り、敵対したとなれば……当然、許す事もできないよね?」


 アイラは拳に黒炎を纏わせる。

 不変を題材にした大罪の魔獣────その権能に向かって大きく振りかざした。

 すると、紙はゆっくりと……ほんのゆっくりと、その部分に火が灯り燃えていく。


「……気持ちは分からない事もない。裏切るってのは、信頼と信用の全てを否定した最低の行為だ。そこに最もな理由なんて存在しねぇし、師匠がこうして罰を受けたのは当然かもしれない……けど、さ」


 ユリスは膝を抱えた状態で、先の見えぬ空を泣き出しそうな表情で仰いだ。


「……今じゃなくてもいいじゃねぇか。セシリアや、師匠や皆がいる……今じゃなくてもいいじゃねぇか……師匠じゃなくてもいいじゃねぇか。他の奴らでも良かったじゃねぇか……こんちくしょう」


「……それは、傲慢。私達の都合に、ユリスの勘定を入れる道理もない」


「ははっ、だよな……」


 分かっていた筈だ。魔族が、人間の都合で生きてはいない事ぐらい。

 だけど、どうしても────勝てるか分からないこの状況で、セシリア達が集まったこの状況で、誰も助けては貰えない状況で……そう、嘆かずにはいられなかった。


 ……だから、


「凛災、煉獄────召波」


 ユリスを囲った紙は破かれることなく、火を灯しながらも形を保つが、アイラは足を地面にめり込ませると、殻の中に向かって黒炎が立ち昇らせた。

 外からでは届かないと判断したアイラは、下から攻撃しようと考えたのだ。


 だけど────



「……悪い。傲慢の手伝いをしてもらってさ」


「……どうして、そこにいるの?」


 アイラは後方にある建物に視線をやる。

 そこには、先程まで殻の中でにいたはずのユリス────そして、その腕の中で抱えられているミュゼの姿だった。


「それが、俺の傲慢だからだ。己の気持ちを押し付け、相手の都合に己の勘定を入れた────単なる傲慢さ」


 火が灯り、僅かばかり穴が空いたその先。

 己が嘆き、傲慢だと感じ取ったユリスは、傲慢スペルディアを行使してその穴から覗けた座標を移動させた。


 そして、発動したからには────


「師匠はやっぱり、殺させねぇよ。確かに、裏切ってお前達に恨み妬みを抱かせたのかもしれねぇが……俺にとっては大事な人なんだ」


 アイラから視線を外し、ユリスは腕の中で眠るミュゼの顔を覗く。

 幼い顔立ちにも関わらず、何処か頼もしさを感じ、小さく尖った耳は同じ人間ではない事を表す……だけど、ユリスにとっては些細な事で────


「なぁ……アイラ、だったよな? お前に、いい事を教えてやる」


「……何?」


 アイラは鋭い眼光でユリスを射抜く。

 その視線からは苛立ちと怒りが募っている事がありありと伝わってきた。


 だけどユリスは臆さない。

 腕に、大切な人の温もりを感じているから────


「人間っていうのは、強欲で、傲慢で、暴食で、嫉妬で、怠惰で、憤怒で、色欲でも────大切な人を守れるって分かれば……例え強くなくても、強く、前を向いて拳を握ろうって思えるんだ」


「…………」


「それは近くにいるから強くなれるんじゃねぇ、自分が前に出ないと守れないから強くなれる────大切な存在が、近くにいるからこそ……アイラに、この気持ちが分かるか?」


 もう、ミュゼの温もりは己の手の中にある。

 誰かに奪われたままではなく、自分が守れる位置に存在している。


 守りたい者を守れるのだと実感した時────人はどう思うか?


「……守りたいって、そう思うんだ」


 ユリスはゆっくりと屋根の上にミュゼを下ろす。

 そして、自分は屋根の上から降り立つと、再びアイラに相対した。


「悪いな。こっから、仕切り直しさせてくれや」


「……うん。だけど、ちょっとムカついたかも」


 今度こそ、ユリスの全力を持ってアイラに拳を向ける。


 それはミュゼが、守る存在としてちゃんとユリスの腕に収まったからだ。

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