魔族の姫と、大罪の人間

 それからの二人の攻防は、戦いというにはあまりに単調過ぎた。

 派手な轟音を鳴らすわけでもなく、辺りを火の海に変えるわけでもなく、無音の部類に入る鈍い打撃音が静寂の街に響くのみ。


「……」


「……ガッ!」


 構える武器などなく、両者が拳を振るう肉弾戦。相手の体に強烈な一撃を喰らわせる為の接近戦。

 傍から見れば、意見の違いによって生み出される幼稚な喧嘩のよう————しかし、それでも両者のレベルが違う。


 ユリスは常に怠惰アケディアを身に纏い、嫉妬インヴィディアでアイラの体術を模倣トレース、色欲の魔獣を使って体の再生————ただの喧嘩に、言葉通りの全力を振るう。


 対するアイラは、拳と脚部に禍々しくも色めき立つ黒炎を纏わせるだけといったスタイル。だが、それでも人間と魔族の体質の違い————打たれ強さと頑丈さ、筋力の差によって、重い一撃と速さをユリスに向けている。


「楽苦、煉獄————停滞」


 アイラが弾かれるはずのユリスの腕を強引に掴む。怠惰アケディアは己の体に絶対的な防御————膜を張っているわけだが、その膜を突き破りユリスの体に触れるとなればかなりの力が必要になる。

 だけど、それを顔色変えずに行うアイラは正しく強者————あのS級冒険者であるカエサルですら届かなかったはずなのに、それを容易にこなしていく。


「……」


 それでも、ユリスの顔色に焦りはない。

 すぐさま口で指に巻かれた紙を解いて鋭利な短剣に変え、躊躇なく腕を切り落とす。

 苦痛で顔が歪む事もないユリスはすぐさまアイラの横っ腹目掛けて蹴りを放ち、切られた腕はすぐさま大量の兎によって元の姿に変えた。


 しかし、アイラは防ぐこともなくユリスの蹴りをその身で受ける。仰け反る事もなく、ユリス同様顔を歪めることもなく今度は正面から拳をユリスの顎目掛けて放ち、それを受けたユリスが大きく仰け反った。


 ————それがかれこれ数十分。

 ユリスの精神力は、連戦と過度な魔術の連発によって……もはや枯渇寸前。

 だけど、それでもユリスは折れない。ただ、拳を振るうのみ。


「……どうして、ユリスはそこまでして戦うの? もう、限界でしょ? 同じ力使ってるから分かるよ……もう、そろそろ終わるよね」


 殴打を打ち込みながらアイラはユリスに尋ねる。

 苛立ちから疑問へ、疑問は好奇心へ。人間と言葉を交わそうとしなかったアイラが、自らの意思を強く思って、ユリスに話しかけた。


 アイラは、分かっているのだ。

 ユリスの限界が近い事くらい。


 アイラも、ユリスと同じ力を使っている。

 だからこそ、どういう風にすれば倒れるか、どういう使い方をするのか、どういった影響を及ぼすのか、この世界で誰よりも……理解できているのだ。


「終わるさ……でも、終わらせない。お前が退くまで、お前が折れるまで、俺が死ぬまで……俺から、終わることはしない」


 それでも、ユリスは拳を振るう。


「……どうして、って聞きたい。私には、知らない感情だよ————憎いから戦っている……訳じゃなさそう」


「……憎い。それはもちろん、憎いさ。師匠を傷つけた時点で、俺はお前を憎んでる、激怒している、憤慨している————けど」


 ユリスの鳩尾にアイラの拳がめり込み、ユリスが一歩後ろに下がる。

 怠惰アケディアを行使していなければ、きっと風穴が空いていただろう。


 それでも、ユリスは笑うのだ。


「守りたい人がいるから。それは、さっきも話しただろ? 俺が守らなきゃ救えない。俺が守らなきゃ傷ついてしまう。それだけで、拳を握って足を踏み出すには十分なんだ」


「……私には、分からない」


「そうかよ……そりゃ、なんとも可哀想だ」


 ユリスが傲慢スペルディアを行使してアイラの横に移動し、懇親全力の一撃を喰らわせる。だけど、それを受けてもアイラには届かないし響かない。

 アイラはただただ俯き、答えなど見つかるはずもない問に答えていく。


 魔族の王たる娘のアイラ。

 彼女の行動原理は憎悪と好奇心だ。


 幼き頃から「人間は淘汰させる生き物だ」と教わてきたアイラには理由もない怨嗟がこべりついており、その指針も全て興味と人間に対する憎しみで決まり動いていた。

 襲えば「助けて、見逃してくれ」と。立ち向かう者は「化け物」と。今までに相対してきた人間は皆そう言った。


 だからこそ、アイラは人間全てがそうであると思っている。

 恐怖し、強者を化け物という一括りに纏め、都合よく罵り蔑み手のひらを返す————哀れで救いようのない生き物だと……そう思っていた。


 だけど————


「……私と、ユリスは違う。私の方が強い。圧倒的に強い。私が全力を出していないだけで、本当なら直ぐ死んじゃうはずなのに……」


「分かってるよそんな事。俺はお前よりも弱い。それは痛いほど分かったし、分かっていたさ————けど、強くあろうと立ち向かおうとする……その否定の理由にはならない」


「……死んじゃってもいいの?」


「死ぬときは、せめて一撃で頼むぜ? 俺は、痛いのは嫌いなんだ」


 ————あぁ、分からない。

 目の前にいる少年だけは分からない。


 足がふらついて、視界が歪んで、先ほどから当たる拳が柔らかく弱くなっていて、限界が近いはずなのに————立ち向かう、ユリスが分からない。


「……私に、守りたいという感情はない」


「それだけの力を持っているのに、そう思えないのは可哀想だよ……それは心底思う」


 そう言いながら、ユリスは地面に膝をつく。

 言葉では、意思では立ち上がっている。未だに拳は握り、震える足を何度も立ち上がらせようと必死に藻掻くが、それでも体はとうとう限界を迎えてしまった。

 それでも、ユリスはアイラに向かって言い放つ。


「守りたいなんて気持ちは強欲の延長線。守れるなんて思うのは傲慢な延長線。守れるはずと思うのは怠惰の延長線。守れたはずなのにと思うのは嫉妬の延長線————だけど、俺はそれを尊いと思う」


 迷える少女に、自答の答えを見つけ出せない少女に、ユリスは拳を向けて————


「その尊さを見つけられないからこそ、お前は可哀想なんだ。拳を振るう意味に価値を見出せないお前は哀れに感じてしまう————今のお前は、正真正銘心を持たない……。力を求めた結果に、答えを見出せない……誰もが抱える大罪も、本当に泣きそうになるよ」


 兎が、熊が、その言葉を言い終えると消えてしまった。

 禍々しくも黒に覆われた魔獣は消え去り、その代わりにユリスの腕に更なる黒い痣を残していく。


 ————もう、これでユリスはお終いだ。

 戦う力などない、そこいらの兵士にも負けてしまう……ただの一般人。アイラが指先一つ動かせば、ユリスの命など簡単に摘めてしまう。


「……」


 それを、アイラは分かっている。

 だけど、アイラは口を開かず俯いたまま。拳を振るおうとはしなかった。

 その姿を見て、ユリスはアイラの代わりに口を開く。


「……でも、お前はやりたいようにやればいいんじゃねぇの?」


「……そしたら、私は人間を殺しに行くよ?」


「それは困る————けど、これは強欲の話だ。俺にだって譲れない一線をお前らに押し付けて、お前らもしたい事を押し付けて……そうして、今に至ってる。どっちが悪いとかの話じゃない————なんだ」


「……ッ」


 アイラはユリスの言葉に目を見開く。

 戦争において、正義なんてものはない。例え大層な目的や主張を掲げていようとも、それは他者の意思を踏みにじっているものであり、必然に全てを救える……願いを叶えるものではないからだ。

 だからこそ、争いが起こる。武でしか解決できず、他者を切りつける事によってしか叶えられないと分かっているから……戦争は起こる。


 それはアイラにも分かる。

 だけど、人間という生き物がどれだけ自分達を憎んでいるか知っている。

 それなのに、目の前の少年はそれを肯定したのだ————仕方ないと、ただその一言で。


「今回はお前らから仕掛けた。俺は俺の守りたい者を守りたいから立ち塞がった。双方に是があり非がある————お前らからしてみれば俺だって悪だ。お前の部下を殺したのも事実。憎まれて殺されたって文句は言えねぇ……それが、強欲という生き物の欲を肯定した、俺の素直な気持ち」


 少年は大きく力無く寝転がると、初めて……自分の意思で、誰かを見上げた。


「だけど、俺は最後まで抗うさ。こうしている間にも、俺は休ませてもらって―———守る為に再び立ち上がるからな。覚悟しろやクソ魔族」


 言動とは見合わない、瞳を据えた挑発。

 その言葉に、ユリスの紡いだ言葉に、魔族の王の娘————頂点に君臨するアイラは何を思ったのか?

 それは、己の自問の中でしか分からない。


 だけど、それでも分かるのは————


(……ふふっ、素敵)


 拳を、もう振るう事ができなくなったという事だろうか。


 アイラはユリスに背を向ける。

 軽く指を鳴らして、アイラの魔術をしっかりと解いた。


「……私は、別に気持ちは変わらない。今でも人間は憎いって思うし、ユリスとまた出会ったら今度はちゃんと殺す」


「……」


「……でも、それでも————ユリスは他の人間とは違うね。ちょっと、心がほんわかした。だから、私はこれで帰る」


「……そうかい。そりゃ、今回は俺の勝ちだな」


 撤退するまで守り抜く―———それがユリスの目的であり、それが達成された今……ユリスの勝利だと、そう決まったのだろう。

 それが分かっているからこそ、アイラはその表情に笑みを浮かべた。


「……うん、今回は私の負け。次は勝つ。それまでは……ちゃんと生きてね————素敵な人間」


「……こんな美少女に素敵って言われた俺って幸せ者だなぁ」


「……ふふっ、ユリスが魔族だったら良かったのにね。私が、絶対にもらってるよ」


 最後の言葉。

 そう言い残すと、アイラは大きく一歩を踏み出し、はるか高くまで飛び上がり軽々と砦を超えていった。

 その姿は一瞬にして消え、この場に残されたのは力無く横たわるユリスと————ミュゼのみ。


「……さてと、眠り姫を起こしに行きますかね。これぐらいやったんだ、ご褒美の一つも欲しいもんだな」


 ユリスは最後の気力を振り絞り、軽口を残して立ち上がる。

 目指すはミュゼの元。これから起きるはずの愛しい存在の元。


「……全く、昔から世話の焼ける師匠だ」



 ユリスが守り通した、結果の元へ―———

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