セシリアに対する恋慕
「なぁ、師匠?」
「どうかしたかお前さんや」
広々とした一室。そこはユリスがいつも講義を受けている場所ではなく、中央に大きなテーブルと豪華そうなソファーが置いてあり、奥には横長の執務机が置かれていた。
あれから一ケ月。
ようやくの思いで無事完治したユリスはそんな場所に足を運んでいた。
目の前には薄桃色の髪を横に纏めた少女。
若干尖っている耳と、目立つような犬歯が特徴的なその人物は気持ちよさそうに執務机前にある椅子に腰かけていた。
そんな少女の肩を嫌がる素振りなく揉むユリス。その表情には懐かしいと少しばかり浮かんでいた。
「聖女って、結婚できたりするのかな?」
本当に軽い調子でユリスが尋ねる。
「なんじゃい、お前さんはあの聖女様を好いとんのか?」
「ま、まぁ……」
顔を赤らめ、少しだけ視線を逸らすユリス。
先の一軒以降、ユリスの心にはある感情が湧き上がってしまった。
それは、最近側にいる聖女————セシリアに対する恋慕だ。
大切な人だと思っていたユリス。だが、そこから先の一件で「俺ってセシリアが好きなんだなぁ」と自覚してしまった。
と言っても、セシリアに対する態度は変わらないが……それでも、異性として好きになってしまったユリスは、これからの事を考えて少し気になったのだ。
「お前さんも一端に恋をするようになったか! これは実にめでたいのぉ!」
「うっさい師匠!」
ユリスの反応に高笑いするミュゼ。
「いやいや、めでたい……お前さんは日頃から色欲に塗れておりながら、そう言った感情には疎かったからのぉ……師として、これを喜ばずにいられんよ」
ユリスと過ごしてきた時間の中で、家族以上に長くユリスを見守ってきたミュゼ。
ユリスが娼館通いで、下心満載な性格だという事を知っている。だが、こと好意においては誰よりも疎かった————それが、今こうして自覚し相談してくれる……それがミュゼにとっては嬉しかった。
「……めでたいって思うんなら答えてくれよ」
「そうじゃなそうじゃな」
ミュゼは少しだけ顔を引き締める。
「妾が生きた三百年————その中で、確かに聖女が誰かと添い遂げた事例は多くはないが何度かある。故に、お前さんの問いに対する回答としては『可能』と答えさせてもらうよ」
「そ、そうか……」
「————じゃが、」
少しだけ喜んだユリスに、すかさずミュゼは待ったをかける。
それにより、ユリスの顔はすぐさま怪訝なものへと変わった。
「事例の中で————聖女と結ばれたのはどいつも格が高い者ばかりじゃ。例えば一国の王太子、公爵家長男、勇者……他にもおるが、それぐらいの者が結ばれておる」
「……」
「故に、今のお前さんは家督を受け継いだとしても子爵————互いに想い合っていようとも、障害は多いじゃろうよ」
それはユリスにも薄々感じていた事だ。
聖女は、個だけでも崇拝され称えられる存在。目に見える権力は決して持ち合わせていないが、その偉大さは国内だけでなく世界に及ぶ。
そこいらの貴族より尊重され、国単位で影響を及ぼす聖女が貴族とは言え子爵程度と釣り合うわけがない。もし、想い合っていたとしても周りから陰口や妨害されることは大いに予想される。
「まぁ、現教皇は聖女を大切にしておる————聖女の意見を尊重し、聖女だけではなく教会に組みする者を家族のように大事にする優しい奴じゃ————あの聖女がお前さんと結ばれたいと思っておるなら、教皇も首を縦に振るはずじゃ」
「……そうだといいけどな」
ミュゼがそう言うが、ユリスの懸念と不安は晴れない。
未だに、その表情は険しい者となっている。
「なぁに、もし周りが文句を言うなら妾が蹴散らしてやるわい————妾は、既にお前さんの物じゃ……師匠としても、物としても助けてやるわい」
「なぁ……俺は師匠を自分の物だって思ってないし、そういう事言うの止めね? そこはかとなく嫌なんだけど?」
「かかっ! 妾は一度口にした事は破らん性格じゃ! お前さんがどう思っていようが、妾がそう思っていることは変わらんよ!」
昔、ミュゼがユリスに口にしたことがある。
『お前さんに見せる物なんてないわ。そうじゃな……妾に『生きる意味』か『死ねる方法』を教えてくれようもんなら────下着どころか、この身を捧げてもよいぞ?』
ユリスはこの言葉は昔の冗談だと思っていた。
だが、ミュゼは本気も本気。今でも師弟関係でいるが、ミュゼ自身はこの身をユリスの物だと思っている。
だが、ユリスとしては師匠であるミュゼを物だなんて思いたくない。
あくまでミュゼは尊敬する師匠であり、自分の恩人なのだから。
「まぁ……いいや。そもそも、セシリアが俺の事を好いてくれてるかどうかも分からんし、ゆっくり考える事にするわ」
「お前さん……やっぱり変わらんのぉ」
ミュゼは大きくため息をつく。
日頃のセシリアの態度を見れば一目瞭然だと言うのに、そこに気付かずそんな発言をしている辺り、やはりユリスは何も変わっていなかったようだ。
(まぁ、あの聖女か弟子のどちらかが告ってしまえばすぐに分かるからよしとするかの……)
そう思い、ミュゼは納得することにした。
「そう言えばお前さん、そろそろアレが開催されるのじゃが……もちろん、参加するよの?」
「アレって何? なんにも聞いておりませんが? こちとらこの前までベッドに顔を埋めてたんだけど?」
ユリスは先日までベッドで安静にしていた。
あの一件以降、実習の講義が乱れてしまったがそれでも他の講義は行われていた。
そんな中、何か説明事項があったところでユリスが知る由もない————ちなみに、見舞いに来てくれるセシリア達も何も教えてくれなかった。
「そうか……まぁ、知っとけ。どうせこれは今のお前さんにとって悪い話でもないはずじゃからな————」
そして、何気ない調子でミュゼは告げる。
「毎年行われる『武闘祭』―———そこでは各国の学生が集まり頂点を決めるイベントじゃ。今年は勇者も参加するじゃろうが……まぁ、そこら辺は気にする事もないじゃろ」
「いや、勇者はアカんだろ。めちゃくちゃ気にするわ」
「そして、その武闘祭で優勝した生徒は各国の王から褒美が与えられる————それは生徒の願いを一つ叶えるというものであり……内容によってはお前さんがあの聖女と結ばれる事も可能になるじゃろ」
最後の最後に、ミュゼが大きな発言を落とした。
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