セシリアとユリス

 セシリアが初めに抱いたのは恩人という印象である。

 自分を窮地から颯爽と助けてくれて、ここまで連れてきてくれた騎士の人も何も失った自分をしばらくユリスの屋敷へと過ごさせてくれたからだ。


 だが、それは徐々に変わっていく。

 ユリスの欲望に忠実な様は少しだけ嫌いだが、それでも優しく頼りになる逞しい人だと思うようになった。

 そして、最後————今に至っては「可哀想な弱い人」である。


 無論、それ以外にもユリスに対する印象はある。

 恩人や想い人、家族————それは様々だが、やはり一番は「可哀想な弱い人」なのだ。


 ユリスは強い。それはセシリアも分かっている。

 魔力が扱えないユリスはユリスなりに強力な力を持っており、その力で魔物や盗賊を圧倒してきた姿をセシリアは見ている。


 でも……でもだ、


『悪いなセシリア。こんな姿を見せちゃってさ』


 ————昔。

 ユリスはセシリアに向けてそんな事を言った事がある。

 アンダーブルク領付近に魔物の集団が現れ、ユリスが仕方なく出動した際にセシリアが自分も行きたいと駄々をこねた時。


 悲壮感溢れるユリスの顔。

 圧倒的な力で蹂躙し終わったその表情は————とても、悲しそうだった。


 どうして自分に謝ったのか?

 こんな姿とはどんな姿なのか?

 その時のユリスの腕が黒い痣に覆われていたからなのか?


 そんな事は分からない。

 だけど————


(……ユリスはきっと一人ぼっちなんですね)


 家族がいるはずなのに、使用人がいるはずなのに、領民がいるはずなのに。

 それでも、きっと本当のユリスを理解してあげられる人がいないから————こんな顔をするのだと、セシリアは思った。


 心が細く、触れただけで折れてしまいそうに脆く、その支えを持っていない。

 それは己が聖女だからそう思ったのか————普段のユリスからは想像がつかないはずなのに、セシリアは思ってしまう。


 だからこそ、セシリアは————


「大丈夫ですよ、ユリス。私が……私が傍にいますから」


 恩を返したいとも思う。

 だけど、それだけではない複雑な感情がセシリアをそう思わせた。


 故に、セシリアはユリスの元から帰らない————



 ♦♦♦



「……んっ」


 可愛らしい声と共に、少女は目を開ける。

 瞼を持ち上げ、金髪の少女は背中に伝わる固い感触から重たい体を起こして現実に戻った。


(……あれ? 私は、どうしていたのでしょう?)


 先ほどまで、パーティーの男の子を治療して、魔信号を打ち上げて……それから————


(そ、そうですっ! エミリアさんは!?)


 セシリアは徐々に意識を覚醒させ、自分を守る為にバーンを一人で立ち向かっていたエミリアの身を心配する。

 己がどういった状況に陥っているかも後回しで、エミリアの身を案じるのは優しいセシリアだからこそだろう。


 セシリアは状況とエミリアの姿を見つける為周囲を見渡す。

 自分から離れていったエミリアが近くにいるわけがないのだが、それでもセシリアは探す。


 そして、目に映った光景とは————


「ゴァァァァァァァァァァァァァァァッ!!!」


「かはッ!」


「リカード!?」


「荒れ狂う風よ!」


「蒼き礫よ!」


 禍々しくも巨大な獣に立ち向かう四人の姿だった。

 リカードは剣で受け止めるものの、その腕に吹き飛ばされ、その身を庇うように今度はアナスタシアが獣の正面に立つ。そして、ミラベルとエミリアが遠くから略式で詠唱した魔法を獣に打ち込んでいく。


 四人は既にあちらこちらがボロボロであった。

 特に酷いのは前衛の二人だが、後方のミラベル達も負けないほど怪我をしていた。


 息を荒上げ、血を額から流しながらも、満身創痍で獣に立ち向かっていく。

 獣は攻撃が効いている様子もないが、それでも皆は諦めずに攻めていく。


「ユリスっ! いい加減目を覚ましなさい!」


 アナスタシアが姿が見えないユリスに声をかけながら、その細剣を急所目掛けて突いていく。

 だか、その突きは獣の腕によって弾かれ、逆に腕を振るわれる。


「俺の筋肉を舐めんじゃねェェェェェェェェェェッ!!!」


 吹き飛ばされたリカードが戻り、その大剣で再びアナスタシアを庇うように腕を受け止める。

 それでも、勢いは殺せ切れずアナスタシア諸共吹き飛ばされてしまった。


「ユリスくん、戻ってきて!」


 ミラベルが後ろから風の魔法を浴びせる。

 だが、それでも一向に効いている様子はなく、ただ獣は標的をミラベルに変えただけだった。


「ユリス様っ!」


 そして、注意を引くように今度はエミリアが氷の魔法を浴びせた。

 ……皆、友の名前を呼びながら。


「グォァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!!」


 それでも、獣は叫ぶ。

 目の前の標的を倒さんがする為、本能のままその腕を振るい、大地にヒビを入れ、響き渡る咆哮を森全体に向ける。


 それを見た、セシリアは————


(ユリス……)


 立ち上がった。

 髪についた草を払うことなく、暴力溢れる場所に踏み込む。

 危険だ————そんな事は分かっている。でも……


(苦しいのですよね? ……分かりますよ、ユリス)


 あれはユリスなのだと分かる。

 皆が呼んでいるからではなく、傍にいた自分だから……理由も根拠もないが、分かる。


 あんなにも苦しそうに、飲み込まれて、自分を覆い、感情を撒き散らせて————寂しそうで、弱く感じた。

 それは何処か似ていた……昔、セシリアがユリスに向けられたあの時の雰囲気と。


(今……今、行きますからね……)


 セシリアは自ら危険地帯へと足を踏み込んでいく。

 ゆっくりと、ゆっくりと……その獣に向かって、聖女ではなくセシリアとしての優しさを振り撒いて。


「セシリアちゃん!?」


「セシリア様!?」


 離れたところでセシリアの姿に気が付いた二人が目を見開く。

 だが獣から目を離した瞬間、ミラベルは腕に、エミリアはその尻尾によって攻撃を受けてしまった。


 それでも、セシリアは歩く。

 リカードとアナスタシアもセシリアの存在に気が付くが、吹き飛ばされた衝撃と痛みで思うように動かせない。

 皆、セシリアを守れない状況に陥ってしまう。


 セシリアは歩く。

 戦闘能力のない彼女が、たった一人で……獣に相対する。


「ゴァァァァァァァァァァァァァァァッ!!!」


 獣がセシリアを捉えた。

 鼓膜によく響く叫びを上げながら、次なる標的をセシリアに定めた。


「……ユリス」


 セシリアは遂に獣の前まで辿り着いた。

 見上げないと獣の顔が見れない程の体格差、細身のセシリアであれば一瞬にして踏みつぶされてしまいそうだ。


「グルォァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!!」


「分かります……分かりますよ、ユリス……」


 セシリアはその大きくも太い腕に抱き着いた。


「苦しいのですよね? 辛いのですよね? きっと、ユリスは誰かを守ろうとしてそんな姿になったのでしょうね……本当に、ユリスは優しいです。自分がこんなに苦しい思いをしているというのに」


 獣が、抱き着くセシリアを引き離そうと反対の腕をセシリアに向ける。

 ————が、


「えっ!?」


「こ、これは……」


 その腕は、寸前で止まる。

 セシリアを傷つけることなく、抵抗する様子もなく、腕が止まる。

 だが、その苦しみは叫びになって現れた。


「アァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!!」


 だが、


「私は、ユリスに何も返せてませんね……いつも守って貰って、いっぱい迷惑をかけて————でも、私は今のユリスにしてあげれることはこれしかありません」


 セシリアは抱きしめる腕を強める。

 自分の温かさが伝わって欲しい、この気持ちが伝わって欲しい。

 もう大丈夫だと、頑張らなくてもいいよと、セシリアは獣に向かって優しく微笑む。


「私が傍にいますよ……ずっと、ずーっと一緒です。ユリスに、そんな姿は似合いませんよ? いつもの、ふざけている様で頼もしく、優しいユリスに戻ってくれたら————私は嬉しいです」


「……」


 獣は徐々に言葉を失う。

 暴れまわっていたはずなのに、不思議と落ち着きを取り戻し始めた。


「私が、支えてあげます。ユリスの見えないその部分を、そんな姿にならないように……私が一生支えます」


 その光景に、ミラベル達は言葉を失う。

 やがて、その獣は禍々しい姿を変え、纏っていた闇が徐々に晴れていった。


 そして————


「帰りましょう、ユリス……私は、苦しむユリスより……いつものユリスが大好きです————ありがとうございます、私を守ってくれて……大好きですよ」


 獣は、少年の姿に形を戻した。

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