次に相対するのは

 その獣は本能の赴くままに蹂躙を広げる。

 苛立ち、怒り、憤り……ただただ感情を律することなく腕を振るい、牙を突き立てる。


「あがッ!?」


 男がまたしても木々に向かって吹き飛んでいく。もう何度目か分からないその光景は、森の面影をなくしてしまう程だった。


「ゴァァァァァァァァァァァァァッ!!!」


 それでも獣は容赦なく男に腕を振るう。

 鋭い爪が肉を引き裂き、豪腕が骨を折る。最早男の原型は怪しくなってきた。


「ひゅー……ひゅー……」


 先程の狂気は何処に行ったのか?

 男は笑みも消え、ただ必死に息をしようとする細切れな音しか聞こえなかった。

 だが、それでも獣は容赦しない。


 何度も、何度も何度も。

 抵抗することなく、男は獣の圧倒的な力をその一身に受ける。


「……」


 そして、男の体はやがて限界を迎える。

 狂気な笑みを浮かべていた顔は潰れ、筋肉質だった体はひしゃげてしまっていた。


「オォォォォォォォォォォォォ!!!」


 獣の咆哮が森に響く。


 それは敵を排除したからかは分からない。

 完全なる勝利のはずなのに、獣はその姿を戻さなかった。


「あっ……あ……」


 エミリアは腰を抜かしたまま、その一部始終を見ていた。

 男がなすすべなく蹂躙され、そのむごたらしくも慈悲のない力に潰れていくその様を。


 エミリアとて、あの男に同情なんてものはない。

 それでも、こうして何もできずただただ恐怖しているのは、多分あの獣に対してだろう。


(いえ……私が怖がってどうするのですか……!)


 あれはユリスだ。

 自分を守るために戦ってくれたユリスなのだと、己に強く言い聞かせる。


「まずはセシリア様を……!」


 だからエミリアは自分にできることをすることにした。

 腰を抜かしながらも地面を這いつくばり、倒れているセシリアの元まで向かう。


 安全の確保、安否の確認。

 セシリアが無事だと分かれば、もしかしたらユリスが元に戻るのではないかと思ったからである。


「はぁ……はぁ……」


 エミリアは痛む背中を我慢しながら、セシリアの元へ辿り着いた。

 セシリアの体に目立った外傷はなく、薄くではあるが胸が上下している。


(気を失っているだけ……でしょうか……)


 その事にエミリアは安堵する。

 聖女である彼女が、友達であるセシリアが生きていることがただ嬉しかった。


「ユリス様! セシリア様は生きていますっ!」


 エミリアはユリスであった獣に向かって叫ぶ。

 すると、木々を荒らしていた獣はエミリアの方を向き、そしてーーーー


「グルァァァァァァァァァァァァァァッ!!!」


(なッ!?)


 叫びを上げて、ユリスであった獣は突進してきた。

 新しい標的を見つけたかのように、その獣は獰猛さを醸し出していた。


 エミリア達は動けない。

 体に力が入らないエミリアに、気を失っているセシリア。

 今、獣の標的になってしまえばあの男と同じようになってしまうだろう。


「セシリア様は無事ですユリス様! もう、敵は誰一人いませんっ!」


 エミリアがユリスに向かって訴えかける。

 自分が守りたいと思っている者がここにいるのに、このままではユリス自身が守りたい者を傷つけてしまうから。


 それでもエミリアの言葉は届かない。獣は、真っ直ぐにその牙を向けようとしている。

 そしてーーーー


「だらっしゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」


 そんな大声と共に、エミリア達の体が誰かに抱えられた。

 獰猛たる獣はエミリア達がいた場所を切り裂き、そのまま地面を荒らして突き進んでいった。


「大丈夫かエミリア様!?」


 エミリアは小脇に抱えられた状態で見上げる。

 息を荒上げて心配そうに声をかけてくれて、自分達を助けてくれたのはーーーー


「リカード様!?」


「おう! 見た感じ大丈夫そうだな! ……まぁ、状況はどう見ても最悪そうだが」


 リカードは獣を見て頬をひきつらせる。


(想像よりも数倍ヤベぇぞ……)


 禍々しく、巨大で、強大な力を兼ね備えている。

 こんな相手によく生き残っていたものだと、リカードは思った。


「二人とも無事なの!?」


「流石ねリカード!」


 そして、今度は遅れてミラベルとアナスタシアが現れた。

 アナスタシアはエミリア達を庇うように前に出て、ミラベルは未だに気を失っているバーンを背中に担いでいた。


「こんな魔獣、一体何処から現れたっていうのよ……っ!」


「これは……本当にヤバいね……!」


 アナスタシア達も、その獣を見て冷や汗を流す。

 獣は標的を逃した事に怒り狂い、周囲を壊しながら目はエミリア達を捉えていた。


「……何とかして逃げましょう。ここにユリスはいないみたいだし、もしかしたら森の外に出てるのかもしれないわ」


「……そうだな、逃げ切れるかどうかは分からないけどな」


「……ううん、絶対にみんなで逃げ切ろうね。誰かが欠けるなんて、私は嫌だからね」


 三人は覚悟を決めた顔つきで頷く。

 自分達の力ではこの魔獣には勝てない。それでも皆無事に戻れるために、戻れるかも分からないが全力で逃げようと。


 そして、ジリジリと獣が唸り声を上げながら近づいてくる。

 アナスタシア達は身体強化の魔法をかけ、いつでも逃げれる体勢をとった。


「待ってください! あの獣はユリス様なのです!」


「……は?」


 エミリアの発言に、アナスタシア達は信じられないという顔をする。


「ユリス様が私を守ってくださって……その、どうしてあのようになってしまったのかは分かりませんが……」


 それでも、あの獣はユリスなのだと。

 禍々しくても、自分を助けてくれた騎士なのだと言う。


「おいおい、マジかよ……」


「あれが、ユリスくん……?」


 リカードもミラベルも驚きながらも再び獣を見る。

 エミリアはそう言っているが、あの獣からはユリスの面影は一切なかった。


「っていうことは、あれはユリスの魔術……なのね」


 アナスタシアは納得する。

 一番長い付き合いである彼女は、不思議とユリスの力の代償ではないのかと、そう思えたのだ。


(これじゃあ、戻って討伐依頼を出すわけにはいかなくなったわ……)


 このままこんな魔獣を放置する訳にはいかない。

 だから、アナスタシアは戻ってすぐにでも救援と討伐を依頼しようとしたのだが、あれがユリスであれば話は別だ。


 討伐されてしまえば、ユリスは死んでしまう。

 では、どうするべきか? アナスタシアは考える。


 そして、苦渋の形相を作り……再び覚悟を決めた。


「このまま放置しておくわけにもいかないわ。かといって、討伐隊や騎士団を派遣してしまえばユリスが殺される……カエサル先生なら、何とかできるかもしれない」


 魔信号を打ち上げているにもかかわらず、カエサルは現れない。

 それでも、いつかはやって来るはずだ。こんな危険な状態で、講師がやってこない訳がない。もう一度魔信号を打ち上げれば、きっと来てくれるはずだ。


 そして、S級のカエサルの実力であれば、ユリスを殺さず何とかしてくれるかもしれない。そう考える。


「じゃあ、俺達の役目はここでユリスを食い止めるって訳だな」


「カエサル先生が来るまでの間……ってことだね」


 リカードとミラベルは、アナスタシアの言いたい事が分かったのか、ゆっくりとエミリア達を下ろすとそれぞれが構え始める。


「……全く、困った人よね。帰ったら、絶対にただじゃおかないんだから」


 次に獣に相対するのは、同じクラスメイトの三人であった。



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