エルフの少女

「はぁ……はぁ……っ!」


 息を切らし、木を背もたれとしてしゃがみこむ少女。

 その表情は苦悶そのものだった。


(どうしてここでハイオークが出てきちゃうかな……ッ!)


 目の前には少女を取り囲むように集まるハイオークの群れ。

 必死に逃げ回っていたが、途中で躓いてしまいこうして追い込まれている。


 立ち上がろうにも、躓いた際に足首を捻ってしまったらしい……患部は思いっきり腫れ上がり、思うように立ち上がれなかった。


(もうっ……こんなことなら、行商に金を払って馬車に乗せてもらえばよかったよ!)


 先日行われた王立魔法学園の入学試験。

 それが無事に終わったのはいいが、我が家があるエルフ領まではかなりの距離がある。


 そんな距離を馬車で移動しようものなら、平民にとっては破格の金額になってしまう。

 それこそ、平民の稼ぎでは1ヶ月も働かなければならないほど。


 ただでさえ王立魔法学園に入学するだけで、学費がすごいのだーーーーこれ以上、お金を使いたくないと思うのは、当然のことだろう。


 故に、この少女は家まで徒歩で帰ることにした。

 何回かの野営と街で安い宿に泊まれば、なんとかなるだろうとたかをくくっていたのだ。


 ……それが今回、仇となった。


「ギュルフフ……」


「ひぃっ!?」


 ハイオークの舌なめずりと笑い声が、エルフの少女を怯えさせる。

 足を捻っているせいもあるが、腰が引けて上手く移動することもできなかった。


 ーーーー王立魔法学園に入学を志望している生徒であれば、ここで魔法を使って抵抗することもできるだろう。

 だがしかし、恐怖がその考えを阻害する。


「いやぁ……誰か助けて……ッ!」


 目をつむり、現実から逃避しようと身を竦める。


 自分で現状を打破しようとせず、他者に助けを求めるのは怠惰だ。

 そもそも、自分が命の価値を下げて金を渋ったからこそ招いた現実、自業自得だろう。


 だがーーーー


 ぐちゃり。


「……え?」


 そんな肉が潰れるような生々しい音が不意に聞こえた。

 少女は気になり、目を開けるとーーーー


「な、なにこれ……」


 視界に写ったのは、ハイオークの群れの頭上に広がる大きな獣のような口。

 黒くて、禍々しくて、原型も形状も多種多様で定まっていない。


 だけど、大きな牙と形を見れば、間違いなく口なのだろう。

 その口が、ハイオークの頭蓋を、抵抗許さず食べていたのだ。


 ……そして、頭蓋を食べ終われば次は胴体、更に下半身、最後に残ったのは、無造作に散らばるオークの血だけだった。


 少女は困惑する。

 目の前で起こったことが理解できずに、ハイオーク以上の恐怖を身に覚えたからだ。


 何処から出現したのかは分からない。

 だけど、ハイオークの次は自分ではないのだろうか?


(こ、こんなのに勝てるわけがないよぉ……)


 その禍々しさに、思わず下半身から液体が漏れる。

 何がーーーーと言うのはセリフが憚られてしまう。


 そして、黒い口は全てのオークを食い物とし終わるとーーーー


「いやぁー、オークって意外と美味しいもんだなー。羊肉と同じ味がしたぞ?」


「味って分かるのですか?」


「そりゃあ、もちろん。だってこれは俺の暴食を満たす為の魔術だもん? 味覚がない食事なんて、意味がないじゃないか」


「へぇー! ユリスの魔術はやっぱりすごいですね!」


「あたぼうよってやつですぜ!」


 ーーーー一人の少年と、一人の少女が急に目の前に現れた。


 白髪に、動きやすそうな軽装。金髪に、聖職者特有の修道服。

 異様な組み合わせ。突然のことに、少女は開いた口が塞がらない。


 そして、二人は徐に近づいてきた。


「大丈夫ですか? ……もう安心してくださいね、ユリスが皆やっつけてくれましたから」


「まぁ、上から見た限りでは他にハイオークの姿は無さそうだし、大丈夫だと思うぞ? ……よく頑張ったな」


 そして二人は、優しい笑みを向けてくれる。

 安心させるように、もう大丈夫だと教えてくれた。


(あぁ……この人達が助けてくれたんだーーーー)


 そう実感すると、少女の意識はそこで途絶えてしまった。



 ♦️♦️♦️



「エルフがこんなところに……ねぇ? エルフ領はもっと西だろうに」


 ユリスは気を失った少女を見て疑問に思う。

 長い金髪に、エルフ特有の尖った耳。それでいて、人間とは何処か違うような可愛らしい整った顔立ち。

 薄緑を基調としたレジャー服からは素晴らしいくびれがはっきりと分かる。


「そうですよね……それに、お一人でなんて危険すぎます」


 セシリアは目の前のエルフの少女の足を癒しながら、疑問を口にする。


 エルフ領は、貴族を持たない国が認めた領地だ。

 元々、人間とエルフは対立しており、和平を結んだ際に国王から領地がエルフに贈られた。


 そこではエルフが暮らし、国に納める税も貴族という縦社会も一切影響させないーーーーそういう条件だったそうだ。


 だが、そのエルフ領まではかなりの距離がある。

 それこそ、辺境の地であるアンダーブルク領を越えるほどの距離だ。


「後でお説教しなければいけませんね」


「流石は聖女様、お優しい事で」


「これは人として当然な事です!」


 エルフの少女が知らぬ間に、どうやらお説教が確定してしまったようだ。


「それより、気絶したこいつをどうするかだ。俺としては、セシリアが口を開く前に決めてしまいたいところだな」


「どうして私が口を開いちゃいけないのですか!?」


 癒し終えたセシリアがユリスに詰め寄る。

 エルフの少女の赤く晴れた足首が見事に引いているーーーー流石は、女神から直接恩恵を賜った聖女だ。


「だって、セシリアに意見を聞いたら「私はこのままこの人を見捨てることができません……助けてあげれないでしょうか?」みたいなこと言うじゃん。俺、流石にそこまではーーーー」


「私はこのままこの人を見捨てることができません……助けてあげれないでしょうか?」


「おいこら話聞いてたのかねこの子は?」


 一言一句違わないその発言に、ユリスは頬をひきつるひきつらせる。


 ユリスとて完璧な善人じゃない。

 セシリアみたいに、誰も彼もに優しさを振り撒ける訳じゃないのだ。


 だけどーーーー


「お願いします……」


 セシリアは一生懸命に頭を下げる。

 自分の事のはずではないのに、自分の事のように必死に。


(……はぁ、ズルいなぁ)


 そんな姿を見せられたら断れないではないか、ユリスは頭の中で愚痴ってしまった。

 故にーーーー


「……今日は何処かで休憩する。そして、その後俺が責任もって安全な街まで運んでやるーーーーそれでいいか?」


「……わぁっ! ありがとうございますユリス!」


 セシリアは満面の笑みで嬉しさとお礼を伝える。

 その笑顔に、思わず胸が高鳴ってしまったのは、仕方ないのかもしれない。


(こりゃあ、俺は一生セシリアには勝てないかもしれないなー)


 セシリアの笑顔には何故か逆らえないような気がする。

 そんなことを思ったユリスであった。


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