暴食

 試験も終わり、豪華な椅子が並べられた一室では、重たい空気が流れていた。

 座る人影には先程ユリス達の試験に立ち会った試験官の姿もある。


 中央を挟む円形のテーブルには数百枚の紙束がそれぞれ人数分。それだけでも長時間に渡り会議が行われているのだと伺える。


「……さて、3の入学試験の結果ですが、合格者20名でよろしかったかな?」


 一枚の紙をもった中年の男性が声を上げる。

 その言葉に、皆が否定なく頷いた。


「しかしまぁ、今年は豊作ですなぁ~」


「然り、第3王女のアリス様に聖女のセシリア様、ユグノー公爵のバーン様、そしてミラー公爵のアナスタシア様までの入学とは!」


「今年は大変荒れそうですぞ!」


 皆一様に高笑いをする。

 今挙げた人物はどれも国の中心株。将来の国を担う若者の筆頭である。


 そして、それぞれが他の人に負けないぐらいの才を持っているのだ。


 例えばセシリアは聖女として癒す事に長けているし、国にいるだけでこの国は女神に見守られている……と言っても過言ではない。


 次にバーン。二重属性ダブルの使い手はここ数年現れていなかった。

 故に、今回の入学では教師陣も期待を寄せることだろう。


 だがーーーー


「ユグノー公爵家の息子は試験で敗北したと聞いたのじゃが、それでも合格なのかの……?」


 中央上座に座る一人の少女。

 幼すぎる見た目に対して、言葉遣いが衰えているように聞こえるものの、その人物には何処か貫禄を感じた。


「そ、それは……」


 意気揚々と話していた男性が言葉に詰まる。


「ですが、バーン様は二重属性ダブルですし……」


「それでも、負けとるなら関係ないじゃろ。素質はあっても努力を怠る弱い奴はいらんしの……まぁ、筆記試験も問題はないし、これからの伸びしろって考えたら────まぁ良しということにしよう」


 その発言に、男達は安堵する。

 そして、次に気になることがあるのか、少女は全体に向かって口を開いた。


「おい、確かその試合はアンダーブルク子爵家の子が相手しとったようじゃな? ……立ち会った奴は誰じゃ?」


「わ、私でございます……」


「その試合はどうじゃた? アンダーブルク家の息子はそれなりに強いのかの?」


 二重属性ダブル相手に勝利したその少年。

 少女は彼が無能だということは知らない。故に尋ねる。


「……分かりませんでした」


「……なんじゃと?」


「正直に申し上げます。私には、その試合で何が起こったのかが分かりませんでした」


 その一言に、周囲がざわめく。

 本当に、何を言っているのか分からないのだろう。


「確か、そいつは無能の人間じゃなかったのか!? バーン様に勝っただけでも信じられんと言うのに、これ以上何があるというのだ!?」


 そして、中年の男性が机を叩き立ち上がる。

 その剣幕に少し怯えてしまうが、それでも少女がこの場にいる限り、試験官は正直に口にする。


「……試験開始の合図と共に、勝負が終わってしまったのです。気がつけば、ユリス・アンダーブルクがバーン・ユグノーを踏みつけにしていましたーーーーその際、バーン様の意識は既になく……」


「馬鹿な!? そんな魔法なんて聞いたこともないぞ!?」


 事実、この世界では瞬間移動テレポートの魔法は存在しない。

 武術と魔法を極めた鬼才の人間が、身体強化の魔法を使って一瞬にして距離を縮める……それぐらいしか事例がないのだ。


「開始の合図をした際、彼はこう口にしていましたーーーー」


 傲慢スペルディア、と。


「「「……」」」


 周囲は言葉を詰まらせる。

 皆、彼女の言っていた事が理解できないからだ。


「くふふっ……」


 だが一人、少女だけは嬉しそうに笑う。

 その目は、まるで新しいおもちゃを見つけたよう。


「傲慢……其奴の方がよっぽど傲慢じゃと言うのに……」


 そして、その少女は嬉しそうに顔を上げ、皆に向かっていい放つ。


「ユリス・アンダーブルクを試験合格者とする! 異論は認めん!」



 こうして、ユリスの知らぬところで、彼の合格が決まったのであった。



 ♦️♦️♦️



 その一方で。

 一人の少年と少女が青々とした空を移動していた。


「ぐすっ……酷い……酷いよセシリア……ッ!」


 ……その少年は、何故か涙ぐんでいたが。


「だ、だめですっ! マリーさんから聞きました! ……ユリスがそ、その……いかがわしいお店に行こうとしている事を! そ、そんなのだめですっ!」


「ぐすっ……」


 顔を赤らめながら怒るセシリアに対し、ユリスは涙が一向に収まる気配がない。


 実は、あの後座学の試験が終わり、ユリスはセシリアに適当な理由をつけて娼館に行こうとしたのだ。


 だが、それをセシリアが止める。どうやら、予めマリアンヌにユリスが何処に行こうとしていたのか、その場所がどういう場所なのか聞いていたらしい。


 よって、セシリアは顔を真っ赤にしてユリスを止め、泣く泣く帰宅しているのだ。


「俺だって男の子なんだけどなぁ……色欲に恥じないくらいあんな事やこんな事したいのになぁ……溜まっているんだけどなぁ」


「あ、あんな事……ッ!?」


 あんな事やこんな事と言う単語を聞いただけで、セシリアは顔から湯気が出てしまう。


「そ、そもそもユリスは穢れています! そう言うことは、互いに……あ、愛し合っている者同士ではないと女神様が怒ってしまいますよ! ど、どうしてもと言うのであれば……わ、私が………あぅっ」


 セシリアが何かを言いかけたが、どうやら羞恥心に負けてしまったようだ。

 知識を得たとは言え、もしかしたらセシリアにこのハードルは高かったのかもしれない。


 顔をより赤に染めて、顔を押さえながらじたばたと恥ずかしそうにする。


「ちょ、待ってセシリアさん!? そんなに動いたら座標が定めにくくなっちゃう!?」


 セシリアが激しく動くのでグラグラと視界が揺れる。

 そのせいで、どんどん高度が低い位置の座標が移動してしまう。


 激しく動くなら今じゃなくてベッドの上でして欲しい、そう思うユリスであった。


 そして、セシリアはハッ、と我に帰り激しく動くのを止める。


「あーもう……セシリアは本当に……」


「ご、ごめんなさい……」


 落ち着きを取り戻し、自分の行動が迷惑をかけていると知ったセシリアはシュンと項垂れる。


「……まぁ、セシリアは手がかかるって知ってるからーーーーそれに、「私が」ーーーー何だろ? 楽しみだな~」


「~~~~~~~ッ!? も、もうっ! 絶対にしませんからね!?」


「えー」


「えーじゃありませんっ!」


 からかうユリスに対し、セシリアは顔を赤くして怒る。

 だけど、その光景は何処か和ましいものだった。


「……ん?」


「どうかしましたか?」


 そんな途中、ユリスが不意に下を向いた。

 移動することもなく、ユリスが傲慢スペルディアを止めたことにより、今はどんどん自然落下していく。


 それでも平然と尋ねるセシリアは、大分この移動に慣れてしまったのかもしれない。


「……いや、あれ見えるか?」


 そして、強い風を受けながらユリスは広がる森の中を指差す。

 そこにはーーーー


「エルフ……の人でしょうか? それに……追われていますね」


「あぁ……多分、ありゃハイオークの群れだな」


 一人のエルフの少女が、小汚ない豚の面をした魔物に追われていた。

 必死に逃げ惑っているのか、後ろを気にしては森の中を夢中で駆けていっている。


 だが、ハイオークも負けじと集団で追いかけていく。

 ……もしかしたら、捕まるのも時間の問題かもしれない。


「ハイオークはオークの上位個体だ。個だけでも相当てこずるのに、集団で相手にされてしまっては、手練れな冒険者でも危険とされている」


「オークと言えば確かーーーー」


「あぁ……女を捕まえては子種を孕まして、捕食する生き物だ。あの女の子も、捕まってしまえば食われるーーーー正しく、暴食だな」


 捕まってしまえば、あのエルフの少女は残酷な未来を辿ることになるだろう。

 オークの欲望が収まるまで苗床にされて、その後は補食される。


 きっと、普通に殺される方が幸せなのかもしれない。


「ユリス……」


「あぁ……」


 ユリスは近くの木の上に降り立つ。

 そこからは、少女が追いかけられる姿が見える。


 そして、ユリスの予想通りなのか、少女は躓きあっという間にオークに囲まれてしまった。


 だからーーーー


「俺は正義の味方でも何でもないがーーーー俺の知る所で困っている人を助けないほど怠惰ではないさ」


 ユリスはそのハイオークの群れに向かって手をかざした。


「喰らい尽くせーーーー暴食グラ


 その瞬間、ハイオークの群れの頭上に無数の『口』が出現した。

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