アナスタシア公爵令嬢
「ほら、もっと頭を下げろよ? 弱者が強者に頭を下げるのは当たり前だろうが?」
ユリスは片足を地面につけ、バーンの頭を踏みつけにする。
頭が高い。故にもっと頭を下げろと、踏みつける足の力を強めた。
時間にして僅か1秒未満。
行動こそシンプルだが、バーンには防ぐことができなかった。
というよりも、体を動かすことが出来なかったのだ。
「どうですか? 無能に手も足も出なかったご感想は? ……って、聞いてないし」
ユリスは興味をなくし、その足をどける。
理由としては、完全にバーンの意識が飛んでいたからだ。反応がなければ、見下しても面白味がない。
(これが、
なんと拍子抜けなことか。
これじゃあ、魔法が使えないからと言って怯えていた自分が情けない。
セシリアみたいな聖女に比べてみれば、その希少性こそ劣るものの、間違いなく魔法士としては『天才』としての部類に入り、重宝される。
だがらこそ、ユリスは警戒していたのだが、蓋を開けてみればあっけないものだった。
『しょ、勝者11番!』
「ありがとうございます」
試験官の号令を聞いたユリスは一礼をし、そのまま待機場所に戻る。
『『『…………』』』
戻ってみれば、周囲の生徒が呆然としていた。
口を開けたまま固まっている生徒もいれば、信じられないと目を開く生徒もいる。
(無能が勝ったんだし、その反応をされるのも無理はないかもな……)
無能と卑下されてきた少年。
それが二重属性である公爵家の人間を下したのだ。
……周囲の反応は当然なのかもしれない。
『わぁっ! 勝ちました! ユリスが勝ちましたっ!』
だがしかし、そんな周囲の反応とは裏腹に、客席で見守るセシリアは呼び跳ねるほど喜んでいた。
無能と蔑んでいた子爵家の人間を聖女が喜ぶ。きっと、それも皆が驚く理由なのかもしれない。
(これで試験も終わりかな? ……だったら、娼館だな!)
ユリスの耳にセシリアの称賛は聞こえない。何故なら、思考は既に別にあるのだから。
ユリスの切り替えの早さはナンバーワン。気持ちは既に下半身だ。
「あら、やっぱり相手にならなかったのね」
下半身に意識が行っていると、不意に後ろから声をかけられる。
振り返ってみれば、そこには長い紅蓮のような赤髪を伸ばした少女。
整った顔立ちに鋭い目付きはどこか逞しく、凛々しさも醸し出している。
そしてもう一人は黒髪を肩口まで切り揃えた少女。
小柄な体型とマルっとした顔は愛くるしさを感じ、長いまつげや桜色の唇が少しばかり色っぽく、ちょうどいいギャップが惹かれてしまうようだ。
片や動きやすい軽装にもかかわらず、片方は給士服であることに不思議に思うユリスだった。
だが、ユリスはそんな疑問を口に出さず、赤髪の少女に対して深々と頭を下げる。
「これは、アナスタシア様……申し訳ございません。まさか試験に参加しているとは思わず、ご挨拶が遅れました」
「顔を上げなさい。……この学園では爵位も貴族も平民も平等なのよ?」
「ですが……」
「それに、さっき「ほら、もっと頭を下げろよ?」なんて言っていたぐらいの人間が、逆に畏まる方が不気味だわ」
確かに、先程の試合でのユリスは爵位が上な公爵家の人間に対してそのように言っていた。
なんなら頭を踏みつけて、嘲笑うかのように挑発していた。
そんな人間の姿を見た後に、こんな態度をとられたら逆に不気味に感じてしまうのも仕方ないだろう。
「はぁ……こちとら下級貴族なんだ。普通に接させてくれよ」
ユリスは反論しようとするものの、彼女の発言に逆らうよりかはと、諦めて口調を変えた。
「いやよ、私とあなたの仲じゃない」
「傲慢……」
流石は公爵家ご令嬢。
アナスタシアには譲歩という言葉がないらしい。
「それにしても、あなたも派手にやったわね……バーンが運ばれてるじゃない」
アナスタシアはちらりと中央を見る。
そこには、意識を失ったバーンを救護員を魔法で浮かせてどこかに運ぶ光景があった。
「知るかよあんな傲慢な奴。強さと傲り履き違えている奴に俺が何しようと勝手だろ?」
「あなたこそ、傲慢よね」
「だから俺の力は大罪なんだよ。それはお前も知ってるだろ?」
「えぇ……そうね」
アナスタシアは少し昔の事を思い出してため息をつく。
ーーーーユリスとアナスタシアは貴族という関係を取り払えば、幼なじみみたいなものである。
というのも、アンダーブルク領を統括しているのがアナスタシアの父親であるミラー公爵なのだ。
だからその関係でたまに出合うことがあり、同年代と言うことでよく遊んでいた。
(始めは私の後ろに隠れてばかりだったのにね……)
魔力がなく、魔法が扱えないユリスはいつもアナスタシアの後ろに隠れていた。
そこで、アナスタシアは貴族らしく堂々としなさいと、何度叱ったことか。
だけど、いつの間にか、ユリスはアナスタシアの背中に隠れることはなくなった。
きっかけとしてはよく分かるーーーー
(この力よね……)
ユリスから直接聞いたその力。
劣る自分がどうすれば守れるのか? 前に進めるのか? 数々の苦悩と挫折の中で、ようやく身につけた力なんだとか。
その力を身に付けてからは、ユリスはアナスタシアの後ろに隠れることはなくなった。
それが少し寂しくもあるアナスタシアだった。
「次はきっと勝てるわ」
「ほう? 一度も俺に当てることもできてないのにアナが俺に勝てるのか?」
「えぇ……次は魔術なしの勝負ね」
「俺、絶対負けるじゃねぇか」
魔術なしのユリスはただの人間だ。
そんな状態で魔法ありのアナスタシアに勝てるなんて……まずあり得ない。
勝てなければ勝てる土台で勝負する。
負けない意欲は素晴らしいが、流石に卑怯である。
「ねぇ、お願い♪」
すると、アナスタシアはグッとユリスに顔を寄せる。
桜色の唇と長いまつげが視界一杯に、仄かに香る女の子特有のいい匂いがユリスの鼻を刺激した。
きっと、普通の男子であれば美姫の魅了にかかれ、思わず頷いてしまうことだろう。
だが、ユリスは違う。
ユリスはアナスタシアの胸部に視線を落とす。
残念なことに、その胸部はよく足を運ぶ娼館の女性とは比べるほどもないくらいの平らでーーーー
「フッ、一昨日来やがれ」
「今、どこ見て言ったのかしら?」
「こ、こめかみがァァァァァァァァァァァッ!?」
アナスタシアは身体強化の魔法を使って、全力でユリスのこめかみを握った。
激しい悲鳴が、訓練所に広まったのは、言うまでもないだろう。
「ふふっ、久しぶりにユリスと話すのは楽しいわね」
(楽しかねぇよ!?)
ただ痛い思いをしただけのユリスにとっては、アナスタシアの気持ちは理解できなかった。
だがしかし、ここで余計なことを言ったら余計に被害を受けるだけ。
ユリスは、未だに痛むこめかみを押さえながら、平然と返した。
「あぁー……確かに、半年ぶりぐらいじゃなかったか?」
「そうね……ユリスならすぐに遊びに来れるのに、全然遊びに来てくれないんだもの」
「そりゃあ距離もあるし、俺達の階級は違うんだ……おいそれと遊びに行けるかよ……それにーーーー」
ユリスは視線を動かし、客席を一瞥する。
そこには降りる場所を必死に探して動き回る修道服の少女がいた。
「あぁ……聖女様ね。あなたの領地に滞在しているという噂の」
「……あいつがいる限り、俺は目が離せねぇからな。俺も遊びに行きたかった気持ちはあるんだが……悪いな」
「いいわよ別に。来てほしい気持ちはあるけど、無理してまで来てほしいなんて思わないから」
……と言いつつも、アナスタシアの本当の所は遊びに来てほしかった。
公爵令嬢であるアナスタシアにとって、貴族社会というのは大変息苦しい。
親の面子を壊さないように仮面をかぶり続けなければいけないし、同年代の少女達は、基本的に公爵家の温情欲しさに近づいてくる。
(それに、婚約婚約って最近うるさいのよねぇ……)
故に、アナスタシアの環境は窮屈。
気兼ねなく話せる存在が少ないアナスタシアにとって、ユリスは数少ない憩いの存在なのだ。
「まぁ、お互い入学できたら会う機会も増えるでしょう……その時は、またお喋りしましょ?」
「……お手柔らかに頼むよ」
肩を下げるユリスを見て、アナスタシアは満足げに頷く。
「行くわよミリー」
「……承知いたしました」
アナスタシアは久しぶりにユリスと話したことによって、どこか気分がよくなったのを感じた。
その足取りは、何処か軽やかである。
そして、アナスタシアは背中を向けてユリスの元から立ち去っていくのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます