過去へ落ちて未来を這い上がる

夏山茂樹

愛を教えてくれたお前の元へ

 六畳ほどの寝室で、俺がいつも見ていたものは母とその浮気相手の性行為だった。二人は一糸纏わぬ姿になり、体を絡めあって、愛を確かめ合う。母の甲高い喘ぎ声が、その相手の小さなうめき声が、肌と肌を打ち付け合う音が部屋中に響いて、俺はその混沌とした音の世界で呼吸をしてじっとその様子を眺めていた。


「あっ、らめっ……。イッちゃう、やっくんイッちゃうよあたしラメになりゅ……」


「……香織さんの出産経験済みお○んこ、キッツいですねえ! いいよ。もっと鳴いて」


「らめやあああっ!」


 部屋に無理矢理連れてこられて、見せられる不倫相手と母の行為に、いつからか耳を塞がなくなった。いつも心の中で胃の底から吐瀉物が出るのを無理矢理抑えるような感覚に陥って、横になりたかった。部屋を出て、音楽を聴いてごまかしたかった。


 それなのに、いざ行動に移そうとすると「真夏」と声をかけられて、母の汗に汚れた顔で睨みつけられるのだった。その顔は化粧が汗で崩れて、いささか鬼女のようにも感じられた。あの能面の顔をした裸の母を見て、俺は固まってその場に立つことしかできない子供だった。


 その日も俺は部屋の片隅でちょこんと座りながら、その行為を見学させられていた。ふたりは俺をじっと見ながら肌を打ち付けあっている。

 母の膣に突っ込まれた小さなソレはいきりたって、青筋を作りながら持ち主によって出し入れされている。グチュグチュいう音とともに、俺は存在しないかのようにじっとその様子を見ていた。六年生だった俺は、思春期に入ろうとしていた頃だった。それなのに、興奮しないのは何故だろうか。


 腰を振っているだけの母の醜い愉悦を見つめている時間は長くて、苦痛で、虚無感にあふれていて。一言でいえば自分が自分でないように感じられる時間だった。


「真夏、おいで」


 音が止んで、母が俺を呼ぶ。手招きして、何かを企む子供のように目を細くして笑う母に少し驚きながらも、俺は言う通りにした。すると、母の膣からソレが抜かれて、勃ったままのソレが俺の口元に向けられる。


 男女の体液の臭いが漂ってくるソレから目を背けようとする俺の頭を、相手の男が掴んでソレに向けさせた。首が折れそうなほど勢いよく頭の向かう方向を変えられて、首筋が痛む。だが、彼はそれでもお構いなしに俺の頭を掴んで伸びるソレを喉奥まで突っ込んで、出し入れし続けた。


 咥内に発射された白い液体はイカくさい臭いで、苦い。それを飲み込んで見せると、男は頭を撫でて優しそうな表情を見せた。


「よくできたね、真夏。愛してる」


 愛してる……。愛ってなんだ? 無理矢理喉奥に性器を突っ込まれて、性的な虐待をするのが愛だと言うのか? 俺は愛というものが分からなくなって、やがて考えるのをやめてしまった。


 だが、八月の夜、湖水浴場で出会ったあの子は『愛』という言葉を嫌っていた。泣いていたその子に差し出したハンカチを握りしめながら、父親にふるわれた暴力で出た鼻血を、彼にそのティッシュで拭いてもらった時に何か温かいものが心の中で湧き上がる感覚を覚えた。


 向こうからの告白で自分も恋慕の情を向ける決心をしたとき、初めてその正体に気づいて思わず興奮してしまった。普段から毛嫌いしていたあの恋人のように。 


 彼は少女の姿をした少年だった。俗に言う男の娘で、俺より一つ年下の少年。それでも、中学生かと思うほどに背が高くて脚も細くて、どこか厭世的な雰囲気を放つ子だったのを今でも覚えている。湖に浮かぶ月を反射するあの虚な光が瞳に宿る、不思議な少年。

 神話に出てくる女神さまのように美しい。そう心から思わざるを得ないほどの神秘的な子供だった。そんな彼と過ごした十五日間は夢のように楽しくて、あっという間に過ぎていった。


 あれから四年。俺は父が一年の準備期間で受けさせた中学に合格し、悲惨な別れ方をした彼を忘れようとたくさんの少女たちと付き合った。先輩、同級生、後輩問わず。だがいざ行為に至ろうとするとすぐに出てしまうか、中折れしてしまうか、そもそも勃たないかのどれかで別れると、元カノたちはそういった話題を学校で言いふらした。


 童貞、加藤真夏はそれから高校に入ってからはどんな告白も断ることに決めた。おかげで一部女子からの評判は悪いようだ。


 だが、最近ネット経由で再会したあの初恋相手。湖水浴場で泣いていたあの少年とラインでたくさん語り合って、電話して、少しずつ身近に感じたせいか。俺は彼の住む東北の田舎へ行こうと決めたのだ。

 十万円の貯金を銀行から下ろしてきて、食卓で父にそのことを話したときは取っ組み合いの喧嘩になったが、珍しく折れてくれた。


 もうすぐで夏休みが始まる。待ってておくれ、琳音。お前を好きな女の子が可愛いのは知ってる。それでも、俺は関西から新幹線に、電車に乗って東北の遠い田舎町へ向かうから。お前には大事なことだけを話して、もう一度あの女神さまのような神々しさで笑ってくれ。俺はその奴隷であり続けるから。

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過去へ落ちて未来を這い上がる 夏山茂樹 @minakolan

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