空を飛べたなら

鎌上礼羽

全編(一話完結)

※本作品はフィクションであり、実在の人物、団体とは一切の関係がありません。終戦記念日から着想して戦争を題材に描いた創作小説です。



 俺たちは黄金色の田んぼの土手に座っていた。


「私、空を飛んでみたいわ。」


 松子は上空を見ながら口にした。今より四十年ほど前に米国で、ある兄弟がその夢を叶えたそうだ。綺麗な青に綿のような雲が浮かんで絵になるような空だった。


「どうしてだ?」


 富士山に登っただけで空気が薄いなんて皆口々に言うのだ。その遥か上を飛ぶなんて苦しそうだ。


「だって空からみたら私たちなんてちっぽけな豆粒のように見えるでしょう? その中にある悩みなんか全部何処かへ吹き飛んでしまいそうよ。」


 松子は腕を胸から外へ広げて投げ出そうとした。彼女は癌と闘っていた。何の手立てもなく医師は匙を投げた。療養という名目で最期まで自宅に居ることになったそうだ。


「そうか。」


 俺はただ相槌を打った。それは彼女の人生のうちに到底叶いそうもない願いであった。





 その一年後、松子は家の中に留まることが多くなった。これで最後になると覚悟をして松子の家を尋ねた。そこで見た松子はすっかり痩せこけていた。


「俺、多分空を飛ぶことになった。」


 俺の手中には紅紙が握りしめられていた。


「あら、感想を聞かせてちょうだいね。」


 松子は弱弱しく微笑んだ。


「ああ。」


 俺は涙をこらえきれずに直ぐに背を向けた。松子は俺に生きて戻れと言ったのだ。誰もが、お国の為に死すことを是として俺に押し付けた。それを受け入れて自分に言い聞かせてきた。それなのにあまりに残酷だ。


「楽しみにしているわ、てっちゃん。」


 松子は昔馴染みの呼び方で俺に喝をいれた。死に抗っている人間は生きるということがどれほど価値のあることか分かっているのだ。一つの命を大切にしろと。


「分かった! 待ってろ。」


 大きな声で松子の耳にこびりつくように言った。俺だって死ぬのはごめんだ。






 俺はすさまじい轟音の中、熱帯雨林の上を飛行していた。後方には海上に浮かぶ空母が見えた。あそこから飛び立ったとき俺の人生の終焉が決まった。俺が乗っている飛行機には爆弾と片道分のガソリンが積まれていた。たったそれだけなのだ。ごめん、俺も生き抜きたいと思っていたのに、どうやら松子との約束は守れそうにない。


 雲の切れ間に市街地が見えた。ここでボタンを押して爆弾を投下すること。これが俺の人生で唯一、お国の為にできることだ。手が震えてくる。下の景色を見て市街地の真上に来たことを確認する。大丈夫なはずだ、お国の為なのだから。


 しかしそのとき、不運にも俺の目に豆粒ほどのヒトが映ってしまった。


 ― 松子、上空ではヒトの命の価値すらちっぽけに見えるなんて聞いてないよ ―


 俺は危うく人殺しになるところだった。いつまでもためらっていたから使い捨ての飛行機は白煙を上げだした。きっと俺は異国の地で誰とも区別されず死ぬのだろう。


 俺は死なぬようにと飛行機から飛び出して必死にパラシュートを広げた。

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