強さとは

 ターゲットを俺からマリアに変え、弓立は彼女に跳びかかった。

 激しく咳きこみ、呼吸するのが一杯一杯の状況で俺は何も言えなかった。

 それに、手足にある枷のせいで助けにも行けない。

 椅子を倒し、マリアは斬撃を避ける。しかし、相手はプロだ。

 ナイフを持つ手を変え、彼女を切りつける。


「ッ!」


 必死に体を動かして抵抗するが、縛りつけられている状態ではどうにもならない。

 何度も蹴られ、ピクリとも動かなくなったところで、弓立はマリアの縄を解いた。


「……弱いくせに逆らうからこうなるの」


 髪の毛を掴んで、ベッドの上に頭を押しつける。苦悶の表情をしているマリア。俺はただ、呻き声を漏らすことしか出来ない。


「……この世に執着している意味を、消してあげる。今の相棒が死ねば、嫌でも分かるでしょ」

「……やめろ」


 弓立は鞘からナイフを抜く。


「簡単には殺さない。赤沼さんの“獣”が目覚めるまで、嬲り殺しにしてあげる」


 ナイフがマリアの肩を狙った瞬間、マリアの口端が僅かに上がった気がした。

 何かを叩く音が聞こえたかと思ったら、マリアの頭が目の前から消えた。

 決して首が飛んだ訳じゃない。彼女は拘束を解き、逃げたのだ。


「待ってて!」


 マリアの声。憤怒の色に染まった顔を弓立はマリアに向ける。


「足……」


 そう呟くのが聞こえた。マリアは弓立の足を踏んづけて、隙を作って逃げたのだろう。

 成長を喜ぶ余裕はないが、俺は少しだけ涙を流した。

 追うか否か。弓立は一瞬迷ったようだが。


「また逢いましょう」


 それだけ言い残し、部屋を出て行った。



 体感的には一時間くらいして、公安の二人と矢上が部屋に入ってきた。


「大丈夫ですか?」

「……無事じゃないけど、生きてるよ」

「外に救急車が来てます。……歩けますか?」

「悪い、肩貸してくれ」


 矢上の肩を借り、部屋を出る。ここは、あの埼玉の倉庫の地下だった。


「公安の草薙さんに電話したでしょう。その後、電話に出たら応答が無いし、銃声が聞こえたんで逆探知してここを割り出したんです。中を捜索してたら、マリアさんが地下への隠し扉から出てきましてね」

「……なるほど」

「弓立の馬鹿は?」

「マンホールの蓋が開いてました。下水道を使って逃げたんでしょう」


 外はパトカーや救急車が停まっており、物々しい雰囲気だ。

 日は沈んでいる。


「……今、何日の何時だ?」

「23日の午後八時です」


 丸一日、地下で過ごしていたらしい。


「……そうだ、斎藤達の私兵は?」

「私達が踏み込んだ時には……もぬけの殻でした」

「畜生……」

「とにかく、今は病院へ。マリアさんは、先に救急車で行きました」

「大丈夫なのか?」

「ええ。自分も怪我してたのに、赤沼さんを物凄く心配して……」


 申し訳ない気持ちで胸が詰まる。

 救急車に乗せられ、安心感からか気を失うまでその気持ちは晴れなかった。

 今度目が覚めると、そこは病院のベッドの上だった。

 拘束具も無く、時計が静かに時を刻んでいる。

 俺は起き上がり、点滴棒片手にヨボヨボと歩き出した。病室を出る。どこか見覚えのある廊下だ。


「赤沼さん」


 聞き覚えのある声に振り返ると、そこには車いすに乗った江戸川がいた。

 どうやらここは、警察病院のようだ


「弓立ですか?」

「その様子じゃ、全部知ってるんだろ」


 休憩所のソファーに腰掛ける。


「弓立はなんて言ってました?」

「この国を滅茶苦茶にすんのが、目的だそうで」

「……この国を」

「公安のアンタにゃ、耳に毒だな」


 乾いた笑みを浮かべたが、状況は最悪だ。敵集団の行方は不明、強敵である弓立の行方も分からない。

 今この瞬間、この街の何処かで誰かが撃たれているかもしれない。

 吐き気がする。

 

「浩史」


 顔を上げる。マリアが不安そうな顔をして、俺の顔を覗いていた。

 頬に貼られた大きいガーゼが痛々しい。


「……それじゃあ、私はこの辺で。後は、若い二人でゆっくり」


 江戸川はマリアの姿を見ると、そう残し自分の病室に戻って行く。


「誰? あの人は」

「……公安の偉い人」

「足を撃たれた……?」

「そう」


 マリアが隣に座る。

 しばらく何も言わないでいると、彼女は俺の手に触れた。すると、胸に溜まっていた不快感がその温かさによって溶けていった。


「あったかいな。お前の手」

「そう?」


 その時、地下室で叫び声を挙げ助けてくれた事を思い出した。


「ありがとう。地下室で助けてくれて」

「……あの時の借りを返しただけ」

「あの時?」

「ラスベガスのさ」

「別に、貸しを作った訳じゃ……」

「でもあの時に助けてくれなかったら、私は死んでた。……地下室でもそうだったでしょ」


 マリアの言う通り、下手すれば俺は間違いなく死んでいた。


「……実はさ、気が付いた時。浩史と弓立が……キスしてて……」

「あっ……」

「怖かった。彼女に、脅されて……浩史の相棒に相応しくないって言われて……私が弱いから……」


 そう吐露する声に、徐々に嗚咽が混じる。


「本当に……浩史が……私の隣からいなくなっちゃう気がして……そうしたら……怖くて、声が出せなくて……でも、浩史は浩史だって言ったから……そこで声を出せた……」


 いつの間にか、俺も涙を零していた。


「なんて言うのかな? 殺されそうになってるのに、体が自然と動いてた。……『助けなきゃ』って思うと、居ても立っても居られなくなって……」

「……そうか」

「……………………」

「……安心しろ。お前は、弱くない。あんな言葉に惑わされるな」


 俺はマリアの手を握り直した。彼女が俺の顔を見る。

 衝動的に、マリアを抱きしめていた。


「………………」


 彼女の腕が俺の背中に回る。


「……私が……キスしていい?」


 マリアの問いかけに頷く。

 お互いにぎこちなく頭を寄せる。慣れない者同士、決して上手いものではない。


「隣にいて。……私の相棒でいて」

「ああ。勿論だ」


 けれど、相棒という垣根を少し超えた関係にはなれた。

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