抵抗

 一瞬、ゾンビ映画よろしく顔面を喰われるかと思ったが、そんな予想の斜め上をいく行動。


「!」


 唇を重ねただけではない。弓立は俺の唇を舌でこじ開け、赤いそれを口腔内に侵入させた。

 口を使った動作全てを封じられ、パニックになる。しかし、弓立は容赦無く舌で口の中を掻き回していく。

 俺は舌を使って抵抗するもねじ伏せられ結局、舌を絡ませられてしまう。

 口の中を動き回る他者の舌、そこから漏れる艶めかしい吐息。

 意識が朦朧とし、体に入れている力が抜けていく。それを感じ取ったのか、舌の攻撃も苛烈になる。


(マズイ!)


 力を振り絞り、俺は弓立の舌を噛んだ。舌が引っ込み、弓立の顔が遠くなる。微かに血の味がした。

 弓立は口元を手で押さえていたが、喉を鳴らし笑いだした。


「“狼”はもう目覚めている。問題は……その獣をどう暴れさせるか」

「……お前みたいな血に飢えた化け物と、一緒にするんじゃねぇ」

「私も、赤沼さんも、マリア・アストールも皆同じです」

「……なんだって?」

「誰も彼も、銃を持ち人を殺しているじゃないですか」


 それは紛れもない事実だ。


「………………」

「貴方達は『世界平和』の為に。私達は『混沌』の為にトリガーを引きます。……ですが、それにどんな違いがあると思います?」

「………………」


 また弓立は顔を近づける。


「大した違いが無いのなら、楽しく、気持ちよく、トリガーを引きたいですよね?」


 その言葉に俺は目を瞑り、歯を食いしばり、拳を握り締める。

 血液が沸騰しそうな程、熱い。

 ……俺は、そんな事を思って引き金を引いた訳じゃない。

 初めての時は訓練の為に。

 新宿の時は無我夢中で。

 初めて人を撃った時はマリアを守る為に。

 今は……名も知らぬ誰かの為に。

 誰かの為に戦っている。

 決して、楽しくも気持ちよくも無い。

 

「貴方はとても強い。どんな状況でも戦い抜き、生き残る。……そこで気絶している女と違って」


 戦闘技術だけが強さじゃない。少なくとも、俺の相棒は弱くなんかない。

 弱い奴は、自ら強くなろうなんて思わないのだ。

 そして、本当に強い奴は――。

 

「弱い相棒なんか放って、私と……」

「――誰も見捨てない」


 目を見開き、狂気に輝く目と立ち向かう。


「何度も言わすんじゃねぇ……。テメェと俺は違うし、俺は化け物なんかじゃねぇ……」


 弓立の眼から狂気が引き、冷酷な本性を覗かせる。

 俺の首を掴み、徐々に力を込めていく。


「例えが悪かったですかね? ……じゃあ、赤沼さん。って知ってますか?」


 問いかけているくせに、首に掛ける力を強くするので俺は呼吸するのが精一杯で答えられなかった。


「1987年にアメリカの哲学者が考案した思考実験です」


 ある男がハイキングに出かけました。道中、この男は不運にも沼のそばで、突然雷に打たれて死んでしまいます。

 その時、もうひとつ別の雷がすぐそばの沼へと落ちました。なんという偶然か、この落雷は沼の汚泥と化学反応を引き起こし、死んだ男と全く同一、同質形状の生成物を生み出してしまう。

 この落雷によって生まれた新しい存在のことを、スワンプマンと言います。

 スワンプマンは原子レベルで、死ぬ直前の男と全く同一の構造を呈しており、見かけも全く同一である。もちろん脳の状態も完全なるコピーだから、記憶も知識も全く同一。

 沼を後にしたスワンプマンは、死ぬ直前の男の姿でスタスタと街に帰っていく。そして死んだ男がかつて住んでいた部屋のドアを開け、死んだ男の家族に電話をし、死んだ男が読んでいた本の続きを読みふけりながら、眠りにつく。そして翌朝、死んだ男が通っていた職場へと出勤していく――。


「――それが、スワンプマンの内容です。……さしずめ、血の池地獄の沼男ですよ、赤沼さんは。……因果な名前ですね」

「……つまり“俺”はもう死んでいて、今こうしているのは“俺のコピー”だと言いたいのか?」

「はい。自衛官で真面目な赤沼さんは、もう死にました。……今いるのは、血に濡れた凶暴な赤沼さんです」

「笑わせる。そのスワンプマンも、周りの人間も“生者”として見てるんだろ? だったらそれでいい。俺が“死者”だろうが関係ないね」

「………………」


 弓立の顔から表情が消える。全身が凍り付くような寒気。

 これまで感じたことの無い、恐ろしい寒気だった。

 

「ぐっ!」


 片手で絞めにきた。なんとか出来ていた呼吸も出来ず、もがいても手が外れる事は無く死の淵に追いやられる。


「……何故、そこまで獣になりたがらない?」


 意識が朦朧とし、漆黒の中に取り込まれていく。


「…………く、だら……ない、こと、聞くん……じゃ、ねぇ」


 締まりつつある気道を必死に膨らませ、酸素を吸い込む。


「クソッ……たれ、の言い、なりなんか……に……」

「死にかけているのに、そう言える度胸は認める。けど、貴方も人のこと言えるほどの人間には見えない」

「………………グァ」


 もう死ぬ。いきができない。

 あたまがまわらない。

 たすけ……。


「うわぁぁぁぁぁぁぁっ!」


 空気を切り裂くような、唐突に聞こえた叫び声。

 弓立の力が緩くなる。喉から肺へ空気が流れ込み、千切れる寸前だった意識を繋ぎとめた。


「浩史から離れて!」


 マリアの声だ。

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