女同士の戦い

 苦しい。息が出来ない。

 脳が酸素を求め、肺などの臓器を動かす。

 喉が動き出し、咳きこみながらも酸素を吸いこむ事に成功した。

 滲んだ涙を拭おうと、腕を動かそうとした時。


「アレ?」


 手首を縛られている事に気が付いた。

 足も同じ様に縛られている。

 どうやら、私は椅子に座らせられたまま拘束されている様だ。

 頭を振るい、目を開く。

 暗い。けれど寒くはない、微かに聞こえる機械音がエアコンの起動を裏付けている。

 手足は動かせないから、首を動かす。暗闇に目が慣れてきたので、空間の輪郭を把握できる。

 十畳ほどの部屋に、私は閉じ込められている。目の前にはローテーブル、その奥にはベッドがあり、その上に誰かが横たわっている。


「誰? 誰なの?」


 声を掛けるが、返事は無い。

 酸素が回ってきた頭を絞り、必死に思考しようとした時だった。

 扉の開く音がして、電気が点けられた。


「!?」


 顔を音がした方に向ける。そこにいたのは。


「お目覚め? マリア・アストール」


 浩史が弓立と呼んでいた女だった。手には私の身分証を持っている。


「アンタ……」

「あら怖い。そんな顔しちゃって」


 彼女は笑い、テーブルの上に身分証を放った。

 それを目で追い、視線を上げる。

 明かりが点いたせいで、ベッドの上の者が分かるようになった。


「浩史……」


 ベッドの上で寝ているのは、赤沼浩史その人だった。けれど、彼は今上半身裸で、お腹に血塗れの包帯が巻かれている。

 心なしか、顔色も悪い。額には汗が浮かび、苦しそうに胸を上下させている。


「フフフッ」


 弓立は笑顔で、彼の腹筋を撫でた。

 浩史の呼吸が荒くなるが、目覚めない。


「麻酔が効いてるから、あと三時間は起きないわ」

「アンタ……浩史を……」

「死ぬ程じゃない。ちょっと、ね」

「死ぬ程じゃない? ちょっと? ふざけないで」


 私が睨むと、彼女は肩をすくめベルトのバックルを弄った。

 バネの音がして、バックルが変形する。

 三つの穴が私に向けられた。


「バックルピストル。ナチスドイツが作った、護身用の銃。25口径ショート弾を使うの」

「………………」

「しかも、弱装弾を使ったから内臓なんかを傷付けてないわ」

「……それとこれとは、話が――」


 頬を殴られる。ほぼノーモーションで繰り出された攻撃を、防御できるはずもない。もっとも、手足を拘束されているから防御出来ないのだが。


「――うるさい」


 全身が凍ってしまうかと錯覚するような声色と、向けられた双眸。

 呆気に取られていると、今度は鳩尾を殴られた。

 激しく咳きこむ。内蔵全てが悲鳴を挙げている。


「自分の立場をわきまえたら? その気になれば、今ここでアンタを簡単に殺せるの」


 シャツの後ろからナイフを取り出し、私のセーターを首元から立てに切り裂いた。


「分かる?」


 必死に首を縦に振る。


「こんな薄い胸、ナイフを当てたら何の抵抗も無く心臓を抉れる」


 ナイフを手の中で弄びながら、弓立は私を見た。


「アンタは弱い」


 冷酷に言い放ち、刃先で胸を撫でた。

 恐怖で喉が鳴る。その反応を見て、弓立は加虐心溢れる笑顔になる。

 顎を弓立に捕まれ、その凍てつく瞳を否応にも見させられた。


「アンタは、赤沼浩史の相棒に相応しくない」


 頭を殴られた様な感覚が襲う。脳の芯が痺れ、何も考えられなくなる。


「弱いアンタが、強い浩史の隣にいる資格は無い」

「……そんな事」

「“ない”って言いきれる?」


 顎から手を放される。それでも、目を逸らすことが出来ない。


「赤沼さんは優しいから、きっと本意を言わないのよ。言ったら、アンタが傷つくって分かってるから」


 弓立の言う通り、浩史は強くて優しい。

 何度も、私を助けてくれた。一緒にご飯を食べたしお酒も飲んだ。笑って、怒って、手を差し伸べてくれた。

 仕事だから。

 そう言ってしまえば、それまでかもしれない。

 ……けれど。


「違う」


 そう言い切れる。

 確かに、私は弱い。それは間違いない。けれど、彼は浩史はそんな理由で人を捨てる事はしない。

 それは、それだけは分かる。

 じゃなきゃ、自分の身を危険に晒してまで弱い私を助けようとしない。

 浩史は強いが、利己主義ではないのだ。


「貴方には、分からない」


 弓立の表情が消える。


「浩史は強いけれど、貴方が持つ強さじゃない」


 ナイフの先が胸に刺さる。傷口から、鮮血が滴り体を伝う。歯を食いしばって痛みに耐える。


「死にたいの?」


 キンキンに冷えた剃刀みたいな目。


「……私を殺したら、どうなると思う?」


 斜めにゆっくりと、ナイフで切られていく。


「……日本ISSとアメリカISSが黙ってないわ。そして、更に黙ってないのが」


 視線をベッドに横たわる相棒に移した。


「――浩史よ」


 私の胸に切り傷をこしらえたナイフを、弓立は舐めた。


「貴方の様子じゃ、浩史は殺さないわね。……私を殺して、浩史を生かしておいたら……きっと、貴方を殺しにかかる。例え、地の果て地の底どんなに逃げても、彼は貴方を追いかけて殺すわ」


 弓立はしばらく私を見つめ、小さく息を吐いた。

 その一挙動一挙動が私の恐怖を煽る。


「……面白い」


 弓立は血濡れの刃を私のズボンで拭い、鞘に納める。


「少し見直したわ、アンタの事」


 代わりに彼女はスタンガンを取り出した。


「今殺そうとしたけど、もうしばらく寝かせてあげる」


 その声と共に青白い火花が目の前で散った。

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