邂逅

 料亭の中に入る。出迎えの女将はおらず、やけに静かだ。

 俺は靴を脱ぐことを強要されそれに従う。

 長い廊下を歩いていると、ここが町の真ん中にある事を忘れそうになる。

 新幹線も止まる駅がすぐそばにあるが、在来線の音すら聞こえない。

 エアポケットに迷い込んだか。

 そう思う程に、静かで人気を感じられなかった。

 目の前を歩いている黒坂も、後ろで銃を突きつけている弓立も、実は実体が無いのかと勘繰るが試す気にはなれない。

 枯山水が見える部屋の前で、先導する黒坂が歩みを止めた。

 横目で庭を見る。

 小さいながらも、手入れが行き届いた枯山水。

 その脇には、ししおどしがあった。

 しかし、部屋と廊下は障子戸で仕切られ、折角の庭を見る事が出来ない状態だ。


「黒坂准陸尉です。赤沼浩史一等陸尉をお連れしました。……弓立様も一緒です」


 黒坂が室内にいる誰かに、声を掛ける。

 俺は“お連れ”じゃなくて“連行”もしくは“拉致”だろと思ったが、口にはしなかった。


「入れ」


 男の声だ。若くはない。

 黒坂は失礼しますと言い、障子戸を引く。弓立に背中を小突かれ、俺も仕方なし部屋の中に入った。

 一人の男が座っていた。自衛隊の制服を着た、丸い輪郭の男だ。

 とっくりからおちょこへ、透明な液体――酒を注いでいる。

 

「まぁ、座りなよ。……赤沼一尉」


 男は酒を呷り、口角を歪めた。


「……元一尉だ」

「元? おかしいなぁ?」

「あん?」

「君は……まだ、陸上自衛官だろう」


 何を言い出すかと思えば、いきなりなんてことを言いだすのだ、この男は。


「人違いじゃないですか?」

「いや。間違いないよ」


 男は胸ポケットからメモ用紙を出し、内容を音読する。


「赤沼浩史、男。一九九〇年四月三日産まれ、現在三十歳の千葉県出身。二〇一二年に陸上自衛隊に幹部候補生として入隊。教育課程修了後は、広島県の第46普通科連隊へ。災害派遣等で活躍し、昇進と共に長野県の第13普通科連隊に異動。幹部レンジャー課程をへて、第1普通科連隊へ異動。その後、格闘徽章と射撃徽章を獲得……そして、二〇二〇年四月、新宿駅爆破テロ未遂事件での活躍により、一等陸尉へと昇格」


 個人情報を含む、俺の経歴の全てを握られていた。


「君の経歴で、間違いないよね」

「……ああ」

「まあ、あれだ。立ち話もナンだ。……座りなよ」


 要は、遠回しに俺に逃げ場は無いと言っているのだ。

 障子戸の前には黒坂。後ろには弓立。おまけに、個人情報を握られている。

 逃げようにも、逃げるのは難しい。

 俺は溜息をつき、男の向かいにあった座布団に座る。

 何故か、俺の前にもおちょこがあった。


「……アンタ一体、何者なんだ? 何処の所属だ?」


 座るなり、俺は疑問をぶつけた。


「防衛省情報本部分析部第一室、室長……斎藤幸人ゆきひと。一等陸佐だ」

「……情報本部」


 俺の個人情報や経歴を調べ上げれたのも、納得だった。

 情報本部……簡単に言えば、日本版NSAアメリカ国家安全保障局だろう。

 日本最大の情報機関で、自分達で集めたり他の省庁や友好国から収集した情報を分析したり、“像の檻”なんて呼ばれるレーダードーム施設を運用している。

 似たような組織で、内閣情報調査室なんてのがあるがあっちは警察色が強い。


「それで……ウチの方で見つけた赤沼一尉の経歴なんだけどね」


 斎藤はそう言い、今度はクリアファイルに入れられた書類を渡してきた。

 それを受け取り中身に目を通す。

 先程音読された経歴に付け足す形で、もう一文が書かれていた。


『同年。十月某日をもって、防衛省情報本部分析部第一室に異動』

 

 言葉にならない。

 四か月前、俺は間違いなく矢上やデニソン主任の話を聞きISS局員になった。

 その時、駐屯地司令は突然居なくなる方便として、本庁の方に異動と伝えると言った。

 だが、あくまでも方便だ。

 真実ではない。

 

「おいおい。そんな顔するなよ……俺が上司なのが嫌か?」

「冗談言ってんじゃねぇぞ。……これは一体、どういう事だ!」


 経歴書をテーブルに叩き付ける。黒坂が動いたが、斎藤は制した。


「俺は、君のその戦闘能力を買っているんだ。書類を偽装して、また自衛官にするくらいにはね」


 思わず目を見開く。


「……だから、一尉って言ってんのか」


 点と点が線で繋がる。

 自衛官じゃない弓立はともかく、黒坂や中田の対応は敵対者にするものとは少しずれていた。

 中田を三下呼ばわりした時、彼が言い返してこなかったのはそれが原因だろう。

 中田は三尉。俺は一尉。階級は俺の方が上だ。

 上司が俺を現役扱いしてるんなら部下もそれに従うだろう。


「……こんな偽装工作までして、本当に何の用だ?」


 俺の言葉に斎藤は体全体を揺らして笑った。


「なに、時間はある。のんびり話そうじゃないか」


 斎藤は酒を一口飲み、俺の前のおちょこにも酒を注ごうとする。


「アンタと酒を飲みかわす気は無い」

「……そうか、それは残念だ」


 それでも笑みを絶やすことなく、斎藤はおちょこを置いた。


「じゃあ、簡単な質問から始めよう」


 斎藤の顔が真顔になった。


「君は、この国……いや、街を歩いていてこう思った事はあるかい? “この街は綺麗すぎる”と」

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