狂う歯車

 激動の夜が明けようとしている。

 毛布に包まっても、二月の外気は骨身にこたえた。寒さと心地良い温かさの境で意識を反復横跳びさせていると、車のドアが開き弓立がココアの缶を差し出した。


「……悪いな」


 それを受け取り、プルタブを開ける。甘くて温かい。とてもホッとする。

 腕時計を見る。

 時刻は六時少し前。無線はまだ入っていない。

 もう少しだけ仮眠しようと思ったが、止めた。

 車から降り、背筋を伸ばす。

 もう充分仕事したのに、今からが本番だ。ココアを飲み、高ぶる気持ちを静める。


「……いよいよですね」


 俺の隣に弓立が並ぶ。その手には、携帯電話が握られていた。電話でも掛けたついでに、ココアを買ってきてくれたのだろうか。

 彼女の言う通り、いよいよだ。

 ここで失敗すれば、日本の歴史や自衛隊史にべっとりと血の手形が付くだろう。

 どれだけの犠牲者が出る?

 想像するだけで、吐き気がする。

 それだけは、絶対に避けなければない。


「ああ」


 やるだけの事はやった。

 歌舞伎町を去ってから、俺は自衛官時代のツテを辿り立川駐屯地警衛隊隊長に話を通すことに成功した。

 最初こそ話半分で聞いておくと言ったが、時間をかけて脅したおかげで警衛隊に今日限定で、防弾チョッキ装備と……九ミリ拳銃を守衛所に置いておくことを約束させる。

 警棒だけで、銃を所持した暴徒にどう対応すればいいのか。


『日本がこんなんでよかったな』


 電話を切った後、俺はそう吐き捨てた。

 それから、ドラゴンスター一斉検挙作戦の指揮を執ることになった俺は作戦を立て、強襲係から七人選んでMP5サブマシンガンを装備するよう命じた。

 元陸自空挺、元海自特別警備隊、元SAT、元SITと……経歴だけ見れば百戦錬磨だが、実戦経験は皆無に等しい。

 訓練では優秀でも、実戦ではどう転ぶか分からない。

 俺はISSに入ってからの四か月で、それを痛感していた。

 認められるきっかけにもなった“危機察知能力”が無ければ、俺はいったい何回死んでいただろうか。

 俺だって細い細い綱を渡っているのに、俺が命を預かる彼らはどうなのだろう。

 銃口を人に向けて撃てるのか?

 思考は堂々巡り。甘いココアも、ほのかな苦みだけが強調される。


「畜生……」


 呟くと同時に、無線がなった。空になった缶を車の屋根に置き、受話器を手に取る。


『こちら警視九七。ISS、赤沼さん。聞こえますか』


 スレイヤー前で張り込んでくれてる公安の人からだった。


「聞こえてます」

『スレイヤー前、集まりました。出動してください』

「了解。通信終わり」


 受話器を無線機に戻し、俺は号令を掛ける。


「全員整列!」


 各々で過ごしていた局員が、俺の前に横帯の形で並ぶ。


「公安の方から報告が入った。只今より、ドラゴンスター一斉検挙作戦を開始する。全員、装備確認の後、直ちに乗車」


 言い終えると同時に、俺は乗っていたミニバンのトランクを開けた。

 そこには、MP5A5が人数分立てかけてある。

 局員が銃本体を手に取り、俺が弾倉と防弾チョッキを手渡す。

 全員の装備が整い、車は多摩川河川敷から発進しだした。

 ここまでは順調だ。頼むから、この調子でいかせてくれよ。

 そんな俺の切ない願いも空しく、受信した無線は事の流れが乱れているのを教えた。

 

『こちら警視九七! 赤沼さん、府中署の組対そたいに連絡入れました?』

「こちらISS赤沼。どういう事だ? 府中署? 俺はそんな覚えはないぞ」

『……やっぱり。どうも、府中署の方に匿名の通報があったようです。“ドラゴンスターってのが、テロを企てている”といった感じの』

「追い返してください。俺達の作戦は、隠密性が重要なんです」

『それは知ってます。ウチの先輩が……いや、交渉決裂です』

「なっ……」


 無線の向こう側で物音がして、声が女性の物になる。


『こちら警視九七。ISSの赤沼浩史だな?』

「はい」

『あと何分で来れる?』

「……五、いや、四分で」

『組対の連中、かなり殺気立っていた。……去年の新宿駅テロ未遂から始まり、警察はことごとく面子を潰されてきた。トドメは殉職者を出した、千葉の事件だ。連中、何が何でもここで汚名を返上したいみたいね』

「……………………」

『“公安は出てくんな”だそうよ。貴方達が着いた時には、警官の屍で山が出来ててもおかしくないわ』

「……どうしても、止められないんですか」

『残酷だけど、無理ね』

「……なるべく早く行きます。……通信終わり」


 受話器を叩き付けたかったが、物に当たっても状況は好転しない。

 無線機の周波数をハイエース側に変え、話しかける。


「こちら一号車。聞こえるか」

『こちら二号車。聞こえてます、どうぞ』

「向こうの状況が悪化した。少しスピードを上げる。それと、到着したら即時に戦闘状態に移る可能性がある。気を付けろ」

『了解』


 無線が切れ、受話器を戻す。そして、アクセルを少しだけ踏み込んだ。

 エンジンが唸りを挙げ、メーターが跳ね上がる。

 

「……畜生っ!」


 最悪。

 その二文字が、騒がしい排気音となって現れたように思える。

 現に、進行方向からバイクのコール音が聞こえてきた。

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