張り込み

 激動の夜が明けようとしている。

 スレイヤーから少し離れた所に停められた一台のマークXに、ダウンジャケットを着てコンビニの袋を持った男性が乗り込んだ。


「朝ご飯です」

「ありがと」


 男は助手席に座った革ジャンを着る女性に袋の中身を差し出した。

 温かいお茶、それに肉まんとおにぎり。

 女はお茶を一口飲んで、男に礼を言う。マークXはエンジンがかかっておらず、エアコンが付いていない車内の温度は外と大して変わらない。


「……草薙先輩やっぱり、エアコン付けません?」


 男が白い息を吐きながら女に提案するも。


「エンジン掛けっぱなしの車が長時間停まってたら、怪しいって言ったでしょ山寺」


 草薙と呼ばれた女は、素っ気なく返す。山寺と呼ばれた男は溜息を付き、かじかんだ手を温かいペットボトルでほぐした。

 山寺はお茶を飲みつつクラブの入り口を見張り、草薙は肉まんを齧りながらダッシュボードの上に置いてあった文庫本を開く。

 彼女らは、公安だった。

 直属の上司である江戸川に見張りを命じられ、深夜からここにいる。

 交代交代で見張り合い、早八時間が経っていた。

 その間、電話やメールで入ってくる観察対象の情報は二人に事件の深刻さを思い知らすには十分な物だった。

 服の下に着用している防弾チョッキに、腰のホルスターにあるSIG P230JPも冗談ではなく現実的な物だと分からせられる。


「……にしても、本当に駐屯地襲撃なんてやらかすんですかね?」

「じゃあ、冗談で人を撃ち殺す?」

「ですよねぇ……」


 そう言って、山寺はおにぎりを頬張った。草薙は肉まんを咀嚼して、お茶で生地を流し込む。

 その時、騒々しいエンジンが遠くから聞こえてきた。

 一切の体の動きを止め、二人は徐々に近づいてくる音に集中した。

 ワンボックスワゴンの原形を辛うじて残している改造車が、近くの駐車場に停まる。


「……汚れてる?」


 降りてきた若者達の衣服は、泥遊びした後みたいに汚れていた。

 彼らは人目を気にして、そそくさとクラブの中へ消えていく。


「もしかして、ISSからの情報にあった……遺体遺棄って、奴らがやってたとか」

「その可能性が高いわね」

「一昔前のヤクザみたいだな……」


 山寺の視線はワンボックスに注がれ、草薙は思案顔で顎に手を当てた。

 それからは、大した動きも無く日が昇り始めた。


「そういえば、先輩。何読んでるんです?」

「横溝正史。犬神家の一族」

「ああ……。よきこときくの」

「……普通、スケキヨとかで覚えない?」


 無駄話をしているが、二人はクラブの入り口に顔を向けており表情は硬い。

 江戸川はマルチタスクに長けた二人を、張り込み要員に寄こしていた。


「でも、俺思うんですよ。あの話って、間接的に戦争の悲劇を書いているんじゃないかって」

「へぇ。その心は?」

「……あの戦争さえ無ければ、全ては丸く収まっていた。遺産を巡っての血みどろの、それも親族間での争いは起きなかったと」

「それは確かにね。でも、金が絡めば誰でも醜くなるっていうのを教えてくれる話の側面が強いと思うけど」

「あれは……元から親族間の仲が良くなかったからでしょ。それに、あの時代はどこもかしかも焼け野原だったんだし……戦地での出来事もあった。……あそこまで酷くなかったにしろ、似たような事は起こった気がしますけどね」

「戦地での怪我を理由に、本人に成り代わるなんて出来ると思う?」

「……この令和の世では無理ですけど」


 乾いた口を湿らそうと、山寺はペットボトルを手に取ったが空なのに気付き、ドリンクホルダーに戻した。

 彼がシートを倒そうとした瞬間、草薙が急に顔を上げる。


「どうしました?」

「しっ!」


 指を立て、口元に寄せ『静かにしろ』と無言で言う。

 山寺は怪訝な顔をして、口を閉じた。

 一気に静かになる車内。すると、虫の羽音の様な音が聞こえた。

 季節外れの蚊かハエか蜂か。

 そんな事を考える間も無く、その音の正体が分かる。

 バイクのエキゾーストノート排気音だ。

 蜂の巣に耳を近づけたみたいな音が、こちらにやってくる。

 メロディーホーンまで鳴らしているから、不協和音が耳に障る。

 五十メートル程離れていても、ワンワン咆えるバイクの騒音は我慢出来そうにない。


「来た……」


 彼らは無意識に防弾チョッキを撫でていた。

 三段シート(バイクの後ろにある背もたれみたいな物)にロケットカウル(ヘッドライトの辺りに付ける出っ張り)、炎をあしらったペイント。

 そんな単車が二十台に、シャコタン改造の四輪が三台。

 特攻服だったり、私服だったり団体としての一体感は無いが向かう場所は一様にスレイヤーだ。


「何人ほど集まったら、ISSに連絡するんでしたっけ?」

「最低でも四十人程。今入って行ったのは、三十八人ね」

「連絡します?」

「少し待ちましょう。……まだ来るみたいだし」


 また近所迷惑な排気音が聞こえてきた。

 それから、似たような団体が二組やって来て、総勢は百人を超えた。

 全員が店の中に入ったのを確認し、山寺はエンジンを掛け無線の電源を入れる。


「こちら警視九七。ISS、赤沼さん。聞こえますか」

『聞こえてます』

「スレイヤー前、集まりました。出動してください」

『了解。通信終わり』


 あと少しで多摩川河川敷で、待機しているISSがここに駆け付けてくるだろう。

 それを見届ければ、あとは自由だ。

 草薙は熱いシャワーを浴びる事を、山寺はウォッカを舐めた後に一眠りする事を考えている。

 しかし。

 

「アラ?」


 草薙が文庫本を閉じた。


「もう着いたのかしら……」

「排気音がするんですか?」

「ええ。バンとか、バスの感じね。ここはバス通りじゃないし……」


 彼女が身を乗り出し、入口の前を注視した。

 建物の切れ間から現れたのは、ISSの人間が乗っているハイエースやミニバンではなく、機動隊に配備されている青と白のバス車両だった。

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