親と子

 教頭が持って来た二年生全員の個人情報が収まったファイルは、思っていたより薄かった。


「これで全部です……」

「どうもありがとうございます」


 俺はニッコリ笑って、教頭に頭を下げる。その教頭は曖昧な返事をして、ハンカチで額を拭った。


「確認したいんで、少し席を外してくれますか?」

「はへ?」

「さっき言いましたよね。生徒本人にバレたらまずいって。……貴方が生徒に告げ口しないなんて保証はありませんからね」

「そんな事しませんよ……」

「何処の誰がそれを保証してくれるんです?」

「………………」


 二十歳程老け込んだ教頭は、よぼよぼと立ち上がり応接室を出て行った。


「さて……やりますか」


 ファイルの表紙をめくる。


「赤沼さんって、意外と過激なんですね」


 今の今まで笑顔を浮かべていた弓立が言う。人に縋られても助け船出さなかった方も中々だと思うのだが。

 俺は、弓立には何にも指示を出していない。

 つまり、彼女は自身の判断で不干渉を貫いたのだ。


「そう言うアンタも強かだ」

「……そうですかね?」


 誤魔化すように笑う弓立は俺以上に過激に見える。

 この場を俺に仕切らす事で、状況を有利に運ぶようにした。

 果たしてそれが、俺に味方する為か……腹の中に潜む何かの為なのか。


「まぁいいや」


 俺は再び、ファイルをめくり始める。

 名前が分かっている以上、個人のファイルを見つけるのは容易だった。

 まずは大淵真から。


「……住所は、多摩市内か」

「団地ですね……」


 家族構成は両親と本人の三人家族。

 特に変わった事の無い、平凡な高校生だ。

 そのファイルを携帯のカメラで撮って、次のファイルに移る。

 辻愛来。

 彼女のファイルは、他の物と違っていた。


「……なんだこれ」


 家庭状況などが記入してある基本の紙に続き、市役所と児童相談所が作成した書類が挟まっている。


「……生活保護? 家庭調査の結果?」


 内容は理解できれば簡単な物だった。

 親父がDV野郎で母親が耐え兼ねて娘を連れて出て行った。しかし、母親が目の前で首つり自殺をし巡り巡って今はした親父と多摩市内の団地で暮らしているらしい。

 しかも、彼女は何回か自殺未遂をやらかした事があるようだ。


「この女が肝になりそうですね……」

「事の原因が男か、女か……」

「私は女に一票」

「俺も」

「……賭けになりませんよ」


 俺は男の方と同じ様に写真を撮り、ファイルを閉じる。

 外で待っていた教頭にそれを押し付け、お礼を申し上げてやった。


「あ……あの……」

「もう大丈夫です。ありがとうございました」

「はぁ……」


 力の無い返事に見送られ、俺達は多摩市へ向かう。

 その道中、弓立が口を開いた。


「……赤沼さん」

「ん?」


 学校で撮った写真を見ていたところに、突然声を掛けられた。


「その二人、どう思います?」

「限りなく真ん中に立つグレー」

「グレー……」


 俺の言葉に弓立は満足そうに頷く。


「ですが、私はクロに近いと思います」

「根拠は?」


 俺は携帯をダッシュボードの上に置いた。


「勘の域を出ませんけどね。……赤沼さんって、家族います?」


 唐突な質問に面食らったが、素直に答える。


「母親と弟夫婦に姪っ子がいるよ。親父は俺が高二の時に死んじまった」

「……気分を害するならいいんですけど、お父様の死因は?」

「くも膜下出血」

「職業は警察官でしたよね」

「ああ」

「優しかったですか? お父様は」


 その質問で、彼女が何を言いたいか分かった。

 

「……両親に恵まれなかった、と言いたいのか」

「はい。その通りです。私は、あの哀れな女学生はただ巻き込まれただけだと思うんです」

「まぁ、納得は出来る。……俺達の予想が当たっていればの話だが」


 母親は死に、親父はDV野郎。

 それでマトモに育つ子はいるかもしれないが、その保証は無い。

 現に、俺は虐待の末に大きく道を外れてしまった子供を目にしたではないか。

 親のエゴで爆弾を持たされた子供を。

 与えられた銃で親を撃ち殺した子供達を。


「……でも、それが正しいかどうかは、団地での聞き込みで分かるさ」


 そうは言ったが、俺個人は彼女は巻き込まれたに過ぎないと思っている。

 非行に走る子供ってのは、基本的に何処かが欠如している。それが知能なのか人間性なのかは人によるが、辻愛来のファイルに記載された内容の中にはそういった問題行動は記されていなかった。

 俺の予想が当たっているのならば、彼女自身に問題があるのではなく、彼女を取り巻く環境に問題があるのだ。

 思考を切り上げ顔を上げる。そこには、造成地に建てられた団地群がドミノみたいに並んでいた。


 コンクリートジャングル東京。人付き合いの観念が希薄な現代。

 そんな中で昔ながらの空気が漂う町は、もはや絶滅危惧種ではないだろうか。

 雑多な生活感が混じり合う団地を歩きながら、俺はふと思った。

 耳をすませば、何処かの家の洗濯機の音がして、共同倉庫の切れ目に存在する公園には子供達がいる。

 上を見上げれば、洗濯物がたなびいているのが見える。

 俺達は辻愛来が住んでいる棟の階段を昇り、一軒一軒チャイムを鳴らして住民に聞き込みを行う。

 人間というのは、嫌な事を共有したがる生物だ。

 俺が「この棟に在住している辻さんの事で聞きたい事が――」と言った時点で、エプロンを掛けた主婦に無精ひげのおっさん、赤ん坊を抱えた若女房まで簡単に口を開いてくれた。

 総じて言えば、辻愛来の父親、辻龍斗は嫌われている。

 理由は簡単だ。

 夜中に仲間と騒ぎ、酒が入れば大暴れ、苦情を入れれば逆切れされる。

 普通の神経しているのなら、こんな事されれば誰だって恨みをつのらせるだろう。


「……辻龍斗に会うのが楽しみだなぁ」


 いずれ会う事になるクソッたれの事を考えながら、今度は別の棟の階段を昇り始めた。

 

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