心の闇

 自販機で缶コーヒーを買う。


「弓立さんはどれにします?」

「私はブラックで」


 二本分の小銭を入れ、ブラックコーヒーの真っ黒な缶とカフェオレの白い缶のボタンを押す。

 温かい缶を弓立に差し出すと、彼女はかじかんだ指先をそれでほぐした。

 俺は自販機に寄りかかり、カフェオレを一口飲んだ。熱い液体が胃まで落ちていくのが分かる。

 体の芯から体温がジワジワと上がっていく。


「あったけぇ……」


 防寒はしているとはいえ、二月の寒さは骨身に染みる。

 弓立の方もコーヒーを飲んでホッと息を吐いていた。


「……これからどうするか」


 携帯のメモ帳を眺める。そこには、聞き込みで得た情報をまとめてある。


「あらかた情報を得ましたからねぇ……」

「もう少し、辻龍斗の身辺洗った方がいいかもしれないな。飲み終わったら、市役所と警察署行くか」


 住民票や前歴者データを調べてみれば、何か出るかもしれない。

 脳内である程度の見当をつけながら、携帯をポケットに仕舞う。ブツブツと独り言を呟き、もう一度カフェオレを啜った。


「赤沼さん」


 その様子を黙って見ていた弓立に唐突に声を掛けられる。


「――何でそこまで、躍起になっているんです?」


 胸をぶち抜かれた様な感覚が俺を襲った。


「……本筋から外れるのが嫌ならいいんだ。弓立さんだけ、本筋に戻ればいい。江戸川さんには、俺の独断専行だと言えばいいさ」


 考え無しにそこまで言って、俺は自分で墓穴を掘った事に気が付いた。


「やっぱり、躍起になってますね」

「……悪いか?」


 誤魔化すようにカフェオレを飲む。弓立は軽く笑いながら、俺の前に回り込んだ。


「別に、悪い事だとは一言も言ってませんよ。それに、赤沼さんを責める気はありませんし」

「じゃあ、なんで聞くんだ?」


 正面に彼女を見据え、問いただす。

 弓立はとぼけるような素振りを見せ、少し焦らしてから口を開いた。


「気になったからです」


 そう言って、悪魔の様な笑みを彼女は浮かべる。

 見る者全てを魅了するであろうその笑みは、何故か俺には魂を要求する悪魔のように見えた。

 俺はぬるくなったカフェオレを一息で飲み干し、大きく息を吐き出す。


「……別に面白い話じゃないぞ」

「是非聞きたいですね」


 缶をゴミ箱に放り、俺はもう一度大きく息を吐いた。


「警察署行きながら話す……」


 弓立の顔を見ないまま、俺は歩き出した。


 

 端的に淡々と。

 感情的にならないように。

 その二つを心がけて、新宿駅の少女とケビンが保護と言う名の使役させていた子供達の事を。

 俺が何を感じ、何をしたかを弓立に語る。

 彼女は相槌も打たず、真剣に話を聞いていた。


「ただ俺は……弱い者が強い者の犠牲になるのが嫌なだけだ」


 それを聞いた弓立は鷹揚に頷き、俺に聖母の様な微笑みを俺に向ける。


「なるほど。それで」


 俺の脳裏にこびり付いて離れない鮮血の色を、彼女は事もなげに受け入れた。

 さもそれが、当然であるかのように。


「……思ったより、あっさりしてるんだな」


 自分が本気になる理由を知ってほしかっただけで、別に同情して欲しかったわけでも、彼女に怒ってほしかったわけでもない。

 それでも、その薄い対応が俺の中で引っ掛かっていた。


「でも、赤沼さんの熱い思いは受け取りましたよ」


 信号待ちのタイミングで、弓立はハンドルから手を放し太ももの上にあった俺の手に触れる。

 きめの細かい肌。ほっそりとした白い指。まるで絹に手が包まれているようだ。

 彼女の指が美しさとは対極に位置する俺の指に絡まる。そのミスマッチさは、やけに煽情的だ。


「…………何のつもりだ?」

「フフッ――」


 信号が切り替わり、弓立の指が離れる。

 俺は彼女を睨みつけた。


「大した意味はありません」


 彼女はそう言ってハンドルを握り、車は走り出した。

 俺は腕を組み、シートに深く腰掛ける。

 この女の底知れなさ。江戸川はなんて奴を押しつけてきたのか。

 横目でもう一度、弓立を睨んだ。

 澄んだ瞳から悪意は感じられない。

 ――お前はいったい。

 喉から出かかったそれを飲み込み、視線を目の前に移す。視界の隅に、丁度目的の警察署が見えてきた。 



 警察署の受付で要件を話すと、使ってない会議室の方へ案内された。

 しばらくして部屋に入って来たのは、組織犯罪対策課の刑事。てっきり生活安全課あたりの警官が来るかと思っていたから、思わず面食らう。

 キャリア組の弓立にも物怖じせず話す中年刑事の耳は、柔道熟練者の証とも言えるカリフラワー型の柔道耳だ。

 その耳を見て、俺はふと親父の事を思い出す。

 親父も柔道耳だったからだ。

 しかし、親父とは似ても似つかない風貌にその感情は溶けていく。

 刑事は神妙な顔で俺達に話し始めた。


「辻龍斗は……このあたりを仕切ってる半グレ集団のリーダーです」


 半グレ。暴力団に所属せずに犯罪を行う集団を指す。

 暴力団、いわゆるヤクザは暴力団対策法によって、その活動は厳しく締め付けられているが半グレは違う。

 何故なら“組”つまりは暴力団に属していないから暴対法が適用されないのだ。

 諸説あるが、半グレのグレは愚連隊(戦後にかけてのヤクザを指す)のグレ。半は、半分や半端とも言われている。

 名前が意味する事は、やってる行為はヤクザだがヤクザではないということだ。

 近年ではヤクザの衰退で、半グレが勢力を拡大しているらしい。

 刑事は持って来た資料を俺達の前に広げる。

 そこには、茶髪にジャージ姿のいかにもな男の写真があった。


「これが辻です」

「こいつが……」


 辻は元々、池袋でチーマ―を率いていたようだが、デキ婚を機に多摩へ移り住んだらしい。

 だが、高校で見た情報通り辻は嫁に殴る蹴るを繰り返し、まだ幼い娘にも手を出した。

 児童相談所への通報も一度や二度じゃない。

 遂に嫁は子供を連れて出て行き、そこからさらに荒れて、銃刀法違反で三年臭い飯食い出所後、しばらくして出て行った嫁が育児疲れからのノイローゼで自殺し、残された子供を引き取った。

 前科と子供を建前に、生活保護を受給するもその金でギャンブル三昧。

 育児放棄された子供は、夜の町を彷徨いコンビニでパンを万引きして警察に保護される。

 けれど、この男の腐った性根は治らず……いや、腐っているから元には戻らないか。

 児童相談所の支援で、子供はなんとか高校まで行けたが、これからどうなるかは分からない。


「子供は親を選べませんからね」


 刑事がポツリと言った言葉は、俺の顔を悲しみに染め、弓立を真顔にさせた。

 

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