新宿駅の特異点

 顔が分かっている以上、赤沼浩史の個人情報を調べ上げるには簡単だった。

 防衛省のデータベースを漁ると、すぐ出てくる。

 データを印刷した紙を部下の中田に見せた。


「どうだ?」


 書類を机に置いたタイミングで、俺は中田に尋ねた。


「優秀な自衛官ですね」


 中田はさっぱりと答え、眼鏡を噴く。


「防衛大卒じゃないですが、年齢の割に階級はそこそこ。射撃と格闘の徽章を持ち、幹部レンジャー課程を修了しています。……ISSになんか行かなければ、今年の春には水陸機動団の第2水陸機動連隊に異動が決まっていんでしょう?」

「正確には、省の偉い奴の間でだ。……赤沼本人には、長崎行きは知らされていなかった」

「栄転ですか?」

「十八年に出来たばかりの組織に、優秀な幹部を引き込むのは当たり前だ。……それに、赤沼自身を東京から遠ざけたかったんだろうな」

「……例の、新宿駅の件ですか」

「ああ。……あの事件以降、マスコミが駐屯地にまとわりつくようになっちまった。当事者を現場から遠ざけ、ほとぼりが冷めるのを待つ。……セオリー通りだ」


 俺はウインナーコーヒーを流し込む。


「けれど……予定が狂った。……そうですよね、斎藤さん」

「その通りだ」

「……どうします?」

「まぁ……やる事やるだけさ。……行くぞ」

「はい」


 俺は携帯を取り出し、ニヤリと笑った。





 喧騒の中に佇んでいると、一種の疎外感を覚えるようになったのはいつからだろうか。

 中学生か高校生か、大学生の頃か……いや、もっと最近になって覚えたような気がする。

 お袋と話してから、日本に残してきた日常の欠片が手からこぼれ落ちる砂のように消えていくのが分かる。

 非日常が日常に変わり、全身の筋肉が微かに動いていく。

 夜が明けると、俺はあてもなく実家を出て電車に乗った。

 ベッドタウンと都心を繋ぐ電車も、始発はとても空いている。

 久し振りの東京。

 休暇を早々に持て余した俺は、気の向くままぶらつくことにした。

 銃を持たないで街を出歩くなんて、久し振りだ。

 いや、アメリカでも銃を持たずに街を出歩いた事はある。

 それでも、安心は出来た。

 自分でもよく分からないが、とにかく安心出来たのだ。

 リスクは格段に、アメリカの方が上なのに。この街で銃を持たないと落ち着かない。

 ソワソワした気分で街を見渡して、ふと思った。

 この街は綺麗だと。

 綺麗だ。……違う、綺麗過ぎる。

 まるで、潔癖症の奴の部屋に居るみたいだ。

 雑踏の中。ショーウィンドウに並ぶマネキン。几帳面に並ぶ車の列。赤から青に変わる信号。

 どの景色を切り取っても、平和そのもの。

 しかし、その景色は潔癖であるが故に本来は必要な物も理由をこじつけて、捨てているように思える。

 

「……とにもかくにも、落ち着かねぇな」


 少し前までここの地に足を着けて暮らしていたはずなのに、銃を必要としている今の俺は、まるで異物だ。

 額に汗が滲む。

 俺はジャンパーを脱ぐ。二月だというのに、うっすらと汗がシャツに染みていた。 

 ジャンパーを肩に引っ掛けながら、また歩き出した。

 五分ばかり歩いた所にあった自販機。そこで冷たいお茶を買い、一気に飲み干す。

 一息付き、辺りを見渡す。そしてまた、あてもないまま歩き出した。


 街が目覚め始め、往来する人々の格好の大半がスーツになった頃。

 俺は、約一年ぶりに新宿駅に立った。

 あの時、吹っ飛んだ地下鉄のホームはすっかり修復されている。

 階段を登り、地上階に出た。

 見つけるべき場所は、すぐに分かった。

 そこだけ人が寄り付かず、人混みの中にポツンと置かれた机の上には、花束とジュースとお菓子が備えられている。

 ……あの少女が死んだ場所だ。

 去年の四月九日。新宿駅爆破テロ未遂事件の実行犯が、ここでその短い命に自らの手で終止符を打った。


「…………………………」


 俺は花束を見下ろし、無言で手を合わせる。

 少女について、詳しくは知らない。

 ただ分かっているのは、大人の身勝手極まりない行為に振り回され、その尊い命を散らした事だけ。

 目を瞑ると、あの悲痛な声が耳の中で蘇る。

 一生消える事の無い声に、俺はただ。


「悪いな」


 どの感情か判断出来ない言葉を向けるしか出来ない。

 非情だが、死人は許しちゃくれないし言葉を発する事も無いのだから。

 

「アテのない外出の先がこことは、因果なモノですね、赤沼元一等陸尉」


 俺が手を横に戻した時、その声は俺の後ろから聞こえてきた。

 振り向くと、そこに一人の男が立っている。

 男は黒のロングコートに、四角い黒縁眼鏡、黒髪を角刈りにしている。

 街中で何度もすれ違った様な気がする無難な格好に、地味な顔。

 何処かで一度会ったかもしれない? そんな錯覚を覚えさせる風貌。

 糸の様に細い目が、俺を捉えている。


「フラフラフラフラ、立ち止まったり、歩いたり、思い付いたように店に入ったり……尾行者泣かせの行動を取っているかと思えば、着いた先はここ。……まったく、困ったもんです。これなら、二時間も尾行せずに、最初からここを見張っていればよかったですよ」

「……アンタ、何者なんだ?」


 勝手に語りだした男はを抑え、俺は男に尋ねた。


「おっと……。失礼。私、警視庁公安部公安捜査第四課課長の、江戸川茂と申します」


 男は糸目を更に細めて、懐から名刺を出してこちらへ差し出す。


「……公安?」


 名刺には、今しがた江戸川と名乗る男の肩書が書かれている。

 けれど、公安の人間に尾行されていたなんて、分からなかった。

 

「……なんか、俺やりました?」

「今更関係無いなんて言わせませんよ。先日の自動小銃強盗の件や、一年前のテロ未遂事件もね」

「………………」


 俺が黙って江戸川を睨んでいると、彼は大して良くない顔を変えて口を開く。


「ここじゃ人目が多いですね。……どうです? ドライブなんて。近場をグルっと」


 江戸川の手には、車のキー。そして、その目からは有無をも言わさぬ謎の圧力を発している。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る