雨上がり

 タクシードライバーに相場の倍近くの代金とチップを払い、車を降りる。


「お客さん。本当にここで大丈夫なんですか?」


 川の近く。土砂降りなのに、傘も差さない一人の男。

 心配するのも当たり前だろう。


「大丈夫だ。ありがとう」


 最後まで心配そうにしていたが、タクシーは去って行った。

 普段は人で賑わうここも、今日ばかりは人は来ない。

 当たり前だが、駐車場にも一台の車も無い。


「まだ、来てないのか?」


 雨水で貼り付いた前髪をかき上げ、辺りを見回す。眼鏡を外し、濡れた顔を拭う。


「まいったな」


 ずぶ濡れになりながら、僕は遊歩道の方に歩く。

 聞こえるのは雨と川が奏でる轟音だけで、他の音はまったく分からない。

 街灯が僕を照らすが、いささか頼りない光だ。

 ステンレスの手すりにもたれかかり、僕はその頼りない光をぼんやりと眺めた。

 その時に、腕時計を忘れた事に気が付いた。

 作業をしようとして時計を外したままだったのだろう。

 しかし、いくら待っても彼女は来ない。

 すっぽかされたのか?

 そんな不安が頭をよぎる。

 すると。


「――リー」

「アリソン?」


 名前を呼ばれた気がした。


「アリソン? ……アリソン!」


 声を張り上げ、左右を確認するが誰もいない。


「……気のせいか?」


 僕は肩を落とし、もう一度顔を拭う。

 だが。


「気のせいじゃないよ」


 振り向くとそこには、アリソンがいた。

 その右手にはHK45が握られ、左手にはいつの間にスリ取られた僕のベレッタが。


「……駄目でしょ。いくら指定した場所でも、銃持ってきちゃ」

「……お互い様だ」

「そう。だから」


 そう言って彼女は、ベレッタとHK45を川へ投げた。


「これで、イーブン」

「………………」

「怒ってる?」


 ベレッタを捨てられた事に怒っている訳じゃない。僕は、目の前にいる彼女が来てくれたことが嬉しかったのだ。


「いや、怒ってない。……話を、しようや」

「……そうだね」


 アリソンは僕を見ながら、話しだした。

 そして、僕は一字一句聞き逃すまいと耳を澄ます。




「――そして、伍長に再会した」

「………………」


 時折、相槌をうったり質問をしたりしながら僕は全力で聞き役に徹した。

 アリソンは、中東での活躍を知ったCIAのリクルーターの誘いで、この世界に入ったらしい。

 最初二年は、物珍しさと慣れない仕事の山でマトモに考える事はなかったようだ。

 だが、三年目になって仕事の内容に疑問を持ち始めた。

 気が付くと、アリソンの足元には死体の山が気付かれている。

 一度は辞めようと思い、辞表を提出した。

 しかし、上司はそれを目の前で破り捨てた。


「お前には、もっともっと頑張ってもらうから」


 その下種な笑みは、ある意味上司の立場を表している。

 反米組織を潰し、混沌のCIAをのし上がって来た組織内随一の武闘派。

 地元の武装勢力を上手く使って、敵対組織を容赦なく叩き潰す。

 それがそいつの十八番らしい。

 腕一本だけで成り上がっただけあり組織政治の手腕にも長けているようで、力だけで押し進める方法を睨む者も多い中でも強い影響力を持つ男。

 ところが、その成り上がりも突如終わりを迎える。

 最初は作戦の失敗だった。

 作戦名『ガガーリン』。

 旧ソ連出身の宇宙飛行士、ユーリイ・ガガーリンから取った作戦名は冷戦時代に宇宙開発で一足先に宇宙進出を許した雪辱を晴らすため付けられた。

 作戦内容は、スイス出身の『シーラ・フォン・フランク博士』の篭絡又はその拉致。

 博士が持つロケットエンジン技術を博士から提供後、他の大国が保有する核兵器を圧倒する物を作るという未来絵図を描いていたらしい。

 その作戦には、CIA所属の秘密戦闘部隊『バイタ―噛みつく者部隊』と諜報部のエージェントが投入され、中国・ロシア・北朝鮮が送り出した部隊との戦いになると思っていたが、結果は……自分がよく知っている。

 作戦は失敗。

 上司は、部隊に関する権限を奪われ事実上の失脚。

 不幸は続くもので、自分の十八番が出来なくなる事が起きた。

 権限と自分を押し上げた方法を失った上司は、その二つの事件に関わっているISSを逆恨みし、アリソンに命令したらしい。


「なんとまぁ、自己中心的な……」


 僕が話を聞いて、抱いた感想がスルリと口から出てしまう。

 アリソンは、少しスッキリした顔をしていた。


「……ありがとう。話、聞いてくれて」

「……話してくれて、ありがとう」


 雨足は弱まり、僕らはベンチに座っていた。

 全身まんべんなく濡れていたが、不思議と不快には感じない。

 むしろ、僕も清々しい気分だ。


「昔を……思い出すね」

「……そうだね」


 中東の駐屯地。食堂でサイダーを飲みながらお互いの話をしていた、あの懐かしき時を。


「……もう、戻れないね」

「……そう、だね」


 僕もアリソンも、とうの昔に軍服を脱ぎそれぞれの道に進んでいる。

 時を戻すことは、どんなテクノロジーでも出来ない。

 でも。


「前に進むことは出来る」

「…………うん」


 雨は止んだ。

 そして、僕は彼女の手を取り歩き出した。




『こちら、745号。バットン巡査です。セント・ジョン大聖堂付近で、手配中のアリソン・ワイルズを確保しました。………………はい。えと、ISS本部のハリー・イートンって方と一緒です』



 

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