頼りがい
僕は傘もささないまま、ISS本部を飛び出した。
道路は渋滞している。
橋で警察と調査係に強襲係で検問しているせいで、交通の流れが悪くなっているのだろう。
しかも、土砂降りの雨のせいで地下鉄に浸水被害が出ているのでそれを乗るのを止め、車で帰宅しようとする人がいるから更に道路上にある車の数がいつもより多いのだ。
「車で逃げたなら……あまり遠くには逃げられてないはずだ……」
だが、機動力は車の方が上。僕は渋滞の波に紛れ込んでいたイエローキャブの窓を叩いた。
「はい?」
眼鏡を掛けた坊主頭の黒人ドライバーが、怪訝そうに僕を見る。
「乗れるかい?」
「ええ。どうぞ」
自動ドアが開かれる。
車内に体を滑り込ませた。ドアが閉まると、騒がしい雨音があまり聞こえなくなった。
「お客さん。どちらまで?」
「……とりあえず、セントラルパーク方面。詳しい方向は後で」
「分かりました。それと、この渋滞と雨のせいで時間かかりますけど、そこらへんは大丈夫で?」
「ああ。大丈夫だ」
「セントラルパーク方面ね」
ドライバーはバックミラーを動かし、僕の方を一瞥する。
雨で濡れた顔を拭い、いままで握り締めていた携帯を操作した。
この前、セントラルパークで会った時に番号を交換したのだ。
彼女が浮かない顔をしていたから。彼女に嫌な事を思い出させてしまったから。
何か、自分に出来る事が無いか。僕は、彼女の役に立ちたかったんだ。
交換する前に、僕は言った。
「僕に出来る事があるなら、なんでも言ってくれ」
アリソンは。
「何かあったらね」
そう言って、カフェラテを飲んだ。
だが、このざま。まったく笑えない。
アドレス帳を開き、『アリソン・ワイルズ』に電話を掛ける。
いつもより長い接続音。一定のリズムで流れる電子音に苛立ちを感じながら、持ちうる意識の全てを耳に。
呼び出し音に変わった瞬間、額から一筋の汗が流れた。
三十秒。一分。また三十秒。
「出てくれよ……。……アリソン、僕はそんなに頼りないか?」
口の端から出た呟きが誰かに通じたのか分からないが、ブツッと聞こえた後にスピーカーから雑音が聞こえてきた。
待ち望んだはずの通話。なのに、僕は一言も発せなかった。向こうも同じように黙っていた。
一分近く雑音しかやり取りしていなかったが、僕はゆっくりと口を開く。
「アリソン」
『……ハリー』
「調子はどうだ? 元気か?」
『……調子は良くないけれど、まぁ……息災ってところかな』
「そうか」
自分でも驚く程、穏やかな声。
『……中々、強かったよ。MA-1の同僚の人』
「MA-1……。赤沼か」
『アカヌマ……日本人?』
「ああ。彼はこの言い方を嫌がるんだが……日本の陸軍の大尉なんだ」
『今の日本の軍……自衛隊。その、大尉』
電話の向こうで、アリソンが微かに笑う。
『どうりで、強い訳ね』
「ああ。強いぞ」
僕も笑い、話を続けた。
「……何か、僕に出来ることはあるかい?」
『………………』
彼女は、貝のように押し黙ってしまう。
僕を信じるべきか、決めかねている。微かに聞こえる呼吸音から、それがなんとなくだが伝わってくる。
そして。
『今、どこにいるの?』
僕は前に座るドライバーの頭を見た。
「タクシーの車内」
『……運転手以外は、ハリーだけ?』
「ああ。そうだ」
『嘘じゃない?』
「賭けてもいい」
また沈黙。
だが、さっきよりも早く答えた。
『……会って、話をしよう』
「そうだな。僕も、話したい事が沢山ある」
『どこで会う?』
僕の頭に、一つの光景が浮かび上がる。
「……遊歩道」
『え?』
「前に行った遊歩道、覚えてるかい?」
『あそこね』
「そこで会おう」
『分かった』
電話を切る。携帯をポケットに仕舞い、息を大きく吐く。
「お客さん」
ドライバーの声で、その存在を思い出した。
「今の電話の相手、ガールフレンド?」
「は?」
「あ、いや、気を悪くしたんだったら謝るよ」
「ああ……。大丈夫です」
「……そうかい」
「あっ……目的地、リバーサイドパークでお願いします」
「はいはい」
ドライバーは川沿いにハンドルを切る。回転灯を光らせたパトカーが至る所に停まっており、そのそばにはSCARを首から提げたISS局員が立っている。
「いや~なんか物騒ですよね」
「ええ……まぁ……」
その物騒な事件の中心にいる男を乗せていると知ったら、「商売あがったり」と苦笑してぼやくドライバーは僕の事をどう思うのだろうか。
「まったく、嫌になっちまう。でも、向こうもこの土砂降りの中仕事してるから、お互い様か」
ドライバーは白い歯を見せて笑う。
「お客さん。お仕事は?」
「……昔、陸軍に居た」
「はぁ~軍隊に。大変でしょう」
「まぁ、そこそこに」
「あれですか? 中東とか行ったんですか?」
「ええ。少しだけですけど」
「それは、ご苦労さんです」
「……どうも」
タクシーは川の近くの道に入る。ここの道は、少し空いていた。
「お客さん。こんな雨に、傘もささずに女に会いに行くんですか?」
どうして、タクシードライバーというのは気を許した乗客に馴れ馴れしく声を掛けるのだろうか。
「さっき、否定しなかったでしょ。ガールフレンドって」
「……昔の同僚だ」
「あれですか、陸軍時代の」
「……そうだ」
「雨の中ねぇ……」
バックミラーに映るドライバーの目は好奇心に満ちている。
「でも、お客さん。頼られてますね」
「はい?」
唐突にドライバーから言われた言葉に、僕は戸惑った。
「……どうしてそう思うんです?」
「いや、だってねぇ。この雨の中、会う事を約束させるなんて……中々出来る事じゃないよ」
「………………」
「いやぁ、俺も長いことニューヨークでタクシー転がしているけど、こんな雨の日に女誘ってOKの返事貰ってたのなんか、お客さん入れて両手の指の数位しかいなかった」
「……それが、なんで頼られてるって言えるんです? たまたまかもしれないでしょう」
「いやいや。OK貰ってたのは、どいつもこいつもイケメンばかりでね。女の方がぞっこんだったのよ。お客さんも、中々色男だけどね」
「……要は?」
「女の方を、会いたいって思わせる力があるんですよ。お客さんには」
思ってもない言葉に、僕は胸がカァと熱くなっていく。
「ガールフレンドって間柄を、つまりは恋愛関係の有無を否定した。ってことは、関係としては友達とかだよね。でも、ただの友達だとこの雨の中で会いに行こうとは思わないでしょ。しかも、パトカーやらISSやらが物騒なモン持って、検問やら巡回してるからさ……絡まれたら面倒でしょ? 清廉潔白の身でも」
「ええ……まぁ……」
その面倒な組織に属しているとは、言えない。
「でも、そんな状況でも会ってくれるってよっぽどですよ」
「……そうかも、しれませんね」
「だから、そう自分を卑下する事はないですよ。頼りないなんて、男のいう事じゃないですって」
聞かれていた。僕はボサボサの頭を掻き、窓の外を見た。
降り注ぐ雨は、激しさを増している。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます