車の中で

 相手を間違えた。

 そう考える他ない結果だった。

 私が尾行し、住居を突き止めたMA-1ジャンパーの男。

 私の尾行に気づかず、自分の家を襲撃計画を立てている人間に教えるとは、ISSも教育がなっていない。

 それが、自分の都合にいいようにしか考えていなかったと後悔したのが、背後からの不意討ちがバレた時だ。

 いや、鍵穴をピッキングで開けた際に生じる傷から違和感を覚え、鍵を何度も抜き挿しした所で察するべきだった。

 そして男は、本来体を休める場所にSIGザウエル拳銃を構えながら入ってくる。

 おそらく、一度違和感を覚えると第六感が冴えわたるのだろう。

 だから、小さめ違和感から自宅への侵入者がいる可能性を導き出した。

 しかも、それは当たっていた。

 男にとって幸運でも、私にとっては最悪の出来事だ。

 それでも、あとには引けない状況。

 私は意を決して、男の背後を取った……と思っていたのに。

 引き金が落ち、弾が銃口から出てくる瞬間。

 男はソファーに飛び込んだ。男の弾を撃ち抜くはずだった四十五口径弾は、奥のガラス窓を割り外に出る。

 一瞬、何が起きたか理解できなかったが、銃声と耳のすぐそばを弾丸が掠める感覚で我に返った。

 私も撃ったが、精度は向こうの方が上。

 焦りや湧き上がって来た恐怖のせいで、銃口がブレてしまう。

 なので、私は格闘戦に持ちこむ事にした。男に跳びかかり、マウントを取ろうとしたが、運悪く中途半端な体勢のまま組み合ってしまう。

 あろうことか、逆にこちらがマウントを取られ覆面を剥ぎ取られてしまった。

 なんとか隙を突いて逃げる事に成功したが……。私の心は、ボロボロになっている。

 完全に見くびっていた。

 何の感情も抱いていない人物なら、躊躇なく殺せると思い実行に移したのに。

 ドロドロしたものが、胃の中で渦巻いている。

 それに、顔を見られたのも痛い。

 私が突き飛ばした時に、男は頭をぶつけた。それで記憶が飛んでいると願ったが、必死の形相で追いかけてきた時にその願いが散った事を悟った。 

 過度な期待は、絶望感を深くするだけ。

 その絶望感も状況が悪化していくにつれ、ドンドン深くなる。

 ニューヨーク中の警官やISSの人間達が、マンハッタンと他の場所を繋げる橋に検問を掛け、地下鉄を巡回する。

 車を盗んできたアウディから自分のスカイラインに替えたが、向こうが執念の捜査をすれば見つかるに違いない。

 逃げられないこの状況。

 打開策は一向に思い付かない。

 後悔混じりの溜息が、無駄に口から出るだけだ。

 スピードメーターの上に置いた携帯を手に取る。

 アドレス帳を開き、この前カフェで追加したばかりの番号を眺めた。

 『伍長』。名前の欄には、そう登録してある。

 今、この場で電話を掛けて全てを話したら、彼は私にどんな感情を抱くのだろう?

 落胆。軽蔑。拒絶。

 少なくとも、あのお人よしな笑顔を私に向ける事はないだろう。


「なんなんだろう……私って」


 自分という人間が、アリソン・ワイルズの輪郭がぼやけ滲んでいくような感覚が脳を麻痺させる。

 悲しくて、辛くて、目を瞑ったら二度と開かなくていいように願いたいのに、口元が自然と動いていく。

 口角が上がっていくのだ。

 口が笑顔を形作る。

 アリソン・ワイルズの皮を被った化け物が、姿を現したようだ。


「なんで?」


 助けを求めようにも、人気が無い路地に車を停めているので誰も来やしない。

 そうこうしている内に、笑っていた口が今度はぱっくり開いていく。

 喉の奥から“何か”が漏れ出そうになる。

 それが、助けを求める声なのか、本当に私の中身なのかまだ分からないが……これを出したら、マズイ。

 それだけは分かる。

 

「あっ……ああ……ああああああっ!」


 あと一秒もすれば、叫んでいた。

 だが。

 聞き慣れた電子音が、思考を妨害した。

 喉から出かかっていた叫び声が、体の奥底に引っ込んだ。

 音は握っていた携帯から出ている。

 発信者は、『伍長』。

 今流れる涙は、喜びと感動のミックスジュースか、恐怖の絞り汁か。

 その判断は着かなかったが、状況は理解した。

 ハリーが私に電話を掛けてきている。

 何の為に?

 決まっている。

 私の目的を聞きたいのだろう。

 電話の向こうには、彼の部下や上司が沢山いて心理学者や調査チームが一かけらの証拠も聞き逃すまいとしているに違いない。

 掛かってきた電話に素直に出たとして、なんのメリットがある?

 ハリーの声は聴きたい。

 でも………………。

 私はまた携帯をスピードメーターの上に置いた。

 放っておけば、いずれ切れるだろう。名残惜しいが今はこうするしかない。

 目から流れる液体を拭って、薄暗い天井を見る。いつの日か聞いた日本の歌にあった。

 上を向いて、涙がこぼれないように。

 そうだ、これでいいんだ。

 ……しかし。

 いつまで経っても、電子音が鳴り終える気配は無い。

 腕時計を見る。

 三十秒。一分。また三十秒。

 まだ鳴り続ける。


「……私に、どうしろって言うのよ……どうしろって」


 また、涙が流れてくる。

 私は――携帯に手を伸ばした。

 

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