いい人
笑おうとしても、中途半端な笑顔しか作れない。
「まさか……そんな……」
「間違いない。あの時、一緒に居た女だよ」
赤沼が言っている事が理解できなかった。
何故、彼女が赤沼を襲う? 理由が分からない。
彼女と赤沼の接点なんて、それこそ公園で会った時だけ。
それだけの関係の人間を、普通襲うはずがない。
「……見間違いなんてことは? 世界には、よく似た――」
「イートン副主任」
班長さんに言葉を遮られる。
「その一緒に居た女性の名前を教えてくれ」
「……疑っているんですか?」
「この中で襲撃者の顔を見たのは、アカヌマだけだ。検問で見つからない限り、分かるのはコイツ一人だけ。ならば、記憶が新しいうちに白黒ハッキリさせた方が、お互いの為にもなるんじゃないか?」
ぐぅの音も出ない正論だ。
「国防総省のデータベースに、写真が残っているだろう。その写真を見て、人違いだったら私も頭を下げる。……部下の失態は上司の責任でもあるからな」
そこまで言われてしまったら、彼女のメンツもある以上ごねることは出来ない。
「……アリソン。アリソン・ワイルズ、一等軍曹です」
「ありがとう」
そう言って班長さんは、自分のパソコンで調べ始めた。
僕は混乱していたが、止めていた手を無理矢理動かす。外は雨が降ってきたようで、テレビの砂嵐みたいな音が聞こえてくる。
その音に混じって、コピー機が紙を吐き出す音が聞こえた。
「アカヌマ。この女で間違いないな?」
振り向くと、班長さんが赤沼に紙を差し出していた。赤沼はそれを受け取り、まじまじと見つめている。
人違い。
そう言ってくれ、頼む。
だが、願いも空しく。
赤沼が口にした言葉は。
「この人です。……間違いありません」
だった。
それを聞いて居ても立っても居られず、赤沼が持っていた紙をひったくって写真を見た。
そこに写っている女性は、紛れもなくアリソンだった。
僕はショックで動けなくなったが、班長さんはテキパキ指示を出す。
「アカヌマとマリアはここに残れ。その他の係員は、アサルトライフルを装備の上、調査係と警察の応援に行け。……解散!」
何人か残っていた係員がロッカールームに飛び込んでいく。
僕はその様子を眺め、力無く椅子に座った。
寂しさや悔しさ、虚しさに悲しみが混ざる。僕の心はさながら、いろんな色が混ざり汚らしい色になってしまったパレットみたいだ。
雨はいっそう酷くなるばかりで、オフィスで唯一音を出しているテレビでは、地下鉄に浸水被害で出ている事を報じている。
マリアはトイレに行ってしまった。
いまこの部屋に居るのは、俺とハリーだけだ。
だが、ハリーはしおれた花みたいに首を垂れ、床の一点を見つめている。
……あそこで嘘をついても、何のメリットも無い。
それに、いずれ身元は割れる。
ニューヨークのど真ん中で銃をぶっ放したのだから、動画の一つや二つは撮られているはずだ。
俺にも似た経験がある以上、動画が撮られていないと言い切れない。
その動画を元に、調査係は前科者リストから現職警官まで幅広く検索を掛けるだろう。
遅かれ早かれ絶対見つかっていた。
今この瞬間も、警察と協力した出動したISS局員はアリソン元一等軍曹を血眼になって探しているのだろう。
俺の家は本部からさほど離れていない。
本丸の近くで局員が襲撃されたなんて、本部の偉い人には屈辱だ。
マンハッタンと他の街を繋げる橋に検問を布き、地下鉄にも捜査員を寄こしているはず。
捕まるのも、時間の問題だろう。
普段だったら喜んでいたが、今はそう思えない。
「……なぁ。ハリー」
俺が問いかけると、彼はゆっくりと顔を上げた。
俺を見る目は死んでいる。
「……怒ってるか?」
「…………いや。赤沼には、怒ってない」
引っ掛かる言い方だ。
「じゃあ……誰に対して怒ってる?」
俺がそう聞くと、ハリーは自嘲気味に笑った。
「強いて言うなら、自分かな」
「どうして?」
ハリーは眼鏡を外し、天井を仰ぐ。
「彼女の狂気に気がつけなかった」
「…………」
「僕、彼女に言ったんだ『何かあったら、話してくれ』って。なのに……」
「……なぁ」
「?」
「……多分、彼女は自分の感情で動いてないぞ」
あの目。
感情のこもっていない目。
そこにあったのは、憎しみや怒り以外の理由で動く人形だ。
俺が知らぬ間に恨みを買っていたとしても、負の感情の一つや二つは持ってくるはず。
「なんでそう言い切れる?」
「彼女の目を見た時、感情が一切宿っていなかった」
「…………」
「個人的に人を襲う理由なんて、負の感情だ。なのに、彼女にはそれがなかった。……という事は?」
「……誰かに命令された?」
「だと思う。……誰に言われたかは知らないがな」
ハリーはボサボサの髪を掻きむしった。
「つまり……彼女は、まだ」
「……狂気に犯された訳じゃないかも。……断言はできないが」
俺が言うと、彼の表情は少し穏やかになり目に少しだけ生気が戻って来る。
「……ハリーよ。何故、アリソン元軍曹の事を思っている?」
俺はハリーに気になっている事をぶつけた。
ハリーは俺の方を見て、さっきまで弄っていた自分の眼鏡をまた掛けた。
「……いい人」
「いい人?」
「ああ。昔、僕が中東に派遣された事は言ったっけ?」
「知ってる」
「……その時、よく話をしたんだ。他愛のない、世間話にもならないようなつまらない話をさ」
「ほう」
「でも、そんな話を彼女はしっかりと聞いて、笑ってくれた」
「………………」
「僕は、色々あって一足先に本国に帰る事になった。……その時、さよならも言えなかった。……言えるような精神状態じゃなかったしね」
「……そうか」
「帰ってからの多忙な日々で、彼女の事を忘れてしまった。……けれど、また会う事が出来た」
機材が置いてある机から、ハリーはドローンを取った。
「忘れていたのに、彼女は……昔と変わらない態度で接してくれた。マニアックなドローンの話をしても、相槌を打って笑ってくれていた」
「……確かに、いい人だ」
「そうだ。……だからこそ、僕は彼女の力になりたいんだ」
「だから、アリソンさんにそう言ったと」
「うん。……赤沼」
「ん?」
「まだ、彼女は狂気に犯されてないんだな?」
「断言できないが、俺の予想だと」
目に感情が無いだけで、感情が全て失った訳じゃないはず。
「……僕が、決着を着ける」
ハリーは着ていた白衣を脱ぎ、ズボンのポケットから携帯を取り出した。
「頼みがある」
「なんだ?」
目にはさっきの有様からは考えられない程、生気に満ち溢れている。
「今から僕がやる事を……終わるまで誰にも言わないでほしい」
それだけ言い残すと、ハリーはオフィスから飛び出していった。
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