襲撃

 私が飛び起きると、体は汗びっしょりだった。

 寝間着代わりのTシャツの襟を掴んで、溜まっていた暖気を外に追い出す。

 サイドテーブルの上のスタンドライトを着け、額に手をやる。

 額も汗で濡れていた。

 それを拭い、シーツに擦り付ける。

 ……酷い夢を見た。

 酸化して黒に近い赤になった血。

 薬莢が転がる軽い金属音。

 硝煙と血の香り。

 壁にへばり付いた肉片。

 それが頭蓋骨の中で響き、情景が映画のスクリーンみたいになって、自分の周囲を回る。

 ここ最近は見なかったのに、ここ二日連続して見た。

 

「治まってきたと思ったのに……」


 ベッドから下り、椅子に腰掛ける。そして、今光を発しているスタンドライトをぼんやり眺めた。


「伍長……」


 ニューヨークに来てから、寝ても覚めてもふと頭に浮かぶのは彼の事ばかり。

 これから殺そうと考えている人物だから。

 そう結論付けても、自分の中の何かがそうじゃないでしょと囁く。

 そうじゃないでしょ。

 違う。

 そうじゃないでしょ。

 標的の事を考えてるだけ!

 そうじゃないでしょ。


「違う!」


 気が付いたら、私は叫んでいた。

 体はさっきよりも汗で濡れ、シャツの至る所に大きなシミを作っている。

 命令で殺せと言われているのに、内面では殺したくない感情が渦巻く。

 もううんざりだった。

 尊敬に値しない上司に付き従うのも、その上司が命令する自分勝手な指令を受けるのも。

 涙が自分の意思に反して、零れて止まらない。

 自分で自分が分からなくなってきた。

 叫んでも誰も助けてくれない。

 何もかも嫌になってた。全てを投げ出したい。


「…………出来るなら、やってるよ」


 誰に対してか、虚空に向かってそう呟く。

 あのゴミ虫上司は、カンパニーの中じゃ有能で通っている。ゴミでも権力持ってれば、人の命一つは奪える。

 死にたくない。殺したくない。

 ハリーに再会したのは偶然で、近づいたのは打算だ。

 適当にISSの人間を殺したとしても、身内を殺されたISSは本気で私を追いかけるだろう。

 地の底、便所の隅で震えていようが、構いもしないはず。

 賄賂も馴れ合いも必要としない組織に、情けというシステムは存在しない。

 現にISS設立以来、何人ものCIAの職員が捕まっている。

 するべきはただの殺害ではなく、暗殺。

 人気の無い場所でひっそりと。

 でも、あのお人よしな笑顔を見ているとその気が失せていく。


「……じゃあ、誰を撃てばいい?」

 

 張り込んでいた時に見た顔が次々に流れてくる私の脳裏に、昨日公園で会ったMA-1ジャンパーの東洋人が浮かんできた。

 あの男も、ISSの局員のはずだ。

 顔だけ知っている、私にとって情の欠片もない男だ


「あの男を殺す。……そうすれば」


 感情のタガが外れ、様々な境界線が曖昧になっていく感覚は、眠りにつく瞬間に似ている。

 机の上に置いてあるMP5SD6と、サプレッサーが装着できるよう改造したHK45が目に入った。



 一昨日から調査係の動きが慌ただしくなった。

 資料という資料を漁り、関係各所に連絡を掛ける様子は昔見たプライベートライアンの市街地戦を思い出させる。

 だが、それとは逆に強襲係のオフィスはどこか間延びした空気が漂っていた。

 出動ばかりで張りつめていた物が限界を迎え、切れてしまったのだ。

 俺もその一人だ。

 ならば、気分転換をするのがベストだろう。

 ここのところ、出動ばかりでゆっくり風呂に入っていない。

 シャワーで体を清めていたが、風呂の様な快感は無い。

 だが、今日は違う。


「やっと、休める……」


 夕闇に沈むニューヨークの街を歩く。缶ビールが入った紙袋を抱えながら。

 贅沢言えば整体に行きたいが、ゆっくり風呂に入ってビールを飲むのが今できる最大限の贅沢だ。

 アパートのエレベーターを降り、自分の部屋の前に立つ。

 上着のポケットから部屋の鍵を出し、鍵穴に挿し込む。


「ん?」


 感覚が少し軽い。一度抜いて、もう一度挿す。やはり軽い。

 気のせいなのかなんなのか。

 途切れていた集中力のコードが再び繋がり始めた。

 上着越しにシグの感触を確かめる。


「泥棒かな?」


 それだったら、こそ泥野郎を叩きのめすだけで済む。

 鍵を開け、一気に蹴り開ける。

 物音はしない。

 手を伸ばし、玄関の電気を付ける。

 一歩部屋の中に入ると、俺が感じた違和感が本当であると証明する物が見えた。

 誰かが土足で入った跡。

 俺はいつも靴を脱いで玄関をあがっているし、この部屋に客を招いた事は無い。

 朝は無かった跡。

 誰かが、俺の部屋に不法侵入した事を裏付けている。


「何モンだ?」


 シグをホルスターから抜き、スライドを引く。

 薬室の弾が入る確かな手応え。


「三つ数える内に出てこい! 出て来なかったら、問答無用で撃つ!」


 まだ暗いリビングに銃口を向ける。


「三!」


 スライドに合わせるように、人差し指を添える。


「ニ!」


 トリガーガードに指を入れる。


「一!」


 誰も出てこない。

 だか、安心は出来ない。念の為、靴を脱がないで部屋の奥に進む。

 暗いリビングに立つ。

 ここも電気を付けようと、スイッチに手伸ばした瞬間。

 寒気が全身を駆け巡った。

 ソファーに飛び込んだ瞬間、窓ガラスが割れた。

 銃声がしない。サプレッサーか、消音銃の類。相手は只者じゃないだろう。

 俺は銃を構えながら、襲撃者と対峙する。

 全身黒ずくめ。手には、サプレッサーが装着されたH&K社のHK45が握られている。

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