氷山の一角

 刑務所を後にし、シルヴィアに電話を掛けた。


「エンジェルスに会ったぞ」

『どうだった?』

「帳簿の謎は解けた」


 聞いた話を端的に説明する。彼女は相槌を入れながら、しっかりと話を聞いていた。


「――という事だ」

『思ったよりも、事件は広くて深そうね』

「そうだな。……お前はどう思う?」

『どうって?』

「警察官とは、似て非なる雰囲気の男について」


 俺が質問すると、電話口から聞こえるのは彼女の呼吸音が微かに聞こえるだけになった。

 そして、長い沈黙の末。


『……分からない』


 帰って来た言葉がそれだ。

 だが、文句を言う気にはなれない。ヒントが少な過ぎる。

 四十後半から五十前半の白人の男。

 性格はおそらく見栄っ張り。

 体格は普通。鍛えている様子はない。

 これだけの特徴なら、アメリカ中にごまんといる。

 二十二時くらいに高級バーに行けば入れ食い状態だろう。

 更に、事を難しくしているのは男の雰囲気だ。

 警察関係者じゃないとしたら、麻薬を大量に買っていたのはいったいどこの誰なのか。

 FBI? CIA? ATFアルコール・タバコ・火器及び爆破物取締局? DEA麻薬取締局なんてこともあるかもしれない。

 昔見た映画だと、ゲイリー・オールドマン演じるDEAの捜査官が麻薬密売組織を牛耳っていた。

 事実は小説よりも奇なり。もっとも、思い浮かべたのは映画だが。


『でもまぁ、一歩前進って事で。遠出、ご苦労様』

「おう」


 電話を切る。助手席に携帯を置いて、ドリンクホルダーから缶コーラを取った。

 炭酸に包まれた甘い液体を喉に流し、一息つく。


「一体、何処の誰なんだか……」


 コンビニの駐車場で呟いても、答えは天から降ってきはしない。




 私が初めて人を撃ったのは、中東に派遣されて一週間後の事だ。

 市街地の哨戒任務中、米軍駐留反対デモ隊と出くわしてしまい押し問答になった。


「我々はここに戦争をしに来たのではない」


 そう言っても、自分が信じて疑わないモノを振りかざす人間というのは、人の話を聞きはしない。

 遂に、激高したデモ隊の一人が所持していた拳銃を、小隊の仲間に向けて発砲したのだ。

 運悪く、防弾ベストを外れ弾丸は下腹部に命中。

 デモ隊の罵声と歓声。被弾した仲間の叫び声と迷彩服に染み出す鮮血。多くの隊員が戸惑う中、私だけが持っていたM4カービンを構え撃った。

 安全装置をセーフティーから、単発に切り替え冷静に引き金を引く。

 訓練の的を撃つのと変わらない感覚だった。

 ライフル弾は男の拳銃を持つ腕を撃ち抜き、奥の男の方に命中する。


「動くな! ……今度は頭を撃つぞ」


 私がそう警告すると、デモ隊は蜘蛛の子散らすように逃げていった。

 私が取った行動は、ほんの少しのお咎めで済んだ。

 正当防衛。

 先に向こうが発砲していたし、仲間達の証言もある。

 けれど、冷静に引き金を引けたことが頭に残っていた。

 撃たれた仲間とは、大した関係ではない。

 同じ小隊に所属しているだけ、ただそれだけの関係。

 何で撃てたのか、未だに分からないままだ。

 初めて人を殺したのは、それから五日後。反政府組織がテクニカル(トラックなどに機関銃を搭載し、武装した車両)に乗り込み、近くの町を襲撃した。

 その地域の治安維持も任されていた私達は、ハンビィーやトラックに乗り込み街へ向かった。

 街に着いた途端、ハンビィーの車載兵器、ブローニングM2重機関銃が火を噴く。

 AKやG3を持った組織の構成員達は、果敢にも12.7ミリの銃弾に挑んでくる。

 私や他の仲間もM4カービンを撃ちまくった。

 こんな時に限って、この前の冷静さは姿を現さない。

 空弾倉が三つほど出来上がった頃、急に構成員達が退き始めた。


「何だ?」


 全員が銃を撃つのを止める。

 周辺は不気味な静寂に支配される。その場にいた全員が忙しなく首を動かしていた。

 私も例に漏れず、視線を動かしまくって逃げて行った敵を探していた。

 そして、ビルの一室で何かが動いたのを自分の目でしっかり捉える。

 ペイズリー柄のバンダナを頭に巻いた男が、先の尖った円錐状の物を幾つか持っていた。

 何を持っているか、その瞬間は分からなかった。

 だが、後ろにいた男が筒状の物を持って来た瞬間、即座に理解する。

 RPG-7。

 旧ソ連製の対戦車兵器だ。

 標的はおそらくハンビィー。中には、五人の仲間が乗っている。


「――殺させない」


 アンダーレールに装着していたM203グレネードランチャーに、40ミリ榴弾を装填する。

 先程まで汗を滲ませていた頭は冷めきり、自然と腕が動いていた。頭が働いている感覚が消え、そこを狙うようプログラムされたロボットみたいに私はランチャーの引き金を引いた。

 背中を突き飛ばした時と同じ音がして、榴弾が発射される。

 弧を描き、榴弾は部屋に吸い込まれて行く。

 榴弾が爆発した。

 コンクリートの粉や埃が舞い上がり、部屋の窓からそれが煙のように出て来ると同時に、RPGの弾薬が炸裂した。

 更に大きい爆発の後、また静寂が周囲を支配する。

 爆発のあった部屋に行くと、そこには壊れたRPG-7の発射機と肉片が壁にこびり付いていた。

 それを見て、脳の奥底にあった細い糸が切れる音がした。


「――ソン? ……アリソン?」


 ハッと我に返る。

 カフェラテを手に取り、一口だけ飲む。


「大丈夫かい?」


 ハリーが心配そうに私の顔を見ていた。


「……うん。大丈夫……大丈夫……」

「なら、いいんだけど」


 ここは中東の街じゃない。

 戦場でもない。

 弾薬や榴弾が収まったポーチも、今は持っていない。

 そして、目の前に座っているのは……敵ではない?

 どうしても、疑問形になってしまう。


「悪いね。僕のせいで、嫌な事思い出させちゃったみたいで」

「……いいの」


 公園を後にし、私達は近くのカフェに入った。

 ハリーが奢ってくれるとの事だった。どうやら、私が浮かない顔をしていたのを自分が上司の事を話したせいだと思ったらしい。

 私は、改めて目の前の男の顔を見た。

 無精髭。

 どこか野暮ったい印象を受けさせる眼鏡。

 その奥の双眸は、確かに私を映している。

 ボサボサの髪。

 そんな特徴も、軽く上がった口角によってどれもお人よしな印象を感じるものになっている。


「……ハリーって、お人よしだよね」

「そうかな? 自分では、そう思ったことないんだけど」


 そう言って、彼は照れ臭そうに笑う。

 私は横目でチラリと、鞄の中に入っている拳銃を見た。

 果たして私は、敵と認識できない男を仕事とはいえ撃てるのか。

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