メリークリスマス

 マンハッタンの片隅にある、ビルとビルの隙間に存在する猫の額ほどの空き地。

 菓子の袋とコーラの空き缶が冷たい風に流され、宙に舞う。

 俺は上着のポケットに手を突っ込み、白い息を吐いた。自分の腕時計で時間を確認する。

 集合時間五分前。

 ベンチも何も無いこの場所で五分待つのかと苦笑したが、売人は思ったより早くやって来た。

 整髪料で固めた髪にアルマーニのスーツの風貌の三人組の売人を見て、俺は自分が抱くイメージと違う事に驚くと共に、麻薬を売った金で高級スーツが買えるほどに儲かっているのかとも思った。


「……早いな」


 真ん中の売人が口を開く。


「じゃあ聞くが、ビジネスの時間に遅れるような奴から物を買いたいと思うか?」

「それもそうだ」

「少し早いが、商談に移ろう」


 両脇の売人が持っていたアタッシュケースを開いた。


「高純度のコカインだ。一袋800でどうだ?」


 日本円で約八万円。薬の相場はよく分からないが、やけに高く感じる。


「高くないか?」


 買う気はさらさら無いが、一応聞いてみた。俺の質問に、売人達は明らかに機嫌を悪くした。


「他当たってもいいんだぜ。……もっとも、ニューヨークで一見さんに薬売る奴なんて俺達以外いないだろうがな」


 知っている。何故なら、最近NY界隈の売人達がいなくなっているからで、その売人達を捕まえたり撃ったのは他ならぬISS本部強襲係だ。


「分かったよ。……アタッシュケース一個分貰おうか」

「8000だ。びた一文負けやしない」

「いいぜ」


 そう言って、俺は上着のポケットに手を突っ込んだ。それに反応し、真ん中の売人が懐に手を入れた。


「おいおい。待ってくれよ」


 ポケットから出て来た紙束を見て、売人達は薄く笑った。

 一番上に居るベンジャミン・フランクリンの肖像画が、余程気に入っているのだろう。

 気持ちは分かる。俺も福沢諭吉の肖像画を見れば、少し心躍るからだ。

 紙帯でまとめられたそれを真ん中の奴に差し出す。

 売人は意気揚々と指を舐め札を数えようとしたが、すぐに顔色を変え俺に食って掛かった。


「何だこれは!」


 持っていた紙束をぶちまける。ひらひらと舞う紙は、百ドル札なんかじゃない。

 札と同じ大きさに切り揃えられた新聞紙だ。しかも、一番上にあった紙もベンジャミン・フランクリンの肖像画か描かれた玩具の紙幣。


「見て分かんないか?」

「テメェ……」

「麻薬取引の現行犯だ。アタッシュケースを置きな」

「サツだろうが関係ねぇ! ぶっ殺してやる!」


 三人の売人達が一斉に懐からタウルス PT92を出す。しかし、ビルとビルの間からMP5A5やSCAR-Lを携えた仲間達が飛び出してきた。

 それには流石に売人達はたまげたみたいで、動きが止まる。


「ISS本部強襲係だ。神妙にしろよ」


 俺は腕を交差させ、懐から身分証とシグP226Rを出し売人を睨みつける。


「畜生!」


 大きな声で悪態をつくが、サブマシンガンとアサルトライフルの銃口に囲まれて拳銃三丁で抵抗しようと思わないあたり、馬鹿ではない。

 売人は同僚達に取り押さえられ、バンに乗せられていった。


「お疲れ」


 マリアが俺の肩を叩く。彼女はライフルが入ったガンケースを背負い、禁煙の為のガムを噛んでいる。


「おう」


 拳銃と身分証を仕舞い、軽く手を上げた。俺達は表通りに向かって歩き出す。

 通りに面するカフェや街路樹にはクリスマスの飾り付けがなされ、三日後に控えた神の息子の誕生日を祝う用意がされており、街ゆく人々の顔もどことなく浮かれているように見える。


「クリスマスか……」


 髭面で赤い服を着た老人の顔を見ながら、俺達は通りを歩いた。


「……嫌な思い出でもあるの?」


 マリアが茶化すように問いかけてくる。


「別に……悪い思い出は無いな」


 記憶を探っても、別段悪い思い出は無い。二十四日にケーキ食って、二十五日の朝には高一までプレゼントが炬燵の上に置かれていた。

 大学に入って、一人暮らしを始めてもそれなりに楽しんでいたと思う。

 小さい頃は親父が仕事でいない事で拗ねたりしたが、成長するにつれそれも受けいれられるようにもなった。

 過不足も無いクリスマスを送って来たはずだ。


「……お前はどうなんだ? マリア」

「私? 別に普通。毎年、母親が七面鳥焼いてくれた」

「いいじゃない。七面鳥。美味いのか?」

「美味いわよ」

「いっぺん、食ってみたいもんだ」


 俺がキーを回し、セルモーターを動かす。マリアがドアに手を掛け、エンジンがかかった瞬間。

 轟音と共に車の屋根がへこんだ。


「なんだ!?」


 ドアは衝撃で歪み開けられなかったので、フロントガラスをぶち破り、車外に出る。

 外では、同僚達が驚愕の表情のまま固まっていた。


「赤沼! 大丈夫か?」

「……なんとか」


 俺は首を曲げ、凹んだ車の屋根に沈む物体を見る。同僚達が浮かべている驚愕の表情の意味を理解した。

 そこにあったのは、人の死体だった。

 四肢は折れ曲がりあり得ない方向を向いており、特に足の損傷が酷く筋肉の間から血に塗れた骨が覗いている。

 ボンネットから降り、死体の顔を見た。白目をむき、のっぺりとした無表情な顔。少し開いた口からは一筋、血が垂れている。

 生気が消え失せた死人の顔。

 幾ら見ても慣れるもんじゃない。ドロドロした不快感が胃の底から湧き上がる。


「どうなってるんだ?」


 俺は、男が降って来たと思われるビルを見上げた。

 

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