沼の底編

後始末と後悔

 ISSロス支部の会議室は、エアコンが必要無いほどの熱気に包まれていた。

 長机と人の頭が規則的に並び、私の前に立っている男が前に並ぶ厳めしい顔した主任達に今回の事件の顛末を報告している。

 事を一つ話す度に、資料の紙束をめくる音が部屋に響く。


「次。本部局員襲撃行為について」

「はい」


 私の隣に座っていた同僚が立ち上がり、報告を始めた。


「ロス市警現役警部補の自宅から押収した物品に、ある写真がありました。資料十ページを見てください」


 言う通りに資料をめくると、そこには画素数が少なく粗い画像が印刷されている。

 あるバンをアップした写真だ。

 バンを運転しているのは、緑色のシャツを着たアジア人の男。助手席に座っているのは、短い金髪に白いパーカーを着た女。

 その二人は間違いなく、本部強襲係の赤沼浩史とマリア・アストールだ。

 そして、この写真には見覚えがある。


「この写真は一か月程前、本部で確保した麻薬王カリスト・マイオルに送られたメール内にあった物と同じです」


 会議室がざわめく。


「しかし、今回の写真データもマイオルの写真データもオリジナルではありません。オリジナルデータは、マイオルがよく使っていた情報屋が所持していました」

「……何故、警部補はその写真を入手出来たんだ?」

「資料をめくってください」


 紙束をめくる。

 どうやら、カリスト・マイオルが捕まった際、芋づる式に売人や裏の人間が検挙されたのだがその情報屋は荷物抱えてニューヨークから離れロサンゼルスに逃げて来たのだが、運悪く捕まったらしくその時に命と同義とも言える情報をロス市警に回収されたのだ。

 おそらく、ケビン・レナードは市警の捜査課の人間から教えられたのだろう。


「部外者に捜査情報を教えたのかよ……」


 呆れた様な声がいたる所から聞こえてきた。その言葉はもっともだ。


「……そして、一か月に起こった」

「――本部強襲係拉致事案」


 私は同僚の声に合わせ、小さく呟いた。


「その件で、情報屋は二人をISS局員だという情報を得て……」

「……ニューヨーク港での一件が起こったと」


 カオス理論の一つに、バタフライエフェクトというのがある。

 地球の反対側にいる一匹の蝶の羽ばたきが、大きな台風となってやってくるというものだ。

 今回の流れは、まさにそれだろう。


「ロス市警現役警部補による武器密輸は被疑者確保によって、解決に一歩近づいた。調査係一同には感謝すると共に、これからの捜査も頑張っていただきたい」

「以上! 解散!」


 本部調査係の主任と副主任が号令をかけ、これまで規則的に座っていた局員達が思い思いに動き始める。

 私は散らけた資料をまとめ、開いてたノートパソコンを閉じた。すっかり冷めきったカップのコーヒーを飲み干し、立ち上がろうとすると。


「シルヴィア先輩?」


 少し懐かしい声。

 そこには、N3-Bジャケットを脇に抱えた黒髪の後輩がいた。後輩と言っても、FBIのだが。


「やっぱり、シルヴィア先輩だ」

「君は……ウォーカー?」

「そうです! ウォーカーです」


 おやつを与えられた犬みたいに笑う後輩は、保護欲をくすぐられる。


「五年ぶりだね。……いつISSに?」


 私がFBIからISSに移った時以来会っていないから、五年ぶりで間違いないはず。


「二年前ですね。FBIに愛想尽かして辞めたら、ここの主任さんが俺を誘ってくれましてね」

「……FBI、辞めちゃったんだ」

「ええ。先輩がいなくなってから、あそこは大分変ってしまって……。そうだ、立ち話もなんですし、コーヒー奢りますよ。いい豆を買ったんです」


 腹の中ではさっき飲み干したコーヒーが波を立てたが、チェーン店の冷めきったコーヒーより不味い訳がないだろう。口直しもしたいから、私は後輩の言葉に甘える事にした。



 オフィスというのは、どこの組織だろうがどんな時代だろうが大して変化が無いものだと思う。

 パソコンが普及したのに、いまだに世を支配している紙と目を覚まさせるコーヒーの匂いが漂う空間。それがオフィスだ。

 そんな空間で温かいコーヒーで満たされた使い捨てのカップを持ちながら、二歳下の後輩と世間話をする。

 ……FBI時代に戻ったみたいだ。

 話の内容も、昔の同僚達や職場など私と彼の時間の差で起きた事を教え合っている。

 コーヒーの量は減っていくが、話は盛り上がっていく。

 すると、後輩は昔の事件を引き出してきた。


「……覚えてますか? 六年前の、連続誘拐事件」

「また懐かしいのを……」


 コーヒーを一口啜る。あの時、目の前の彼は若さ全開で突っ走っていた。そして、事件の終わりに腐っていたのも彼だ。


「……悔いがあるの?」

「ありますよ。そりゃ」


 六年前。全米各地で多発していた、連続誘拐事件。身代金要求はあるが、金を用意出来ようが出来まいが犯人は現れない。

 金目的でないのなら、怨恨を考えるのが筋だが、子供と親、祖父母まで調べても誘拐される様な恨みを抱えた人間はいなかった。

 いたとしても、アリバイ。アリバイが無くとも、犯行は不可能。

 犯人を絞り込むことすら困難だった。

 誘拐事件というのは、発生から二十四時間経ってから捜査権が警察からFBIに移る。

 二十四時間もあれば、国内国外問わず何処にも行けるからその地域にしか捜査権が無い警察ではなく、許可さえあれば何処にでも行けるFBIの方に捜査権を渡した方が合理的なのだ。

 ……だが、どうにもならない事もある。

 結局、犯人の手掛かりはあっても捕まえられず、子供達が親元に帰る事も無く捜査は打ち切りに。

 それを聞かされ誘拐された十三人の子供の内、私と彼は一人の子供の家に行った。

 彼がどうしても謝りたいと言ったのから、私はそれに付き添ったのだ。

 十一歳の女の子の両親は、私達を責めなかった。

 両親のどこか諦めた顔に私達の精神は削られる。

 その帰り道、腐った彼を宥めたのも含め、忘れられない。


「……先輩。今の自分に、悔いはありますか?」

「……あっても、口に出さないのが大人ってもんよ」


 コーヒーを啜り、後輩に微笑んだ。

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