善行と悪行の先
.44マグナム弾は俺から大きく外れ、砂浜の何処かに吸い込まれて行った。それから少し遅れて、別の銃声が鳴る。弾丸が通った右側を撫で回しながら、俺は携帯を取りだしマリアに掛ける。
「ナイスショットだ」
『……奴が撃鉄起こした瞬間、血の気が引くのが分かった』
「俺がこうして喋るんだ。少しは喜んでもいいんじゃないか?」
彼女にはケビンの倉庫から離れ、海岸に向かっている時に連絡をしていた。
観覧車からの狙撃する事を伝えた時は戸惑っていたが、彼女はやってのけたのだ。
『それは……。そうね』
しかし、彼女の声には僅かに陰りが見える。
狙撃というのは、相手が生きてる時から狙い死ぬ瞬間、もしくは傷つく瞬間を目撃する。
興奮しているのならまだしも、冷静でいなきゃ狙撃なんて出来ない。
いくら覚悟が決まっていようが、冷静な頭なら嫌でも考えてしまうだろう。
「ケビンは……何処にいる?」
『浩史から向かって右側百メートル。浅瀬に浮いてる』
「海から狙撃しようとしたのか?」
『みたい。こんな時期に、海水浴する人間なんていないから隠れやすいし、まさか浩史も、海から撃たれるなんて思いもしなかったでしょ』
「なるほどなぁ……。一応聞くが……生きてるか?」
『右肩を撃った。多分生きてる』
「了解」
俺は遊園地の観覧車に向かって敬礼をし、ケビン・レナードの元に向かった。
……海岸を一望出来るのは、遊園地の観覧車しかない。だが、大口径でも拳銃弾じゃまともに当たりもしないだろう。
弾自体はキロ単位で飛ぶが、有効射程や風の関係もある。拳銃のケビンが俺を本気で殺したいのならば、観覧車いや遊園地からの狙撃は避けるはずだと踏んだ。
だが、ライフルなら話は別だ。有効射程は拳銃の倍以上、観覧車からの狙撃は可能だ。
運が絡む要素もある。だが、俺達はやり遂げたのだ。
賞賛されるような事じゃないが、俺なりに終わらせる事が出来る。
俺はアサルトライフルを砂浜に置き、呻きながら海に浮いていたケビンを浜辺まで引きずった。
ケビンのそばには、ビニール袋も浮いていた。おそらく、これに拳銃を入れて海に入ったのだろう。
たっぷり海水を吸った作業服は重かったが、ケビンが脱力していたので波がかからない位置まで運ぶのは苦にはならない。
彼を完全に陸地に上げた後、海水の中に沈んでいた改造済みのM29を拾い上げた。
フレームの後部にある出っ張りを押し、シリンダーを横に出す。五発の.44マグナム弾と一発の薬莢を出して、大海原に放り投げた。
更にシリンダーを外し、フレームを砂浜にシリンダーを俺の上着のポケットに仕舞う。
俺はケビン・レナードの頬をペチペチと叩いた。
「……生きてるか?」
俺の問いかけに、ケビンは虚ろな目をして声を漏らす。
「……私を撃ったのは、マリアか?」
「そうだ。……どうだ? 部下の射撃の腕は」
「……三年前より、腕が磨かれているように思える」
「ダーティハリー気取りのテメェには、出来ない芸当だ」
「………………」
虚ろな目が、規制線の方に向く。
「あの子達は……ここで死んだのか?」
「ああ」
防水布の包帯で銃創の上を縛り、止血をする。きつく縛ったが、痛みに顔をしかめるような事もせずただ、黄色いテープを眺めていた。
俺を見ても、表情を変えず殺そうともしない。俺も寒気を感じていない。
ライフル弾に貫かれてから、抜け殻になってしまったみたいだ。
「……残された子達は……どうなる?」
かのパンドラの箱は、邪悪なものが全て出ていった後、希望が残されたらしい。ならば、ケビンに残されたのは良心なのか。
「……施設に送られるだろうな」
「幸せに、なれるのか?」
「………………………………」
俺には答えられない。これからの事なんて分からないし、彼らは色んなハンデを追ってしまった。
逃れられない罪と、治ることが無い傷。
それらを負わせたのは、他ならぬケビンと俺だ。
「……周りの人間の対応と、本人の努力が必要になるだろうな」
俺はなんとか月並みな言葉を絞り出し、しゃがみ込む。
「……幸せに、してあげたかった」
「じゃあ、銃を捨てて覚悟を持つしかない。……でもそれは、今の俺には出来ない。お前は?」
「……分からない」
「それなら、考えるしかないよな。……お互いに」
顔を上げる。砂浜の前にはパトカーやISSの車が集結していた。
「立て。お迎えだ」
肩を貸し、ケビンを歩かせる。そして、ISSの車両に乗せた時だった。
「待って」
マリアが俺の後ろに立っていた。
その表情はどこかすっきりしていて、これまで抱えてきた物を下ろしたみたいに見える。
彼女はセダンの後部座席に座る、ケビンに話しかけた。
「レナード警部補。お世話になりました」
その言葉にいままで能面みたいな顔をしていたケビンは、虚を突かれたみたいな顔になる。
「……辞める時に、挨拶もせずに出ていってしまったので」
「…………そう、だったな」
「ISS本部強襲係として、これからも頑張っていきます」
そう言って、マリアは敬礼をした。
「……頑張ってくれ。……君なら……大丈夫だ」
ISS局員がドアを閉め、車が発信する。彼の頬には一筋の涙が流れていた。
そこにいたのは、狂人でもなく、子供達の救世主でもなく、ただ一人の警察官だった。
車が見えなくなるまで、マリアは敬礼を続けた。
初めは純粋な正義だったものが様々な過程を経て、別の物に変化する。
別に珍しいことではないし、それだけなら咎められることもない。
だが、それを腹の中に飼ったうえで何をするかで事は変わる。
怒るのは自由で、皆同じだ。でも、許されないラインを越えてはならない。
聖者だろうが、罪人だろうが、それは同じだ。
しかし人間は万能ではない。
善行と悪行のラインを知る者は、この世界の何処にもいやしないのだ。
それでも腹に怪物を飼いたいのなら、自分が信じたラインを進めばいい。
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