賽を投げし者
調査係のオフィスに駆け込む。そこには、スーツを着た厳めしい顔をした還暦近い男が三人立っていた。
俺達がオフィスに入って来たのにも気が付かず、調査係主任に詰め寄っている。
「だから、さっきから言っているでしょう。こうして、正式な書類や許可証を持って来たんです、今すぐケビン・レナード警部補の身柄を我々ロサンゼルス市警に引き渡してください」
うんざりしているのが声で分かるように、男が主任さんに言っている。彼のデスクの上には、何枚も書類が並べられていた。
「……彼の武器の横領が分かったと思ったら、監査のお偉いさんがオタクに捕まるし、SWATの若い衆が本部に押し掛けるし……とにかく、この件はオタク等だけの問題じゃないでしょう! こっちも迷惑しているんだ、まだ文句があるならこの書類を裁判所に持って行って強制力を持たせてもいい」
男達の言い分は納得できる、文句を言う筋合いは俺達には無い。少なくとも向こうは、ただ職務を全うしようとしているだけだから。
「そうは言っても……」
主任さんもだいぶ参っているようだ。いや、ここに居る全員が彼らの事情を理解している。
だからこそ、この状況が出来ているのだ。
仮に、今ケビン・レナードを解放したところで何が起こるか分かったもんじゃない。
アイツは真っ黒い所にコネや友人を持っている、ISSを出た瞬間逃げ出すだろう。
あの男は何でもする。現に俺は、間接的にあの男に殺されかけたのだから。
「いい加減にしてくれ! 身柄引き渡しの書類にサインするだけでいい! レナード警部補にどんな罪を着せようがどうでもいいんだ、とにかくウチの人間がやったことはウチでケジメをつける」
LAPDが誇るSWAT部隊の隊長が引き起こした前代未聞の不祥事は、警察組織の信用を揺るがしかねない。監査役の逮捕も、いい燃料投下になるだろう。
それに、昨夜のロス市各所への検問展開。未明にかけて発生した銃撃事件。
警察のお偉いさんは、メンツに賭けて事件を解決させようとしているに違いない。
そして、割を食うのは下っ端の警官。ロス市警は今、弾ける寸前のポップコーンみたいになっているはずだ。
いや、もう弾けているかも。SWATの若造が本部に押し掛けている時点で、かなりの事だ。
たかだか一日二日でこうなるなんて、組織としておかしい。SWATは完全に壊れてしまっている。
大きなダムも、小さなヒビ一つで崩壊する。これ以上の事態悪化は、どうしても避けたいといったところだろう。
「…………分かりました」
重々しい沈黙の後、主任さんの口から出てきたのは彼らの要求を受け入れる意の言葉だった。
「主任!」
オールバックが鋭い言葉を発したが。
「分かってる! ……でも、彼らの事も考えてやってくれ」
オールバックは顔をしかめた。もっとも、それは目の前にいる三人組に対しての悪感情からではない。
「貴方達の要求を、ISSロス支部調査係主任として受け入れます」
そう言って彼は、デスクの上にあった書類の一つにサインをした。これでもう後戻りは出来ない。
「……お騒がせして、大変申し訳ございませんでした」
三人は頭を下げた。それも、通り一遍の物ではなく芯が入っている。主任さんは巨体と昨日の若い奴の一人を指名して、案内するよう指示を出す。
若い方は流石に納得いかないような顔をしたが、巨体の方は頷き紳士的な態度で三人を案内し始めた。
三人が部屋から出た瞬間、ある者は電話を掛け始め、ある者はパソコンで作業を始め、またある者は他の部署へ向かった。
その素早さや動きは戦場の最前線で戦う兵士を彷彿とさせる。
いつの間にか、俺の隣にはマリアが立っていた。
「聞いてたか?」
「……うん」
マリアは浮かない顔をしている。無理もない。すると、俺達の前に主任さんが現れた。
「すいません、力が及ばなくて」
「いえ、主任さんの気持ちも向こうの気持ちも理解できます。別に、俺は誰も責める気は無いですよ」
「私もです」
もしあの場で主任さんが声を荒げていたら、状況は悪化していた。いくら俺達の事情を話したところで、向こうにも向こうなりの事情があるのだ。
勿論、向こうだって自分たちがやった事で死人が出るかもしれない事は分かっているはずだ。それでも、正義の味方であり大衆の味方である事を保証しなければならない。その為には、一刻も早く決着を付けなければいけないのだ。
「……アイツは逃げ出すと思いますか?」
「……アイツに良心があれば、警察官としてのプライドがあれば、逃げ出しはしませんよ」
判断に困っているのが伺える回答だった。だが、俺は主任さんの発言で『逃げ出す』と予想した。
アイツは警察官としてのプライドをこじらせたのが原因で、道を踏み外したと俺は考えている。
一度曲がったプライドはもう元には戻らない。それは、被害者に銃を持たせその引き金を引かせている事が証明している。
良心があるのならば回りくどく、被害者出るやり方でマリアに接触するはずがない。
アイツは完全に壊れてしまっている。
そして、そんな暴走機関車がこの世に残しているのが、マリアだ。
先程のシルヴィアとの電話で、俺はアイツと同族と表現した。
そう、俺とケビン・レナードは少し似ている。
目の前で犠牲になった幼き命、広がる鮮血、どれも大人の身勝手な事情で死んでしまった。
そして、次は自分が信じてきた正義を疑った。
俺とケビンでは辿り着いた、いや、迷った道の方向が違ったのだ。
その先で出会った、一人の女。
相棒として、信頼できるパートナーとして動き互いの事を知っていく。若く、真っすぐでそれでも自分の中に確固たる正義がある彼女が、アイツはきっと羨ましかったのだろう。
人はそれを“ないものねだり”と言い表す。酷い事にねだった結果が、今の状況だ。
どうしても、隣に居て欲しかったのだろう。
……だから俺は、あの時“同族嫌悪”と言ったのだ。
――神ですら匙を投げるこの状況をアイツは、絶好のチャンスと捉えるはず。じゃあ、俺はどうするんだい?
――簡単さ、力を蓄え、目の前の事に全力を尽くせばいい。後悔しても、嫌でも、自分がくじけたらそこで終わりだ。
向こうが匙を投げたなら、俺は賽を投げてやる。
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