同族嫌悪

 結局、一夜をロス支部で過ごすことになった。調査係の応接室のソファーを借り、そこで寝た。

 ブラインドの隙間から漏れる朝日が顔に当たり、目が覚める。携帯で時間を確かめる。

 午前七時。気持ち悪いくらい丁度に目が覚めてしまった。マリアはまだ、向かいのソファーで寝ている。

 俺は手で何度も顔を拭った。そして、自分の手をまじまじと見つめた。太い指、深いしわが刻まれた手のひら。変わりない物が、自分には付いていた。

 部屋の隅に置かれた観葉植物に向けて、手を鉄砲の形にする。


「バーン」


 撃つフリをした後、鉄砲の形を崩し今度はグーとパーを繰り返す。


「………………」


 頭の中で様々な感情が渦巻き、捏ね上げらる。水に墨落としたみたいに、黒い物が侵食されていくイメージが頭に浮かぶ。

 言葉を出して誤魔化そうとしたが、考えても考えても言葉が出ない。

 こめかみを叩き、それを何とか吹き飛ばす。


「……コーヒー」


 考えた末に紡ぎだした言葉がそれか。

 自嘲気味に笑い、俺はソファーから下りた。

 自販機で砂糖とミルクがたんまり入ったコーヒーを買っていると、携帯が震え出した。

 寝る前にバイブレーションにしていたのだ。

 珍しい事に着信はシルヴィアから。


「もしもし? シルヴィア?」

『おっ! 起きてる』

「どうした? 朝早くに」


 自販機から甘ったるいコーヒーを出し、一口だけ啜る。


『そっち、とんでもない事になってるんでしょ? 資料が回って来たの』

「ああ……」


 ロサンゼルスで起こっている事がニューヨークの本部に届くことは自明の理だ。納得できるが、どことなく恥ずかしい気がする。


『派手にやってるみたいね』

「……やりたくてやってるんじゃないよ。……スッキリするもんじゃないし」

『……そうね。いくら自分の身を守る為とは言え、子供と戦うのはあまり気分のいい事ではないね』

「俺がやったは、正しいと思うか?」


 俺の質問に彼女はすぐに答えてくれた。


『正しいかどうかなんて、自分にしか判断できないよ』

「………………」

『私は裁判官でも、検察の人間でもない。だから、私には判断できない。その判断は、死んだ後にでも取っておけば? 地獄の番人の“エンマ大王”だっけ、そいつに任せれば』


 俺はその答えに苦笑する。


「……だったら、俺は間違いなく地獄行きだな」

『アラ、道連れは沢山いると思うけど。……でも、その答えじゃアンタは正しいと思ってないみたいね』


 コーヒーを飲む。それが甘くとも、苦い感情が俺を支配する。少しでも甘さを求め砂糖の残滓を舌ですり潰し、その感触を確かめた。


「……自分を正当化したいわけじゃないぞ」

『それは分かる。……自分を正当化したいんだったら、そんな暗い声もつまらない質問もしない』

「……そうか」

『……それはそうと、聞きたい事があるんだった』

「なんだ?」

『ケビン・レナードに会ったんでしょう? どんな奴だったか、気になってね』

「野次馬根性だったら切るぞ」

『そんなんじゃない』


 声が真剣だった。ただの興味本位ではない事が伝わってくる。


「……何が聞きたい?」


 自然に声に真剣みが含まれた。


『ISS本部強襲係の人間から見た、ソイツの印象』

「妙な事聞くな。……プロファイリングでもする気か?」

『まぁいいから』

「……そうだな」


 コーヒーをもう一口飲んだ。カフェインで頭をスッキリさせ、あの憎たらしい顔を思い浮かべた。


「妙にヘラヘラしている顔だった。底が見えない目をした奴で、なんというか……警察官ってより……詐欺師? みたいな目だったな」

『……詐欺師。人を騙す……? いや、人を魅了するに近い。だから、子供達が殺した親の偽のカルテを解剖医に書かせる事が出来た……解剖医も正義に寄っていた』


 シルヴィアはなにやら、ブツブツ言っている。


『他には?』

「他って……」


 しばらく考え、ふと思いついたことを口にする。


「ガタイがよかったなぁ……年の割には、よく鍛えてると思ったけど」

『……どのくらい?』

「……そうだな。俺より、少し小さいくらい」

『…………』

「シルヴィア?」

『……こうは考えない? 目と体がアンバランスだって』

「アンバランス? なんで?」

『詐欺師が体鍛えると思う? アンタは』

「偏見だろ。マッチョな詐欺師だっているだろうさ」

『こう言い換えれば、納得するんじゃない。警察官にそんな目が必要だと思う?』

「人を騙すような、気色悪い目を警官がするわけ無いってか」

『人を騙すのに、鍛えた体は必要ない。人間、パソコンに表示された文字だけで大金払ってしまうんだから』

「つまり?」

『体は最初からある。でも、意思や思想は後から生まれるモノよ』

「……読めたぞ。お前さんが言いたいのは、ケビン・レナードが最初っからそんな奴じゃないって事だろう?」

『正解。……こっちに回って来た資料の中には、ケビン・レナードの経歴をまとめたものがあった。……パトカー勤務から、今の地位に着くまでのね』

「ここまで行けば俺にも察しが付く。……まるっきり、人が変わってるんだろ」

『そう。SWATに行く直前、彼はとある事件に遭遇している。……事件にね』

「………………」

『単純な事件よ。親が子を刺殺した。……ケビン・レナードがよく会っていた親子が起こした事件よ』

「……ほう」

『ケビン・レナードが錯乱状態だった母親を撃った。子供はケビンが駆け付けた時には息があったみたいだけど、出血がひどくて助からなかったみたい。後の調査で分かった事だけど、その親子はシングルマザーで子供を育ててたみたいでね、ケビンはそれを知っていたからよく家を訪ねてたみたいだけれど、異変には気が付かなかった。日常的に受けていた虐待の傷は、化粧や服で隠れて見つけられなかったようね』

「あのアホは、それを悔いた」

『そう。……結果的に、彼は事件を解決したからSWATに栄転。かねてからの希望だったみたい』

「…………それは、アイツの心を締め付けただろうな」

『けれど、これじゃイマイチ弱い気がする』

「何が?」

『動機』

「……十分だろ」


 俺は口を歪める。その悔いは、俺にも十分理解できた。半年以上前、俺も味わったからだ。

 新宿駅爆破テロ未遂事件。


『……そうかもね。でも、一つ分からない事がある』

「マリアの事か」

『大正解。……何故あの娘に執着しているのかが、分からない』

「確かに、アイツは魅力的だがな」

『……へぇ』

「でも、一つ言うならば……」

『ならば?』

「俺がケビンに抱いた気持ち悪さは、同族嫌悪ってだな」


 シルヴィアは何も言わなかった。俺は電話を切り、冷めてしまったコーヒーを飲み干す。

 するとそこに、オールバックと巨体の二人が駆けてきた。いかにも、血相抱えて走って来ましたと言わんばかりだ。


「どうしました?」


 紙コップをゴミ箱に放り込む。


「今すぐ来てください」


 有無を言わせぬその表情に、俺は一抹の不安を覚えた。

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