動き出した者

 レンジャー試験を受けた時の事だ、教官に言われた事がある。

 「食欲が無くとも、飯は食え。生きる事は食べる事だ」と。

 体力を消耗し飯を食べていなかった俺は、無理矢理、冷たいレトルトカレーと硬いレトルトご飯を口に詰め込んだ。

 それを咀嚼していたら、いつの間にか心が軽くなっていた。飯を食った事で、勇気が湧いて来たのだろう。

 今でも、俺はそう考えている。

 目の前でラーメンを幸せそうに啜る相棒は、それが間違っていないと証明しているようだ。


「ひと心地着いたか?」

「うん」


 ロスのダウンタウンにある、リトルトーキョーのラーメン屋。ISSロス支部を出た俺達は、早めの晩御飯にありつこうとした。

 深刻な顔したマリアを元気付ける為に適当に選んだ店だが、喜んでくれたのは嬉しい。

 俺も自分の味噌ラーメンを啜る。


「インスタントラーメンはよく出来てるけど、やっぱ生麵だな」


 もやしを口に入れて、目の前の丼を見た。


「……日本のラーメン食べたの、いつぶりだろう?」


 メンマを箸でつつきながら、マリアは呟く。


「高校の時、家族で行ったのが最後か……」


 しばらく考え込んだ後、彼女は寂しげな声を漏らした。


「地元なんだろ? 俺待ってるから、顔見せて来れば――」


 そこまで俺は言ったが、マリアがそれを遮った。


「……いいの。別に。連絡は取り合ってるし。今は、仕事が大事だから」

「……でも、家族には会える内にあっておいた方がいいぞ」


 脳裏に父の顔が浮かぶ。


「そう?」

「ああ、そうだ。……縁起でもないが、人間いつ死ぬか分かったもんじゃない。自分に明日が来るなんて、絶対的な保証がある訳じゃないんだから」


 実際、父もそうだった。朝出勤した父が、夕方には冷たくなってしまったのだから。


「…………」

「悪い。メシ、不味くなっちまったな」

「いや、浩史の言う通りかも」


 彼女は自嘲気味に笑う。


「明日も、生きてる保証なんてどこにもないからね」

「……そうだな。……でも、俺達は前に進まなきゃいけないんだ。俺達には使命がある」


 俺のその発言に彼女は微笑んで、麺を啜った。




 ロス支部調査係第一班班長は、深い溜息を吐いた後、カップに残る冷めたコーヒーを飲み干した。


「……つまり、監査のお役人は本物で、あの弁護士は偽物だと」


 俺は自分が整えたオールバックを、髪の流れに沿って撫でた。


「はい。米弁護士協会にも問い合わせましたが、間違いないです」

「……受付からの話だと、弁護士バッジを身に着けていると言っているが?」

「よく出来た偽物、もしくは盗品ですね」

「……何が目的だと思う?」

「ケビン・レナードとの、連絡だと推測します」

「じゃあ、監査のお巡りさんは何故来た?」

「おそらく、ロス市警の内通者ではないかと思います。ケビンは、警察等の備品を盗んだと証言しているので、監査が来てもおかしくないです。それを利用したと思われます」


 俺が言い終えると、班長はデスクの引き出しからプラスチックのケースを出した。


「あの二人は、プライバシー保護の為に取調室内に設置された録音、録画機器の停止と監視を行わないで欲しいと言ってきた。……そしてこれは本部の調達係の副主任さんが作った、新作の小型集音マイクだ。……俺が何を言いたいか、分かるな?」


 俺はニヤリと笑ってケースを受け取り、件の二人と押し問答している相棒の元へ向かう。

 一階のロビーには、涼しい顔した巨体に文句をぶつける二つの背中があった。

 論理的な組み立てなんてあったもんじゃない、感情任せに思い付いた事をまくしたてているだけだ。だが、そっちの方が都合がいい。

 俺はマイクが入ったケースを開け、ボタン電池程の大きさのそれを無線機と同期させる。

 マイクの動作確認をし、こっそり二人の後ろに付いた。相棒と目が合う、だが何かしようとしているのを察したのか気がついてないふりをした。

 人差し指と中指の間にマイクを挟み、背中を叩きマイクを着ける。


「お客さん」


 背中を叩くタイミングと合わせて声を掛けた。


「……何です?」


 男の方が、不快感を隠す気も無いまま振り向く。


「ケビン・レナードさんとの面会をご希望ですしたよね?」


 女の方が俺を睨んだが、俺は営業用スマイルを作り女を煽った。案の定、相手はこちらに寄って来た。

 弁護士のフリして本部に来る割には、沸点は低いようだ。


「面会の許可が下りました。こちらへどうぞ」


 二人は顔を見合わせた。そして、鼻を鳴らし傲慢無礼な態度で俺の後に付いてくる。

 さも、こうする事が当然だと言いたげだ。

 エレベーターに乗り、彼らの後ろに立ち俺は相棒と顔を見合わせる。そして、背中に貼り付けた小型マイクを指さし笑った。

 相棒も背中のそれを見て、頷きながら声を出さずに笑った。

 女が唐突に口を開く。


「……ケビン・レナードが拘束されている部屋に、録音機器等の設備はありますか?」

「ええ」

「……それは切っておいてください。これから話し合うのは、彼のプライバシーに関わる事です。ISSの方に盗み聞きされてはたまりません」

「仰せのままに」


 煙草のパッケージから一本出して、咥えながら言う。わざと、誠意を欠いているように。

 彼女は明らかな敵意を向けた。

 怒りは冷静さを失い、判断力を鈍らせる。今頃、彼女の頭は赤黒い感情でいっぱいのはずだ。

 背中に付いた耳に気が付くまい。

 取調室の前まで行く。


「ここで待っててください」


 相棒が隣の部屋に入った、機械の電源を切っているのだ。五分も経たないうちに相棒を出てきた。


「どうぞ、中へ」

「……それでは」


 二人は取調室に入って行く。それを見届け、喫煙所に向かう。

 無線機の電源を入れると、先程の女の声が流れてきた。俺達に向けた声とは打って変わった、穏やかな声だ。


 

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