救われた者
俺は目の前に転がる男を睨む。だが、男、ケビン・レナードは動じない。むしろ、俺の憤怒の表情を見て挑発的な笑みを浮かべている。
「……帰るぞ。目的も何も喋ってくれたんだ。もう、コイツと話す事は無い」
歯を食いしばり、火山のマグマみたいに吹き出しそうな感情を押しとどめる。
「……うん」
マリアはケビンに目もくれず、子供みたいに俺の背中に隠れた。俺はマリアを庇いながら、部屋の外に出ようとするが。
「マリア!」
ケビンが声を上げる。
「聞くな」
俺の声に、彼女はジャンパーの背中側を握って応えた。俺はドアノブに手を掛けた。
「その腕時計、君のじゃないだろう!」
だが、その声を脳が理解した瞬間。マリアが固まった。
「……最初は腕時計を買い替えたのかと思ったけどね。樹脂製のバンドとバックルがこすれて、跡になっているだろう。けれど、君が着けている位置からはかなりズレている。……本来は、もっと腕の太い……男の物なんじゃないか? ……そう、君の今の相棒君みたいな人のね!」
俺は無理矢理マリアを引きずり、廊下に出た。淀んでいた空気が、一気に変わったのが肌で判る。
「……クソッたれ」
俺は悪態を吐き捨て、マリアは床にへたり込んでしまった。彼女にとってあの空間に居た事は、かなりのストレスだっただろう。
大丈夫だ。そう声を掛けながら、彼女の背中をさすってやる。
「赤沼さん……」
後ろから、オールバックに声を掛けられた。
「……すまなかった」
「いや。こちらこそ、すいません。……奴を止められなかった」
「あまり……褒められた方法じゃないがな」
「……まぁ確かに」
オールバックは苦笑する。
「……これから、どうします?」
俺は、オールバックに聞いた。彼女は、三十分程でこうなってしまった。これ以上アイツと話すのは心身ともに悪影響を及ぼす。
個人的な意見としては、もうアイツと話させるのは止めさせたい。
オールバックも似たような思いを抱いたのか、腕を組み渋い顔をしている。
「赤沼さんがさっき言ったみたいに、事件の事は粗方聞きましたが……情報不足は否めません」
「……ぶん殴っといてアレですが、交渉できませんかね?」
「彼女以外と話すように、ですか?」
俺は肯定の意で頷く。オールバックは、眉間に刻まれたシワを深くした。
「……こればっかりは、なんとも」
「……そう、ですよね」
たしかにこれは、彼らにも断言はできない。俺達四人の間に気まずい沈黙が漂う。
「……とりあえず、今日中に結論を出すので今夜はロスに泊まってくれませんか? ニューヨークに帰ってからまた戻るのも、馬鹿馬鹿しいでしょう。……アストールさんも、それで大丈夫ですか?」
巨体が折衷案を出す。問いかけられたマリアは、小さな声ではいと言った。まだ、顔色は優れない。
俺が今、彼女の為に出来る事はこの場から離してやり、休息を取らせることだ。
「……じゃあ、俺等は一旦帰ります」
「はい、ありがとうございました」
オールバック、巨体の二人は俺達に頭を下げた。俺はマリアの手を取り、ゆっくりとエレベーターホールの方に歩き出す。
一階ロビーで降り、ふと受付カウンターの方を見ると来客が受付の人に突っかかっていた。
一人は小柄な女で、もう一人はもみあげまで髭を伸ばした中年男だ。二人共スーツ姿、入局証を首から提げて、真剣な顔をしている。
なんとなく眺めていると、女の方と目が合った。
感情の色が薄い、ビー玉みたいな目をしたアジア系。そんな第一印象を抱く。
見た感じは日本人でも東南アジア系ではなく、中国か半島系だと推測する。
女はすぐに俺への興味を失ったようで、視線を外した。
「どうしたの?」
「いや、別に」
俺は適当に誤魔化し、支部の外に出た。
本部から来た二人がエレベーターに吸い込まれるのを見届け、俺は煙草を吸いに行く相棒に代わり、取調室に入る。
「……マリアはもう行きましたか?」
真っ赤に腫れた頬をさすりながら、ケビン・レナードは俺に質問した。
「ああ。お前さんに愛想尽かしたみたいだしな」
俺がそう応えると、彼は苦笑する。しかし、頬が痛むようで顔をしかめた。どうやら、あの赤沼という奴は本気で殴ったみたいだ。
それでも、目や顎を殴ってないあたりまだ冷静な方だろう。大半が肉、そして骨がある頬を真っ直ぐ殴っても大したダメージは無い。痣ぐらいは出来るだろうが、片目になるよりかマシだろう。
倒れた椅子を直してやり、大人しくしてろと指示を出す。彼は素直に従った。
先程の態度からは、とても想像できない。
……何故コイツはかつての部下である、あの女性に執着しているのか。
そこまで考えて、その先を考えるのを辞めた。
今自分がすべきことは。
「……また、あの彼女に尋問を頼む気か?」
淡々と職務を遂行する事だ。
「……さぁ。どうしましょう」
頬をあまり動かさないように、白い歯を見せ人の神経を逆撫でする笑みを浮かべた。
俺が取調室から出たと同時に、ズボンのポケットに入れた携帯が鳴った。
「もしもし?」
『ああ。出た。今お前何処だ?』
電話は上司からだが、その声は焦っているように聞こえる。
「どうしました?」
『いやな、お前達が担当してる、ケビン・レナードに会わせろと言う奴が今来ててな』
「……家族ですか?」
データを見たところ、ケビン・レナードは独身で現住所から少し離れた所に両親が住んでいる。
どっかから、息子が捕まったとの連絡が入ったのかもしれない。
『いや……専属の弁護士と、警察の監査役らしい』
「……弁護士?」
取り調べしている被疑者に弁護士が会いに来るのは、自然だし経験もあるが一介の警察官であるケビンが、専属の弁護士を雇っているのが引っ掛かる。
『……会わせていいと思うか?』
「貴方がそう聞く時は、大抵そいつらを疑ってる時ですよ」
『話が早い。なら、俺が言いたいことも分かるな?』
「警察と弁護士協会に照会しろ、でしょう?」
『ああそうだ』
電話が切れる。丁度、相棒も戻って来た。何処の誰かは知らないが、ISS調査係の本懐を見せてやる。
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