動き出す過去

 自分の顔から、血の気が引いて行くのがよく分かる。

 何故この男が?

 二度見、三度見しても似顔絵の顔は変わらない。俺は頭を抱えた。

 その時。


「おはよーございます」


 マリアが出勤してきた。タイミングは想定しうる限りでは、最悪。隠そうにも、彼女はすぐそばまで来ている。


「……おはよう」


 俺は資料をデスクの隅に放り、パソコンを弄り始めた。


「おはよ。……何読んでたの?」


 彼女の顔を見る。アルコールが残っているのか、少し顔が赤い。それ以外は大丈夫そうだ。

 穏やかな表情を崩すのは、忍びない。だが、言わない訳にはいかない。

 黙っていても、いつかはバレる。

 俺は乱暴に頭を掻きまわし、彼女に資料を渡した。


「……昨日のコンテナ船について、調査係がまとめたモンだ。言ったけ? 俺達が戦った北朝鮮や中国の部隊、アイツ等が持ってた武器はあそこで買った物だって」

「……聞いてない」

「じゃあ今言った。……四枚目に聞き取りから発覚したコンテナ船の主の似顔絵が描かれている」


 それを聞いてマリアは、紙をめくった。次の瞬間、表情が凍り付く。手から書類がこぼれ落ち、音を立てる。

 その音に周囲の人間、班長までもがこちらを見た。


「何事だ」

「……話すと長くなります」


 茫然自失のマリアに変わり、俺が返事をする。





「……そんな事が」


 強襲係係長、デニソン・マッテンは呻くように呟く。そして彼は、白髪が六割を占める髪の上から額に手を当てた。

 係長の隣に立つ班長の手には、私のデスクに置かれていたあの写真がある。

 私が出勤してから一時間近く経った。

 私の過去を、係長や班長は真剣に聞いていた。係長は私を勧誘した際、感情の裏にある『何か』を感じ取っていたらしいが、全容は掴めていなかったからこその態度だろう。


「……とりあえず、今回の件は調査係に報告する。すぐに呼び出しが掛かるだろう」


 班長は溜息まじりに私に伝える。


「……何故今まで黙っていたんだい?」


 係長が私に問う。普段は主任と呼ばれ、慕われている係長の声色は冷たい。

 そして答えないという選択肢は選ばせない、そんな意思がよく現れている目をしている。


「……話すのが、怖かったんです」


 震える唇から言葉を出す。


「……怖かった、か」


 主任は何度も頷いた後、私を見る。


「それは、私も初めて君に会った時から感じ取っていたよ。さっき話したよね」


 私は肯定の意を示す。


「君が話してくれた事……アレを経験したら、話すのが怖く感じるのはおかしい事じゃない。……そうだよね、メリッサ君」


 主任は班長に問いかけ、班長も同意する。


「……よく話してくれたね」


 主任は微笑み、退室を促した。

 係長室を出ると、覗き込んでいた同僚達が波の如く引く。身を乗り出して、部屋の様子をうかがっていたのだろう。

 その中で一人、引かなかった男がいた。

 浩史だ。

 彼は真っ直ぐとした目で、私を見ている。そして顎でオフィスの外を示した。


「コーヒー、飲みに行くぞ」


 呆気にとられていると、彼は私の返事を待たずに外に出てしまう。急いで後を追うと、彼は自販機の前で腕組みしていた。


「……甘い方がいいか? ブラック?」

「……コーヒー飲みたそうな顔してた? 私」

「考え事したそうな顔はしてた」

「……考え事、か」


 浩史が自販機にコインを入れてくれたので、その好意に甘えて砂糖とミルクがたっぷりのコーヒーのボタンを押す。

 普段はブラックだが、今は甘い物が飲みたかった。疲れている時は、糖分を取るといい。いつの時だか、母親が言っていたのを思い出した。

 浩史も同じコーヒーのボタンを押す。


「……これから、どうする?」


 出てきたコーヒーを取り出しながら、彼は聞く。差し出されたコーヒーを受け取り、私は答える。


「調査係が、私に事情聴取するって」

「……まぁ妥当か」


 彼は自分のコーヒーを啜った。


「大規模な武器密輸組織の“重要参考人”の元相棒。しかも、そいつが起こした“とある事件”にも関わっている。……疑われるだろうなぁ。そいつと内通していると思われても不思議じゃない」


 浩史の指摘はもっともだ。その事実だけは、どんなに手を尽くしても変えられるモノじゃない。


「……ISSの面子にかけて、徹底的に調べ上げるだろう」


 甘ったるいコーヒーが、変な所に入りかけてむせてしまう。


「俺はお前の味方だ。……そんな顔すんなよ」


 自分が今どんな顔をしているか、意識していなかった。口元に手を当て、頬の肉をほぐす。


「……怖い」

「……お前は、アイツがやった事を許してるか?」


 浩史の言葉は、私が呟いた正直な感情とは何の脈絡もない質問に思えた。しかし、その質問を聞いた瞬間に答えは出る。


「許してない」

「だったら、堂々と自分の無実を証明しろ」


 彼はコーヒーを飲み干すと、自分の腕時計を外しこちらに渡す。


「……お守り代わりに持っとけ」


 浩史の腕時計は、特に目立った特徴も無いジーショックだった。それなのに、飾り気のないデジタル時計が心の不安を軽くしてくれる。

 私は今度、自分の腕時計を外し彼に差し出した。


「後で返して」


 ラスベガスで、浩史がやった事を真似る。あの時はジャンパーだったが。彼は私の腕時計を丁寧に受け取り、頷く。


「マリア・アストール」


 名前を呼ばれ、振り向くと馴染みの薄い調査係のメンバーが三人そこに立っていた。


「……ちょっと聞きたいことがある。いいな?」


 拒否権は無い。

 だが、怯える事は無い。握る腕時計が、熱を帯びた気がした。


 

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