赤沼とマリア

 港周辺はテントやパトカーが集まり、特異点と化していた。

 浩史は車にもたれ掛かり、ロシア語のテキストを読んでいた。私はその肩を叩く。


「おはよう」

「おう」


 挨拶すると、彼は片手を上げ応じる。


「……分かるの? 鈍器みたいな厚さだけど」


 彼が読んでいるロシア語のテキストを覗き込む。本には、意味も読み方も分からない文字列が並んでいる。


「ロシア語のテキスト。……学んでおいて損はない……と思う」


 浩史は一週間前の事を言っているのだろう。色んな国の戦闘員と戦った、その時言葉が分からずどう出てくるか不安だった事が幾つかあった。

 もしかしたら、また他国の戦闘員と戦う時が来るかもしれない。備えあれば患いなしと先人は言ったのだから、こうして学ぶのは悪い事ではないだろう。


「……勉強熱心なのは良い事だけどさ」


 そう言って煙草のパッケージを出し、一本出して咥えた。

 私は言葉を続けようとしたが。


「禁煙するって言ってなかったか?」


 浩史の指摘に、タイミングを失った。


「そんな事言った?」


 私はとぼけ、誤魔化そうとした。

 しかし。


「言った。……顔色も悪いし、無理すんなよ」


 その言葉を聞いて、思わず大袈裟な反応をしてしまった。


「そ、そんなに顔色悪い?」


 浩史は怪訝な顔をして頷いた。


「ああ。……熱でもあんのか? ……間違いなくドンパチするから、具合が悪いんだったら休めよ。……不注意で撃たれましたなんて笑えない」


 途中から真面目な顔、真剣な声色になった。彼の心配はもっともだ。

 けれど、伝えない訳にはいかない。


「……私は大丈夫。大丈夫だから」


 映像として現れたあのシーンをかき消すように、私は言った。


「無理はすんなよ」


 浩史はそれだけ言うと、私を班長達が待つテントに案内する。


「……言えなかった」


 ミリタリージャンパーを着た背中が、遠ざかって行く。また頭痛がしてきた。



「――港湾職員の警告を無視し、コンテナ船の乗組員は持っていたAKライフルを発砲。港湾職員一名が、肩に銃弾を受け病院に搬送されましたが命に別状はありません」


 指し棒でホワイトボードをコツコツと叩くのは、市警の刑事だ。


「その後。通報を受け急行したパトカーに対しても銃撃。警官二名が重症です」


 俺の視線はホワイトボードから、蜂の巣にされ隅に放置されてるパトカーに移した。

 白い車体に付いている、血の手形が生々しい。


「質問いいか?」


 手を上げたのは、緊急出動部隊(他機関で言うところのSWAT的な部隊)の隊長だ。


「どうぞ」

「犯人グループの人数。武装の度合い。分かってる範囲では?」


 刑事は隣に居たISS調査係第二班の班長に、小さく頭を下げた。調査係班長が立ち上がる


「私から答えさせていただきます。……現在確認できている範囲では、前部甲板に六名。右舷と左舷に二名。後部甲板には四名。操舵室には最低でも四名。合計十六名が確認されましたが、船内が確認できていない為、不確定な情報です。武装はアサルトライフルとサブマシンガンです」


 密輸をシノギにするチンピラにしては、規模が大きすぎる。話を聞く限りでは、コンテナ船の乗務員全員がヤクザじゃないと辻褄が合わない事ばかりだ。

 アメリカのヤクザ者はコンテナ船を所有しているのか。


「……豪勢だねぇ」

「密輸品って言ったって、薬やハジキだろ? コンテナ船全部使って運ぶって……」


 同僚が俺の呟きを拾う。コンテナ船を見た。積まれているコンテナは少ないが、アレ全てに銃が詰まっていると考えるとゾッとする。

 この国には、銃が溢れているはずなのに。そこまでして銃が欲しいのか、俺には理解出来ない。


「――以上だ! 総員配置に着け」


 号令一下、テント内に居た全員が駆けだした。俺も走ろうとしたが、マリアがホワイトボードを眺めたまま動かなかったので俺は右足を踏ん張り、動きを止めた。


「マリア?」

「え? アレ? ……ごめん」


 俺の声に反応した彼女は、辺りを見渡し誰もいないのに気が付くと俺の顔を見て、曖昧に笑った。


「お前今日なんか変だぞ。……本当に具合悪いのか?」

「……嫌な夢見たの。……昔の」


 そこまで言うと彼女は、ハッとした顔をした。


「……浩史。ラスベガスのホテルの前の噴水で、私に言った事覚えてる?」

「……唐突だな。……覚えてるよ」


 忘れるはずがない。俺がマリアにハッキリと自分の思いを伝えた、あの大事な事を。


「……夜空いてる?」

「空いてるけど……」

「昔の事を話したい。……私の、後悔している事を」

「……そうか」


 俺は相棒の肩を優しく叩き、口角を上げた。


「……じゃあ、お前は死んじゃいかん。班長には話通しておくから、休んでろ」


 俺はマリアの顔の正面で、歯を見せて笑った。どことなく子供らしい態度が、彼女の笑いも誘った。


「ありがと。……浩史が相棒でよかった」


 別のテントに向かって歩く相棒を見届けると、武器を受け取りに行った。


「若いねぇ」


 強襲係の古株班員がニヤニヤしている。


「……そうですか?」

「ああそうさ。俺も若けぇ頃は、嫁とあんな風にしてたなぁ」

「…………」

「照れてんのか?」

「……ご想像にお任せします」


 彼の手からひったくる様にMP5を取り、傍にあった弾が入った弾倉から無造作に四つ取り、防弾ベストに装着してあるポーチに三つ入れもう一つは銃に突っ込み、上がっていたチャージングハンドルを手で叩いて落とした。

 そして、目を細めコンテナ船を見た。

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