11月18日午後8時31分~39分

 エレベーターのモーターはその役目を放棄し、うんともすんとも言わない。

 エレベーター内に響くのは、無線の雑音だけだ。


<……リ君のお友達か>

<……そうだ。奴とは親友だったよ>


 声には隠し切れない程の憎悪が籠っている。


<それで、何の用だ? 世間話でもしようって訳じゃないだろう>

<ああ。……お前の仲間は、今ロビーで俺の部下と銃撃戦をしている>

<…………>

<流石ISSといったところだ。中々頑張っているよ……仕事熱心なのは感心だ>

<光栄だな。……それで?>

<だが、足手まといを連れての戦闘は大変そうだ。今にも、陣形が崩れてしまいそうだ……部下がその気になれば、博士を残して全員射殺してしまうだろうね>

<…………>

<……そこでだ、取引をしないか?>

<取引だと?>

<ああそうだ。……今からエレベーターを四階に動かす、そこで降りろ>

<降りた瞬間、ズドンってか>

<そんな事はしない、取引だと言っただろう。……四階には、パーティー会場があるそこで待っていろ。大人しくしていれば、地獄で仲間に合う事は無いだろう>

<……それが取引か?>

<いや、詳しい事は会場で話す。……待ってろよ>


 無線は切れた。

 言う事聞くのは正直癪だが、アイツ等の命が掛かっている。素直に従う事にした。

 エレベーターが動き出す。リ君のお友達は多分、機械室か何処かに居るのだろう。天井には、黒い半球型の防犯カメラがあった。

 ホテル内に居る仲間ではない東洋人を、敵だと認識しているようだ。そして、カメラに映った俺の腰に無線機があったので声を掛けたに違いない。

……それにしても、四階で会うなんて縁起が悪い。四イコール死だ。死界だなんて、本当に縁起が悪い。

 エレベーターが、今度は正常に止まった。


『四階です』


 無機質な女性のアナウンスがそう告げた。けれども、今の俺には無機質な声も死神のささやきに聞こえる。

 モスバーグを構え、一歩進む。

 辺りは静まりかえっており、人の気配は感じない。それでも、胸の目で軽く構えながら歩き出した。

 すると目の前に開かれたままの扉が、俺を待ち受けていた。

 中は嵐が通り抜けて行った後みたいに、荒れている。

 パーティー会場に入る。零れたワインの香りが漂っていた。すり足で奥に行く。

 ステージ上の横断幕から、金持ちの記念パーティーである事が分かった。

 テーブルの上に乗っかっているワインや料理も高そうだが、ホテル全体が戦場になった今では無価値だ。


「もったいないねぇ」


 コルクが付いたままのボトルを手に取った。酒の造詣は深くないので、詳しくは知らないが十万は超える代物だと聞いた事がある銘柄だった。

 そっとテーブルに置く。

 ボトルから手を離した瞬間、指が固まった。

 コンマ経って、首の付け根からあの感覚が湧き出る。血液が冷え、末端の感覚がなくなる。

 反射的に振り返りモスバーグの引き金を引いた。

 周辺にあった瓶やグラスが割れ、料理がはじけ飛んだ。空シェルを銃から吐き出させる。

 人はいない。

 せわしなく目を動かす。それでも、影すら見えない。


「礼儀がなってないな」


 あの男の声。無線と違って、少し声がクリアだ。もう一度振り向くと、男が立っていた。


「……ようやく会えたな。……日本人」


 四十の山を登りかけている顔に、怒りを滲ませている。ヴェクターを握っていた。腰にはホルスターもある。


「……お友達の敵討ちとは泣かせるじゃないか」


 声が震える。

 男はそれに気づいたのか、雷神像みたいな顔を余裕な表情に切り替えた。


「……どう言われようがどうでもいい。……本題に入ろう」

「……取引とは、どういったものだ?」


 俺は尋ねた。


「……簡単だ。お前ひとりが投降すれば、博士含め全てを諦めよう」

「イヤだと言ったら?」

「ホテル内を捜索している部下にロビーに急行するよう命令を出し、ロビーにいる部下には、お前の仲間を皆殺しにしろと命令する。……弾も人数も足りないだろうなぁ……お前の命一つを差し出すだけで、他三人の命が助かる。魅力的な提案だと思うがね」


 単純明快な取引だった。目の前にいる奴は、ただ俺に復讐したいだけだ。

 俺がこの場で散弾銃を捨て、両手を上げて男の方へ歩いて行ったところで意味は無い。

 あの男の義理堅さは友の為に怒る程だ。だが、それはあくまで友の為。俺に義理も何も無い。

 俺がこの男に血祭りにあげられる頃には、マリアの頭に風穴が開けられるだろう。

 そんなことは絶対にさせない。

 けれど、男の気持ちも十分に理解できる。俺にも経験があるからだ。

 カリスト・マイオルの件で拉致られ、マリアが俺を追って撃たれたと知った時。

 昨日。飛行機の中で彼女が脅されたと分かった時。

 男がそこまで怒るのも分かる。

 だが、それとこれとは話が違う。

 俺は死にたくないし、相棒が死ぬのも御免だ。

 そう考えると、恐怖が引いていく。


「本当に投降すれば、アイツ等を見逃してくれるのか?」

「ああ、約束しよう。……早く決断した方がいい、俺の気が変わる前にな」

「そうかい。じゃあ言わせてもらうよ……断る」


 散弾銃の銃口を男に向けた。


「……本当に断るのか?」


 男の声に感情は籠っていなかった。


「……約束したんだよ。後でジャンパー返してもらうって。アイツからな」

「そうか……じゃあ……死ね。お前の首を、アイツの墓前に備えてやる」


 開戦のゴングが鳴り響く。

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